ちょっと洒落たお店で美味しそうな料理たちに囲まれ。ふたりぶんの小さなクリスマスケーキを食べる。車の助手席から綺麗な夜景を眺め、大きなクリスマスツリーの下でプレゼントの指輪を左手の薬指にはめられながらプロポーズ、なんて思い描いたのは理想であって現実ではない。
だって今私の目の前にあるのは美味しそうな料理でもケーキでもなく、数式がずらりと並んだ数Uのプリント。
基礎よりも応用問題の数のほうが圧倒的に多く、補習ではなく補講の類のものというのがわかる。

12月24日。
本来なら学生はもう冬休みに入り、独り身をいいことに友達と馬鹿騒ぎするか、俗世間のイベントなんてなんぼのこっちゃいと開き直りひとり自宅で炬燵に入りぬくぬくを満喫するか、はたまた恋人がいる子は恋人と甘い時間をふたりきりで過ごすか。
過ごし方は様々とはいえ、残念ながら大学進学を希望している私はそのどれにも当てはまらない。
進学校に通っている以上、まあ例に漏れず大学進学を希望している訳だが、私は所謂特進クラスと呼ばれる超難関大学に進学を志望するひとたちが集まるクラスに所属しているため、もうすでに終業式を終えた今でさえも、こんな風に学校に登校し特別補講を受けているのだ。

「今日はここまで」

ぼーっと、ほぼ無意識で赤ペンを走らせていたのだが、今までプリントの解答と解説をしていた数学教師が手をぱんぱんとはたき、チョークの粉を落としながらそう告げたところで意識がようやっと完全覚醒する。
はねた金に近い茶色の髪を撫で付けた長身な彼。数学教師のくせに白衣を着ているのが特徴だ。

「きりーつ、れーい」

指名された生徒のやる気のない号令に従って礼を済まし、ほとんど赤マルで囲まれたプリントをファイルに閉じ、赤ペンやらシャーペンやらを筆箱にしまったところでお呼びがかかった。

「おーい名前ー」
「はーい」
「お前ちょっと残ってプリント整理手伝ってけ」
「えーなんでですかー」
「解説中ぼーっとしてた罰だ」

そういって数学教師の彼――リーバーは銀フレームの眼鏡をくいと押し上げ、悪戯に微笑んだ。実はその眼鏡は、私がプレゼントしたものなのだけれど。

「じゃーねー」
「またな名前ー」
「うん。またー」

先ほどのリーバーとの会話を聞いていた友人たちが、ご愁傷様だなんだと手を合わせながら帰っていく。手伝う気はさらさらないらしいその態度がいっそ清々しくて笑いを誘った。
荷物をまとめ、彼の待つ数学準備室に向かう。普段はなんのための準備室なのだろうと思うが、こういう時は非常に便利だ。
こつこつ、二回ノックをすれば、扉の向こうから、おー入れーという声が聞こえてくる。

「職権乱用ですよ?リーバーせんせ」
「うっせ。口実作るためには仕方ないだろーが」

湯気が立つコーヒーを飲みながら、彼がおいでおいでと手を振る。
一見乱雑ともとれないがきちんと整理されているらしい部屋の床に適当に鞄を置き、あちこちにあるプリントの山を崩さないように慎重に彼の元に向かう。

「これで許せ」

さらりと前髪を掻き分け、額に彼の口唇を落とされる。たったそれだけでも私の顔は茹蛸の如く真っ赤になってしまうから悔しい。

「はい、コレ」

照れ隠しにつんけんした態度でスカートのポケットに忍ばせておいた小さな箱を押し付けるようにリーバーに渡す。
我ながら可愛くない態度だとは思うが、恥ずかしいのだから仕方ない。

「ああ…いつもお前ばっかに用意させて悪いな」
「いいよ。わかってるし、私があげたいだけだから」

申し訳なさそうに眉根を寄せる彼の言葉にふるふると首を振る。
私とリーバーは、生徒と教師という間柄ながら、所謂恋仲という関係にある。
だからといって真面目な彼は私に手を出すことなど一切なく、実際のところ、生徒以上恋人未満という微妙な関係になっているのだが。
別にそれが不満とかじゃなくて、愛されてることがよく分かるから、私は十分満足していたりする。だけど、ときたま不安になったりするのも事実で。

「リーバーからは結婚指輪しか欲しくないから」
「そうだなーそろそろ式場も見とくか」

ちょっと、いやかなり頑張って背伸びして言ってみたんだけど、それすらも冗談のように返されて、少し、落ち込む。
いっそのこと拗ねてやろうかとも思ったけど、こういうかたちでもクリスマスイヴに大好きなリーバーと一緒にいられるんだもん。せっかくの時間を無駄にしたくない。

「ん、タイピンか…高かったろ?」
「んーん。そんなでもないよ」
「そうか? サンキュな」
「うん。…あっ」

早速クリスマスプレゼントを開けた彼の、建前として申し訳なさそうな顔をするものも、隠し切れない嬉しさが滲み出ているようなそんな笑顔に、気恥ずかしくなり視線を窓の外へと彷徨わせれば、真っ白くてふわふわとした、儚さと冬の象徴。天からの賜物がひらひらと舞い落ちているのを視界が捉えた。

「雪、だぁ……」

この地方で、こんなにも早く雪が降るのは珍しいこと。
あまりの美しさと同時に湧きあがるなんともいえない切ない気持ちに、胸がきゅっと小さく疼く。

「ホワイトクリスマス、だな…」

コーヒーをすすりながらそう呟くリーバー。外の寒さと室内の温かさに、ガラス窓が曇り、結露が起きている。ガラスの向こう、学生同士のカップルがふたり寄り添いながら幸せそうに空を見上げているのが目に入って。
それを羨ましそうに見ている自分の顔が酷く滑稽にガラス窓に写り、ぐりぐりと、曇りガラスに拳を押し当てて消した。
そんな私を見て、リーバーは少し悲しそうに苦笑した後、ぽんぽんと私の頭を撫でた。

「雪じゃあしょうがねぇ、送ってやるか」

白衣のポケットから取り出した、彼の愛車のキーを指先で回しながら、そうにこりと微笑まれ、私も"うん"と微笑み返した。




(このもどかしい距離でさえ、愛しく感じるから)


091217