何やら外が騒がしい。もう耳も手も足もないし、片目も崩れ落ちてしまったけれど、微かに部屋の外が騒がしく何かが壊れる音も響いた。

「ん?なんだね」

ゲス野郎もその音に気づいたらしく、顎だけで部屋の中に待機していた従者に外を確認してくるよう指示を出した。
黒スーツにサングラスの如何にもといった風貌の男はゲス野郎に一礼するとすぐさまドデカイ鍵がかかった扉に走っていき、鍵を開けた。瞬間。
ぐわっしゃあああああっと凄まじい音を立てて突然扉が吹き飛んだ。扉のすぐ前に立っていた男は当然吹き飛ばされ、床に倒れこんだ。

「あぁ、あぁ、こりゃまた随分なこって」

カツカツと、静かな足音が響く。吹き飛んだ扉から現れたのは、相変わらずのリーゼントを携えた、サッチだった。

「名前ちゃーん。ヒーローがお迎えにあがったぜ」

二振りの剣を肩に担いで軽薄な笑みを浮かべてみせるサッチ。相変わらずの調子に、無意識に肩の力が抜けた。
合図をするまでもなく従者たちが一気に襲いかかるというのに、それらをまるで意に介さずばったばったと倒していくサッチ。伊達に世界最強の海賊団の隊長を務めていない。なめらかな剣さばきに敵は下手に斬りかかれない。
嘘、ほんとう、まさか、やっぱり、どうして、来てくれた。サッチが、来てくれた。迎えに、来てくれた。

「そこまでだ」

ゴリ、と頭部に乗せられる重い足。チャキリと構えられた銃口。ゲス野郎の銃が、残った左目に突きつけられた。

「動かないでもらおうか、賊が」

こちらを見つめるサッチの目が大きく揺れる。その一瞬の隙をついて繰り出される攻撃。ぐらりとサッチの体が揺れて、大きな体が膝をつく。それと同時に両脇から槍でおさえこまれ、武器も弾かれてしまった。

「まったく。折角の余興が台無しだ」

大げさにため息を吐いてゲス野郎は天を仰ぐ。向けられたままの銃口は天井からの光を鈍く反射している。
不思議と、恐怖はなかった。死なない絶対の自信があるわけでもない。核となる蟲を潰されれば、この命は終わる。それでも、こんなとこまで、ただ自分のためだけに、サッチが来てくれた。それだけで、もう十分だった。

「この私を不快にさせたんだ。代償は貴様の命で償うんだな」

もうこの命がここで尽きたとしても構わない、そう思っていたのに、自分に向けられていた銃口は、カチャリとサッチに向けられた。慌てて声帯を震わせる。

「サッチ!逃げて!!」

ありったけの声を上げて叫ぶも、サッチは動かない。ニヤリと口角をあげたまま逃げようとしない。

「傑作だな。こんな化物のために命を張る愚者がいるとは」

その望み、叶えてやろうじゃないか。
ゲス野郎は口端を大きく歪めてサッチに照準を合わせる。
ダメ、ダメ、ダメ。ダメだよ、そんな、ねぇ、お願い。逃げて、逃げてよ。わたしのことなんてどうでもいいから、逃げてよ。お願い。もう、もう失いたくないの。目の前で、助けられないのは嫌なの。ねぇ、サッチ。逃げてよ。初めて会ったときのあの言葉を嘘にしてよ。本当にしないで。お願い、お願い。逃げて、逃げて、逃げて、逃げてよ、お願い。

「逃げてぇえええ!!!」

ゲス野郎の指が引き金をゆっくりと引く。その瞬間、頭の奥底の脳髄の一番深いところが、ぶちりと音を立ててちぎれた。
ゴゴゴゴゴゴ…と低い低い地鳴りが建物全体を揺らす。平衡感覚をなくすほどの音の波が部屋中に響き渡り、従者やゲス野郎が慌てて首を回している。サッチが此処に飛び込んで来てくれた時点で勝敗は喫していたのだ。破かれた扉、流れ出て薄くなった香草のにおい、アクマの実の能力。

「“轟”」

呟いた瞬間噴き出すように扉があった場所から黒い大群となった蟲が部屋中に襲いかかった。

「ぎゃああああ!!!」

大声をあげて銃を乱射するゲス野郎に一斉に襲いかかる蟲。瞬く間に銃は使い物にならなくなり、ゲス野郎の丸々とした体に蟲たちが貼り付く。ものの数瞬で修復された体で、ゆっくりとゲス野郎の元に歩き出す。

「あ”ぁああああぁ”ああ”あ!!?」

全身の穴という穴から蟲が入り込んでいく激痛に醜く声をあげる男のもとへ、カツンカツンと踵を鳴らして近寄る。

「Thumbs?」

なんの表情も浮かべないまま親指を下に向ける。down、首を斬る動作をすればそれに合わせて蟲が喉を喰らいはじめる。耐え難い激痛に襲われている男からはもう声が発せられることはない。声帯はとうに蟲に食い尽くされたからだ。
何も感じない。何も見えない。ただ湧き上がるのは目の前の全てに対する破壊衝動だけ。

「The end」

ゆっくりと親指を下げれば、体内に入り込み、臓器細胞血管いたるところに産卵した蟲が一斉に孵化する。パァン…!文字通りの破裂音を立てて、悲鳴をあげる暇もなく男は体内から爆発した。
ボタボタと男の肉片が真っ赤な血と共に落ちる中、ゆっくりと歩を進める。一歩一歩、サッチを拘束していた従者のもとへ。目の前の悍ましい光景にガクガクと情けなく震え上がる男たちは尻餅をついたまま必死に命乞いを繰り返す。やめてくれ、助けてくれ、頼む、死にたくない。何度も繰り返される音の羅列にゆっくりと右手をあげる。

「“蟲波”」

波のように塊になった蟲が黒黒しく揺らめき男たちを掬い上げる。そのままうねり押し寄せる波のようにガラス窓を突き破って濁点ばかりの悲鳴をあげる男たちを屋敷から放り出した。これだけ立派な豪邸だ。この高さから落ちて生きていることはまずないだろう。
男たちの最期を見届けることもせずくるりと踵を返して進む。夥しい数の蟲を従えて屋敷のドアをくぐる。腕を奮えば蟲がなぎ倒す。拳を握れば蟲が締め殺す。壊す。何もかも。この島全て、壊してやる。殺してやる。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。

「名前!!」

背後から聞こえる声に振り返ることはない。何も聞こえない。何も感じない。わたしにできることは壊すことだけ。全てを、壊して、全てを、無に帰せしめる、それだけ。

「名前!!」

ざわりと、蟲がどよめいた。視界が真っ暗に遮られる。温かい、温度が、まとわりつく。耳元に、吐息がかかる。

「もういい」

ざわざわと体内を蠢いていた底なき破壊衝動が、チリチリと音を立てて鎮火していく。ピリピリと肌を灼いていた殺意がサッチの手のひらに吸い込まれていく。

「もう大丈夫だ、名前」

激しい羽音を立てていた蟲たちも、徐々にその羽音を止める。全身から力が抜ける。初めて、息をしていないのを思い出した。
サッチに目を覆われながら、大きく息を吸った。もう、あの匂いは感じなかった。

「…ごめんな、名前。守ってやれなくて」

死んでも守ってやるって、約束したのに。
その一言で鎮まっていた衝動が一気に噴き出す。勢いに任せて体を反転させ、サッチの胸ぐらを掴んでそのまま後ろへ押し倒した。馬乗りになりポカンとした表情をしているサッチに噛み付くように声を荒げる。

「っふざけんな!何が死んでも守ってやるだ!死んだら意味ないじゃん!死んだら終わりじゃん!そんな命で守られたって嬉しくもなんともないんだよ!馬鹿!アホ!死ねカス!」

にらみつけ、怒鳴りつけてもサッチはポカンと口を開けるだけで反応がない。
ジワリと、滲み始めた視界に熱くなる目頭。ダメだと言い聞かせても、涙腺は素直にいうことをきいてくれない。

「死んでも守るって、!死んでも守るって言うくらいなら、!それほど、大切だったなら、!死んでも生きて!傍にいるって、!一緒に生きるって!そう誓えばよかったんだ!!!」

ボロボロと涙が溢れて止まらない。胸ぐらを掴んでいた力も弱まり、自然と顔を俯けてしまう。ぐすぐすと鼻をすすれば、ポン、と大きな手のひらが頭に乗せられた。

「…名前、」

大きくて温かな体がわたしの体を包み込む。背中に回された腕も、引き寄せられた胸も温かくて、血が通っていて、鼓動を伝えていた。生きて、いた。息していた。サッチは、生きていた。


弱蟲


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