潮風が髪を巻き上げる。
隣に立つ男の鮮やかな黄色のスカーフがバタバタと音を立てる。

「本当に土下座したの?」
「おう、ワの国ではそう挨拶するのが礼儀なんだとよ」

サッチの土下座に対する認識が微妙に間違っているのはイゾウの仕業だろう。それにしても真昼間の甲板の上で兄弟たちが大勢いる中で仮にも4番隊の隊長であるこの男がマルコとイゾウを前に土下座をしたというのは意外だった。というか、そこまでできる癖に未だぐじぐじしてるのが信じられない。
わたしだって女だ。今更サッチにフられたからって船を降りるほど柔ではないけど、いつまでも待てるほど大人でもない。
指先に止まった蟲に息を吹きかけて遊ぶ。じじじと翅を震わせた蟲は潮風に負けじと空へと飛び立って行った。

「…なぁ、俺考えたんだけどよ」

ふとサッチが船縁に肘をもたれさせこちらを覗き込むように射抜く。翡翠色の瞳が、真剣な色を灯す。目元の傷がくしゃりと歪む。

「たくさん考えたんだけどよ、やっぱわからねぇんだ」

ぽつり、そう呟いたこえは打ちつける波間に消えていく。ウミネコの声が遠くから聞こえる。

「お前がな、守られるのを嫌ってんのはわかってンだ。でもな、それでもやっぱり俺は好きな女は守りてェし、咄嗟にテメェの命なんて考える暇なくお前を守ろうとしちまうと思う」

サッチのこえが、ひとつひとつ言葉を噛みしめるように宙に浮かんで消える。遠く水平線を眺めながら静かに告げられるその言葉をひとつたりとも聞き逃さないように、そっと息を詰めた。

「だからな、お前が望んでる言葉を、俺は言ってやれねェ。嘘もつきたくねェ」

知ってる。軽いノリで話す癖に嘘はつかないこと。今まで一度も、嘘ついたことないから。だからこそ、あの言葉がずっと痛かった。

「名前、」

いつの間にか背筋を伸ばしたサッチが
こちらに向き直っていた。そっと両肩に大きな手のひらが乗り、身長差を埋めるように少し屈む。翡翠色の瞳は太陽の光を受けて星みたいに輝いている。

「答えなんて出せねェし、わからねェ。でもな、やっぱり俺はお前を守りてェし、お前の傍にいてェんだ」

一際大きく風が甲板の上を吹き抜ける。サッチのリーゼントは先端が少し凹んで、いつもよりくしゃくしゃになっている。肩に乗せられた手は熱く、翡翠の瞳は不安と期待を綯い交ぜにした不思議な色で揺らめいている。


「なぁ、だからさ、俺と一緒に生きてくれ」


ウミネコが鳴く。風が吹く。甘いにおいがフワリと鼻をかすめる。言うことを聞かない目尻は熱くなるし、鼻の奥はツンと痛む。ぐじゅりと鼻を鳴らして翡翠を睨みつけるように口を開いた。


「しょうがないから、生きてあげる」


大事なところなのに鼻声になっちゃうし、本当は微笑みながら言えば可愛いんだろうけど、生憎わたしはそんなことできないし。でも目の前のサッチが目尻に涙を浮かべながら笑ってるから。もうそれだけでどうでもよくなった。




なきむしな貴方へ


fin.
Thank you for reading to the end. Much Love to everyone and my dearest ichi.