「最近冷たくないですか」

初めて聞いた敬語。拗ねたように口唇を尖らせながら告げられた言葉に思わず固まる。心当たりがないわけじゃないから、余計に目が泳いだ。エースは偵察で出ているし、マルコは書類漬けだし、イゾウは今日は本船にいない。助け舟は、どこにもない。責めるような訴えるようなそんな色を灯すサッチの常盤色の瞳から逃れるようにそっとうつむいた。

サッチと思いが通じ合ったあの日からもう1ヶ月になる。サッチはマルコやイゾウからの嫌味やいじめに耐え、親父のゲンコツにも耐え、化け物みたいなわたしを愛すると誓ってくれた。嬉しかった。全力でぶつかってきてくれるサッチが。自分を隠さず偽らず、全部をもって接してくれるサッチが。
だけど今まで、生きるためだけに生きてきたわたしだ。色を売ったことはあっても恋をしたこともまして誰かと恋人関係にあった試しもない。そんな自分がいきなりサッチと恋人になってうまく接することなんてできるはずなかった。最初のうちはサッチに振り回されっぱなしだったけど、徐々にそんな自分が情けないやら、ちょっと悔しいやらで、いつからか蟲を理由に少しずつサッチと距離を置き始めていた。嘘はついていない。あの島であの下衆野郎に自分を構成していた蟲の8割が殺されたのだ。新たな蟲がわたしとなってくれているが、やはり今までと全く同じという訳にはいかない。きちんと面倒をみないと拗ねる蟲もいるし、単独行動をし始めようとする蟲だっている。その子たちと信頼関係を深めつつきっちり躾る必要があったのだ。蟲を構うのだって正当な理由があった。でも正直、それを理由にサッチから逃げることができたことに、ホッとしていた。
かき乱されるのは慣れていない。長いこと独りで生きてきて、生きる意味すらないのにただ生きて、そんな自分が本心をさらけ出したり、無防備な姿を見せたりするのは、やっぱりまだ慣れなくて、特にサッチという恋人の前だと、それが顕著になってしまって。
そんな折、ときどきサッチが何か言いたげな雰囲気でこちらを見ることには気づいていた。何か伝えたいことがあるような、そんな瞳で。
それに気づかないフリをしていた。ずっと。でももう、逃げられないのかもしれない。
きゅう、と強く服を握る。ざわざわと体内の蟲がざわめいている。ごくりと、唾を飲み込んだ。

「さ、?!」

名を呼ぼうと口を開いたそのとき、力強く引かれる腕。ぶつかるような荒々しさで、けれども優しく包み込むように背中に回された腕は太く温かく、自分を支えていた。

「ななな...ッ!!?」

サッチの腕の中、咄嗟に抜け出そうともがくけれど、それすら許さないとより強く腕を回される。つま先が甲板から浮き、文字通りサッチの両腕に全体重がかかっているのに、そんなことを微塵も感じさせない力強さと温かさでサッチの胸に押しつけられる。
こうした触れ合いは未だに慣れなくて、すぐに頬が赤くなってしまう。
せめてもの抵抗にサッチの胸を腕でぐいぐいと押してみるけど、こんなのこの巨体にとってはなんの圧にもなっていないのだろう。それが、少し悔しい。

「あーあ、こーんなに振り回されちまって、情けねぇったらありゃしねぇ」

抱き締める力はそのままに、サッチは軽い口調で言葉を紡ぐ。
ウミネコの声が聞こえる。波の音と、それから遠くで親父のイビキも聞こえてくる。見渡す限り、家族の姿は見当たらないけれど、きっと向こうでは親父の周りを囲んでワイワイやっているのだろう。自分もそっちに混ざりたい。
思いが逸れているのがわかったのか、戒めるように少しだけ、腕の力が強くなった。

「わーってるんですよ、サッチさんは。お前の兄貴で恋人なんだから。お前の考えてるめんどくせーことも、全部」

びくりと、体が勝手に震えた。見透かされていたのか、自分は。どくどくと心臓がうるさく主張を始める。サッチの服を握る力を強くする。
めんどくさい、確かにサッチはそう言った。自分で思っているのと、相手に言われるのとでは重みが全然違う。めんどくさいと思われていたのか、サッチに。それだけで張り裂けそうになるくらい胸が痛くなって、続く言葉を聞くのが怖くなる。カタカタと震える体を止めることが出来ず、ただハァ、というサッチの吐息を聞いていた。

「あー、わりィ、違ェな。そうじゃねぇよな。うん」

ひとりで呟いてひとりで納得するサッチ。意味わかんないし、なにが違うの、なにがそうじゃないの、怖いよ、サッチが何考えてるかわかんなくて。ぎゅう、と強く目を閉じれば、口唇に押し付けられる、柔らかな熱。あ、キス、だ。そう理解するよりも早く離れた口唇は少しだけ震えていた。サッチは眉間に皺を寄せてるけど、この表情、知ってる。少しだけ染まった目尻と、つり上がる眉。これ、サッチの、

「構われなくて、寂しかったんですよ!サッチさんは!」

ぶっきらぼうにそう言いのけて、ふんっと鼻を鳴らすサッチ。

その言葉の意味をわたしが理解するまであと五秒。
わたしが笑い出すまであと十秒。
サッチが拗ねてそっぽを向くまであと十八秒。
わたしがサッチの背中に手を回すまであと二十五秒。
ふたりの影が重なるまであと、



抱擁では伝えきれない想いとやら


敬愛なるゆゆ嬢に捧ぐ
byKB
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