こんこん、と軽快なノックの音がコーヒーの香りが立ち込める化学準備室に響き、どーぞと声を掛ければ遠慮がちに扉が開かれた。

「こんちー…阿近センセいますか…?」
「おー苗字か。いるぞ」

僅かに開いた扉の隙間から顔を覗かせたのは自分が担当しているクラスの生徒である苗字で。思わぬ人物の訪問に驚きつつも部屋へと招きいれてやる。

「どーした、冬休み早々学校に用か」
「吹部の練習!そーいう阿近センセは?」
「化学の補習だ」
「うわー折角のクリスマスなのにね、センセご愁傷様」
「うるせえよ」

マフラーを首に巻き、鼻の頭を赤くした苗字が本当に気の毒そうに手を合わせて来やがるから多少イラっとした。俺だって好きでこんな日に補習してる訳じゃねえ。赤点を取る馬鹿がいるから仕方なくやってんだ。そりゃ俺だって出来る事なら可愛い彼女と過ごしたかった。まあ現在進行形でいねえけど。ってかこの目の前にいるちまいのが気に入ってたり。我ながら教師の風上にもおけねえ。

「で、何の用だ」
「えへへ、阿近センセ彼女いないでしょ?」
「…何故知ってる」
「んー女の勘ってヤツ!そんで、そんな可哀想なセンセにプレゼントなのだっ」

図星を言い当てられ思わず口に咥えた煙草をポロリとこぼせば、苗字はにししっと白い歯を見せて綺麗にラッピングされた手のひらサイズの箱を差し出してきた。

「あ?なんだこれ」
「だから、クリスマスプレゼントだって」
「…俺もついに生徒に同情される程に落ちぶれたか…」
「失敬な!素直に喜んだらどうです?」

よよよ…と目頭を押さえ涙を堪えるフリをすれば仄かに赤く染まった頬をぷっくりと膨らませて拗ねる苗字。仕草だとか反応だとか、いちいち可愛いヤツ。

「で?随分と軽いが何が入ってんだ?」
「んふー、知りたい?知りたい?」

白衣のポケットに突っ込んだままの左手に右手に持ったプレゼントを持ち直し、新たな煙草を取り出す。驚くほどに軽いその箱をしげしげと見つめてそう問えば、苗字は悪戯っ子のような笑みを浮かべて詰め寄って来る。

「んだよ、気になるじゃねえか」
「にひっ!じゃあね、センセちょっと屈んでっ」

煙草を口に咥え、にやにやとガキみたいな笑みをたたえる苗字にデコピンをくらわすべく指を構えるが、あっさりと躱された。一矢報いることに失敗し、渋々ながらも苗字の要求に応え僅かに腰を屈ませれば、次の瞬間にはぐいっと凄まじい勢いでネクタイが引っ張られた。突然の張力に抵抗する間もなく俺の身体は前傾姿勢となり、咄嗟にうおっと声を上げた拍子に煙草が落ちた。

そして、押しつけられた、柔らかな熱。

目を瞑ることすらできない眼前には白い肌とふるふる震える長い睫毛。俺が引き剥がすよりも早く、一瞬にして離れた口唇。事態を把握するにはあまりに短い出来事に、俺の思考は柄にもなく完全に停止し、ぱちくりとひとつ瞬きをした。


「メリークリスマス、阿近センセ」


俺のネクタイを引き寄せたまま照れ臭そうに微笑んだ苗字は、それだけ言い残すとばたばたと慌ただしく準備室を後にした。

煙草とコーヒーの香りが充満する準備室に残されたのは俺ひとり。徐に綺麗に包装されたリボンをしゅるりとほどき、渡された箱の蓋を開ければ。そこに入った一枚のカードに、肺に溜まった空気を一気に吐き出してがくりと脱力した。

「……卒業するまで我慢する身にもなれよな……」

ぼそりと呟いた声は酷く掠れていて、目の前のビーカーに写った自分の顔が真っ赤に染まっているのが目に入り、もう一度はああああ…と大きくため息を吐いた。


『プレゼントは私の口唇ってことで!』


先生×生徒
101224