夢を見るの。
目覚めると必ず忘れてしまうけれど、いつも同じ結末を迎える、悲しい悲しい夢。いくら思い出そうとしても、まるで頭に霞みがかかったみたいにぼんやりとしていてすぐに消えてしまう。でもたったひとつだけ覚えてるの。誰だかわからないのにどこか懐かしさを感じさせるそのひとの、柔らかな笑みを浮かべた口元を。


「名前ちゃん」

澄み渡るような青空の下、次の講義がある棟への移動中に後ろから声を掛けられた。

「あ、佐助。どうしたの?」

振り返った先には、大学に入学してからできた友だちの猿飛佐助。

「次、講義同じだから、一緒に行かない?」

佐助は、柔らかい笑みを浮かべながら首を傾げる。一連の動作が、とてもなめらかだ。

「うん、じゃぁ一緒に行こっか!」

そう答えれば、佐助の笑みはより一層深くなる。佐助とは大学に入ってから知り合った。幼馴染みの市とともに入学したこの大学で、市の高校時代の友人であるかすがに逢い行ったとき、かすがと一緒にいたのが佐助だった。私は中学高校と、全寮制の女子校に通っていたものだから、当然市の友人とは一度も会ったことがなくて。

「初めまして」

緊張しながらもふたりの前に立つと、ふたりは酷く驚いたような顔をしてそれから、佐助に思いっきり抱き締められた。耳元で"名前、名前…っ"と熱っぽく囁かれてぎゅうぎゅうと抱き締められる。女子校に通っていたために男性免疫がほぼ皆無の私は頭が真っ白になってしまい、市とかすがに助けられるまで、ずっとそのままだった。

「なに笑ってんの?」

あの頃を思い出して、くすくすと笑っていると、佐助が不思議そうに私の顔を覗き込んできた。

「んー? 一番最初に佐助と会ったときのこと思い出してたの」

あのときはびっくりしたなぁ、そう悪戯に微笑めば、佐助はバツが悪そうにごめんってと呟く。

「仕方がない。許してしんぜよう」

冗談混じりにふんぞり返って言ってみれば、佐助は"ははーありがたき幸せ…ってか?"と悪戯っ子のように微笑む。佐助とはまだ出会ってから一年も満たないのに、
まるでずっとずっと昔から一緒にいるような感じがする。
遠い昔から、ずっと。

『 姫さん 』

ツキンと、鋭く短い痛みとともに、脳内に一瞬だけ流れる映像。明るい橙色と迷彩柄、優しい声。

「名前ちゃん?」

はっと、弾かれるように映像が霧散する。目の前に、佐助の心配そうな顔があった。

「大丈夫? 具合悪い?」

綺麗に整った眉を寄せ、まるで自分のことのように、痛々しく顔を歪ませる佐助。

「う、ううん、大丈夫! 元気元気っ」

慌ててニコリと微笑み、拳を握って元気をアピールすれば佐助はそう…とほっとしたように表情を崩し、その琥珀色の双眸を柔らかく細める。いつも疑問に思うんだけど、佐助はときどき、酷く愛おしそうに私を見ることがある。別に私と佐助は恋人同士ってわけじゃない。たしかに一緒にいてとても心地よく感じるけれど、そういう雰囲気になったことも一度もない。ただ、佐助が愛おしそうに、柔らかく微笑む度、脳裏をかすめる、あの口元。

「ねぇ、名前ちゃん」

鮮やかな夕焼け色の髪をなびかせ、悲しみの色をたたえた、柔らかな微笑みを浮かべ、


「俺様のこと、好き?」
「俺様のこと、好き?」



重なる口元。どこか遠い昔に聞いた台詞が声が脳内に直接響く。意識を手放す前、最後に見たのは、あの時と同じ、佐助の泣きそうな顔。




夢を見た。
いつも同じ結末を迎える悲しい夢。私は武田信玄公の一人娘で、みんなからとても大切にされていた。毎日が幸せで、大好きなひともいた。けど、時は戦国乱世で、武将の娘は政略結婚が当たり前。

「姫様、伊達殿はとても変わった御方だと聞いております」
「でも非常に義理堅い方だそうで」
「きっと姫様を幸せにしてくださいますよ」
「えぇ…そうね」

女中たちがそろって私を励ましてくれる。輿入れは一周後。そして明日、私は躑躅ヶ崎館を出る。

「…今宵は、ひとりにさせてくださいますか」

普段はお付きの侍女やら女中が眠りにつくまで傍にいてくれるのだけれど、今日だけはどうしても、ひとりになりたかった。みんなも、そんな私の気持ちを汲んでくれたのか、布団と火鉢の用意を終えると、早々に立ち去って行った。部屋の隅に灯っている蝋燭をふっと吹き消し、訪れた闇を享受する。着物を肩に掛け、障子戸を引けば、弓のような細い三日月がこちらを見下ろしていた。

「姫さん」

後ろから、全く気配なくかけられる声。もう、慣れっこだ。

「お帰りなさい 佐助」

何も言わず、ただぼうっと月を眺めていると、佐助の呆れたような声が聞こえて、振り返って苦笑を浮かべれば、はぁ、と遠慮のないため息が聞こえて来た。

「さすけ」

呼びかければ、ぴくりと肩を震わせて、佐助は動きを止める。

「さすけ」

もう一度、囁くような声で名を呼べば、小さな声はすぐに暗闇に溶けていった。

「ねぇ 名前」

仄かな月明かりに照らされた私たち。佐助の琥珀色の瞳が、私を貫いていた。

「俺様のこと、好き?」

それは暗に、言葉通りの意味を示しているだけではない。その言葉の裏に隠された、悲しい忍の唯一の願い。その願いをかなえられたら、どんなにか、幸せだっただろう。

「…どうだろうね」

本当の想いは、あいまいな言葉で隠して。月明かりの下だったら、今にも泣き出しそうなこの瞳を、隠すことができるから。だから今だけは、目を背けていていて。




父上も幸村も、笑顔で見送ってくださった。籠に揺られながら、昨夜のことを思い返す。浮かぶのはただひとり。大好きで、愛しい、愛しいあのひと。

「さ、すけ…」



いつの間にか眠ってしまっていたらしい。突然近くで聞こえた馬の嘶きに、一気に意識が覚醒する。ぐあっとかあああという悲鳴に混じって、敵襲!という声が聞こえる。慌てて懐の中に忍ばせていた小刀を取り出すも、がくんと籠が揺れ、強い衝撃が身体を襲う。揺れがおさまり、横倒れになった籠の中。先ほどまでの悲鳴や怒号がおさまり、周りを支配するのは恐ろしいまでの静寂。恐る恐る、小刀を片手に籠から這い出ると、周りには赤い甲冑を身に付けた兵士たちの無残な屍。思わず口元を手のひらで覆えば、噎せ返る血の生臭い臭いが鼻に襲いかかった。

「おや、案外冷静だね」

静かな空間にぽつりと響いた声に、小刀を構えたまま勢いよく振り返る。そこにはべっとりと血がついた間接剣を片手に、優雅に佇む、白髪に濃紫の仮面をつけた男――竹中半兵衛が立っていた。

「……だれ」
「聡明と名高い君ならわかっているだろう?」

ぎりっと奥歯を噛み締め、小刀を握る力を強くする。武に熱い父から一通りの武道を叩きこまれているものも、小刀で、しかも名のある武将を倒すほどの実力はない。

「無駄よ」
「…何故だい?」
「私が死んだくらいじゃ武田は揺るがないわ」

こいつの狙いは伊達と武田両軍の壊滅。同盟の証である私が輿入れに向かう道中で何者かに殺害されれば、当然お互いの疑念が増し、あわよくば同盟破棄、そして戦へと発展する。どちらかが勝利するとはいえ、多大な犠牲が見込まれる。その弱まったところに、こいつ、豊臣が一気に攻め込む。よくできた戦略だ。だが、武田…父上はそんなことでは揺らいだりなどしない。伊達政宗公だってそうだ。そんなわかりやすい台本通りに動いたりするひとではない。
よって、

「無駄足だったわね」

私は迷いなく斬りかかれるの。




霞む視界に映るのは透き通るような青い空。息を吸う度にひゅうっひゅうっと鳴る喉は、焼けついたように痛い。腹部と肩、そして背中を襲う、激痛。自分から湧き出る血の量が自分がもう助からないということを如実に示していた。もう身体のどこにも力が入らない。このまま眠ってしまいたい。

「君には失望したよ」

随分前に豊臣の軍師はそれだけ告げると、去って行った。失望されるほどの期待をされていたとは到底思えないけれど、なんとなく自嘲の笑みが漏れた。

「姫さん!!」

遠くで、聞こえた愛しい声。それに反応して首を動かそうとするも、まったく動いてくれない。直後、音もなくただ風を巻き起こして、佐助が目の前に現れた。

「姫さん!」

即座に私の傷を見、意識があるのを確認し、脈をとる佐助。

「豊臣の竹中っ半兵衛が、武田と伊達の同盟破棄を狙って、奇襲…迅速に…っ信玄公に伝達せよっ…!」

途切れ途切れにそう命を下せば、佐助は顔を歪ませる。

「名前!」

声を荒げる佐助。その声が、あまりに悲痛で、詰めていた息をふっと吐き出した。

「…もう助からないよ」
「ふざけんな」
「自分でわかるもの」
「しゃべんないで」

とく…とく…とだんだん心の臓の音が小さくなっていくのがわかる。残された時間は、あとわずかだろう。佐助が必死に止血をしてくれているけれど、もう感覚がない。全身が、麻痺している。

「ねぇ、さすけ」

ぽつり、漏らした言葉はそのまま宙に消えていく。佐助が何も言わず、肩の傷を労わるように抱きあげてくれる。零になった距離が、素直に嬉しかった。

「ごめんね…」

昨日ごまかした本当の想い。伝えたなら佐助を縛ってしまうと思った。
佐助を、苦しめてしまうと思った。だけど、どうしても今、伝えなきゃと感じた。

「さ、すけが…っずっとずっと…好きだった……」

愛おしいその頬が血で汚れてしまうのも構わず伸ばした手は、すぐに佐助に捕らえられ、籠手を外した手と重ねられる。あぁなんて温かいのだろう。昨日あれだけ必死に堪えた涙が、堰を切ったように溢れてこぼれる。


「愛してる」


ぼやけていく霞む視界の中。最後に見たのは、泣きそうな顔で"あいしてる"と叫ぶ佐助の姿だった。





「目が覚めたか」

導かれるように閉じていた目蓋を開けると、飛び込んで来る真白い天井。頬が涙で濡れていた。

「急に倒れたんだ。猿飛も心配していたぞ」

布団に入ったままぼうとしていると、友人の凛とした声が響いた。ぼんやりとしたまま上半身を起こし、そのまままっすぐと前を見つめる。

「どうした? 名前」

視界の片隅に心配そうな顔をしたかすがが写る。

「かすが…」

目に映る世界は、倒れる前と今では、全く違う。

「私、行かなくちゃ」

ぽつりとこぼした言葉に、かすがは驚いたような顔をしていたが、そんなに構っていられなかった。上着も羽織らず、パンプスも履かずに、裸足でベッドから飛び降り駆け出す。頭を埋め尽くすのはあのいつも私の名前を優しく呼んでくれた穏やかな笑顔と最期に見たあの泣きそうな記憶。心の中を支配するのはただひとり。周りのひとが私を見て驚いたように目を丸くするのも視界に入らず、裸足の足が傷つくのも服が乱れるのも構わず走った。想いに導かれるように走り続けた。

「さすけ!」

見つけた橙色の髪。あぁあなたはあの頃から何一つ変わっていないのね。私の声に振り返り、姿を確認した途端やっぱり目を丸くして驚いた顔をする佐助にそのままの勢いで抱きつく。わっと小さく声をあげながらも、しっかりと抱きとめてくれる佐助。
何が何だかわかっていない佐助の鼻の頭にちゅうっと口づけを落とす。涙に濡れた頬を隠しもせず、溢れる想いのまま微笑む。


「ただいま、佐助」


待たせてごめんね。
先に逝ってごめんね。
思いだせなくてごめんね。
苦しめてごめんね。
ずっと待っててくれてありがとう。
変わらず想ってくれてありがとう。
ずっとずっと愛してくれて、ありがとう。
すべての想いを、そのひとことに託して。
驚いてずっと目を丸くしていた佐助が、やがてふわりと破顔して、今度は私の鼻の頭にキスをした。


泣きたくなるような恋をしました。

( おかえり、名前ちゃん )


thanks.n&h

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