たとえこの想いが、
一生結ばれなくたって
きっと私は、ずっとあなたのことが好きなんだと思うんだ。




私のことが好きじゃないっていう佐助の気持ちが、改めてはっきりわかった日から一日経った次の日の朝。私の目覚めは最悪だった。安眠とは程遠い浅い眠りを繰り返すだけだったせいか、頭が重い。寝ようと目を閉じる度に「好きじゃない」っていう佐助の言葉が頭をよぎって、嫌になるくらいはっきり目が覚める。学校に行くのも憂鬱だ。
目は腫れぼったいの治んないし。鞄も体も重いし。何より、こころが一番重い。

「…今日はサボっちゃおっかな……」

不意に漏れた呟きが妙に現実味を帯びて、私の足を止めた。気晴らしに駅の方でも行ってみようかと思い、止めた足を駅方面へと向けた瞬間。

「むぐっ……!?」

突然後ろから体をおさえこまれ、口に何かを押しつけられた。抵抗する暇も、誰による仕業か確認する暇もなく。ほんのりと甘い香りを感じた直後、私は意識を手放した。







「ん……」

柔らかい感触、畳のにおい。重い目蓋をゆっくりと持ち上げると、そこには見慣れない木の天井が広がっていた。

「…え?」
「目ぇ覚めたか」

何が何だかまったく状況が理解できていないままぽつりと言葉を漏らすと、突然声を掛けられた。咄嗟に勢いよくがばっと起き上がれば自分が布団の中に、制服のまま寝ていたことがわかった。

「だ、伊達…?」
「Good morning」

声のした方に視線を投げかけると、そこには着流し姿で悪戯な笑みを浮かべた同じクラスの伊達政宗が立っていた。

「手荒な真似して悪かったな」
「え、ちょっ、待って。全然状況がわかんないんだけど」

ここがどこなのか、どうして私がここにいるのか、何故伊達がここにいるのか。記憶を辿ってみても、今日は学校をサボろうと思って駅方面に足を向けた直後、何かを嗅がされて意識を手放したことまでしか思い出せず、どう考えても伊達と結び付くことはない。どかっと柱の傍に腰を下ろした伊達がにやっと笑って口を開く。

「Ok、説明してやる。此処は俺の家だ。そんでお前を攫ったのは俺の手の者だ」
「………は?」

開いた口が塞がらないとはこのこと。頭の中には疑問符がひしめいている。
なんで?どうして?理由は?目的は?目が点のままの私に構うことなく伊達は説明を続ける。

「俺がここら一帯を占めてる伊達組の若頭ってことはお前も知ってるよな?」
「え、あ、うん…そりゃ有名だし…」
「んで、俺が昨日の夜にうちの組のモンに指示出して、お前を攫って来るように命じたってわけだ」
「な、んで……?」
「それはこいつから聞いた方が早ぇだろ」

そう言って、伊達が障子を後ろ手でがらっと開ける。

「ゆ、きむら……」

そこに立っていたのは制服に身を包み困ったような笑みを浮かべた幸村だった。

「え、なん、で、幸村が、ここに…? 学校は?」
「今日は休むと、お館様に連絡しているでござる」

幸村は障子を後ろ手で閉めると、布団の中で座ったままの私の傍まで近づきそして、土下座した。

「幸村!?なにして…!?」
「先日は、我を忘れ暴走し、名前殿に怖い思いをさせてしまい、誠に申し訳なかった」
「ゆきむら…」
「謝っても許されることではないと承知のうえだが、どうしても謝っておきたかったのでござる」
「そんな……頭、上げてよ」

私の言葉に、幸村はゆっくりと頭を上げる。寄せられた眉根が、痛々しかった。すぅっと息を静かに吸う。幸村にだけ、一方的に謝られるなんてそんなの、嫌だ。

「…たしかに、あの時の幸村は怖かったよ。けどさ、そんなの今となってはもう関係ないよ」
「名前殿……」
「だって私は……幸村を傷つけた」
「っそれは……!!」
「何も言わないで。その事実だけは変わらないし、曲げたく、ないから」

私は、幸村を傷つけた分の傷を背負ってこれから生きて行かなきゃならない。重いとか、考えすぎだとか言われるかもしれない。でもこれが、私なりの幸村への罪滅ぼしなんだ。

「だから、おあいこ。ね?」
「…うむ!わかり申したっ」

言い聞かせるように首を傾げた私に、幸村もようやくにっこりと笑って頷いてくれた。
よかった。また、元通り、仲良くなれるんだ…。

「おい、和むのは別に構わねぇが、早くしねぇと計画が狂うぞ」
「む。そうであった」

幸村とにこにこと笑いあっていると、不意に今まで黙っていた伊達が声を掛けて来た。

「けい、かく?」
「うむ。…某、名前殿には幸せになって欲しいのでござる」
「え、…いきなりどうしたの…?」
「…ずっと、考えていたでござる…佐助と、名前殿のこと…」

その名前は今一番聞きたくない名前。今一番、私を乱すひとの名前。忘れていた胸の痛みが、またじくじくと疼き始める。

「このように政宗殿に御頼み申して名前殿を攫って、危険だと嘘の情報を佐助に伝えれば、佐助は必ず名前殿を取り戻しに来てそして…!」
「幸村」

拳を握り、熱く、それでも悲痛な響きを伴った幸村の言葉を静かに遮る。幸村の気持ちはありがたかったけど、それ以上に、つらかった。

「猿飛は来ないよ」
「っそのようなことは…!」
「来ないよ」

真っ直ぐ前を見て、無感情に言葉を紡ぐ。

「だって私は、猿飛にとって、なんの意味もなさない存在だもの」

彼女でも、友達でもない。ただ、傍にいただけ。好かれてもなければ嫌いにもなってもらえない、まるで空気のような存在。それでもうらやましいと感じるひとはいるのかもしれない。でも、傍にいて一番近くにいるのに。その瞳に、自分が絶対映ることがないのはとても、とても辛いことなんだ。

「猿飛は、絶対来ないよ」

もう、いいんだ。決めたんだ。いくら想っても、届かなくても、想ってもられなくても。それでも、いい。好きになってもらえなくてもいい。嫌いになられたって構わない。それでも私は、佐助が好きだから。想うだけなら、許されるよね。

「名前殿……」

名前を呼ばれて幸村に視線を戻すと、幸村はあの時と同じ、今にも泣きそうな酷く悲しい顔をしていた。

「ごめんね幸村。私のこと想って、してくれたのに」

そう微笑めば、幸村は俯き、ふるふると頭を左右に振る。なんとも言えない罪悪感に襲われ、そのふわふわな頭をそっと撫でてみた。

「伊達も、ごめん」

幸村の後ろで何も言わずに腕を組んで柱に背中を預けていた伊達に声を掛ければ、ゆっくりと伊達が立ちあがった。少し崩れた裾を直した伊達が、こちらを見据える。長い前髪から覗く彼の左の瞳が、静かにこちらを見ていた。

「…別にお前がどう思ってようが構いやしねぇ。だがな、現実ってのはそう自分の思い通りにはいかないもんだぜ」

そう静かに告げた伊達はそっと障子に手を掛けて部屋から出る。閉じられた障子を見つめながら、伊達の言葉の意味を考えてみる。伊達は一体、何が言いたかった…?理解できない焦燥感と戸惑いを感じていると、何やら障子の向こうからどたばたと騒がしい音が聞こえてきた。怒鳴り声や大きな声も聞こえてくる。それらが一通り静かになったとき、ひとつの荒い足音がどたどたとこちらに向かってくるのがわかった。幸村とふたり、音の方に視線を向ける。障子の向こう、見える影はふたつ。ひとつは伊達の。もうひとつは…

「Hey、随分遅いお出迎えじゃねぇか猿」
「随分と手荒い歓迎されたもんでね」

特徴的な、低い声。聞き間違えることのない、夢にまで見た愛しい声。あんなに恋焦がれた、佐助の声だ。

「Oh…sorry、あのくらいお前なら簡単だと思ったんだがな。俺の見込み違いだったみたいだ」
「…ねぇ、俺様今すっごいイラついてるんだ。だからあんまり怒らせないでくれる?キレちゃいそう」

好戦的な言葉に挑戦的な瞳。きっと今あのふたりの間には見えない火花が飛び散っているのだろう。

「ねぇ、さっさと名前ちゃん返してくんない? 俺様急いでるんだけど」
「I decline it、何故お前に名前を返さなきゃならねぇんだ? 別にお前のモンじゃねぇだろ」

障子越しでもわかるくらいぴりぴりとした空気が伝わってくる。なんで佐助が、ここに…?今更ながら疑問がわきあがる。なんで、来てんの。来るハズがない。そう信じ切っていた人物が現実に現れて、私の脳は何も考えることができないまま完全に思考停止に陥っていた。唯、交わされる会話に耳を傾けるだけ。それしかできない。

「……アンタには関係ないだろ」
「Ha!It is an effeminate guy、答えられねぇのか」
「…うるさい」
「じゃぁ何故来た。答えられないようなどうでもいい存在なんだろ? だったら放っておけばいい」
「…うるさい」
「あいつが誰のモノになったってお前には関係ない。そうだろ?」
「うるさい」
「ましてお前が口出すなんて、それじゃまるで…」

ばしんっ!と、弾けたような音がして、障子に写った影。佐助が伊達を殴っていた。いや、正確には伊達が佐助の拳を掌で受けていた。

「…それ以上言ったら、許さない」
「……それほど名前が大切か」

その伊達の問いに、思わず耳を塞ごうとするが、その手は幸村の力強い腕によっておさえられてしまう。何故と視線を向ければ静かに首を左右に振る真剣な幸村の瞳とかち合った。あぁどうして。もうこれ以上、私の痛々しい恋ごころを浮き彫りにするような佐助の発言は聞きたくないのに。もう、これ以上傷つきたくないのに。ぎゅっと強く目を瞑れば、視覚を封じた分余計に聴覚が鋭敏になってしまった。そんな私の耳に飛び込んできたのは、思いもよらない、言葉。


「あぁ、大切だよ」


佐助のそんな声が聞こえたと同時に勢いよく障子が開く。今のは聞き間違い…?さすがに今回は自分の耳を疑った。でも、障子を開けた佐助が、ものすごく必死な顔で私を見て、いまだ私の腕を掴んだままの幸村の腕をほどいて、いとも簡単に私を抱きあげる。

「さすけ!!」

そんな幸村の静止の声を振り切って、佐助は私を抱えたまま走り出す。私は何が何だかわからないまま、次々とうつり変わる景色をただ呆然と眺めていた。








「……猿飛」

伊達の家から飛び出して、5分くらい走り続けた後、佐助は私を抱えたまま何も言わずに歩いていた。

「猿飛、放して」

連れ出された時からずっと抱えあげられていて、思わず掴んでいた佐助の制服を少しだけ引っ張った。佐助は少し歩いたあと、そっと私を下ろしてくれる…けど、すぐに腕を掴まれた。

「猿飛」

ぐいっと引っ張っても放してもらえない。それどころか更に力を込められてしまう。

「猿飛」

もう一度、今度は強く腕を引く。それでもやっぱりびくともしなくて。

「猿飛!」

精一杯の力で腕を引きながら地面に向かって叫んだ。佐助が、何したいのかわからない。佐助の考えていることがわからない。もうこれ以上、振り回されたくなかった。
傍に居なかった時より、傍にいたときのほうが辛い。近ければ近いほど、痛い。
なのに……

「さ、ると…び……」

どくどくどく…心臓の音が聞こえる。私の?いや違う。これは…佐助の、鼓動だ。

「ちょっ、放し…!」

抱き締められている。そう認識したと同時に、私は佐助の胸を押して佐助から放れようと試みた。けど逆に、それ以上の力で抱き締め返されて。息が、苦しくなる。

「さ、るとびっ!!」

それでも必死に佐助の腕の中でもがく。こんなことしちゃいけない。私と佐助はそういう関係じゃないんだから。駄目だ。離れなきゃ。じゃないと、また、想いが溢れてしまう。離れなきゃ。離れなきゃ。その想いだけが、私の心を支配していた。

「……とき」
「え…?」

佐助が、なにかを呟いた。けど、そのあまりに小さな呟きを、私は聞きとることができなくて、思わず聞き返してしまう。

「名前ちゃんが攫われたって聞いたとき、本気で、頭が真っ白になった」

ぽつぽつと、でも辛そうに顔を歪めて佐助は語りだす。

「気付いたら教室飛び出して、走ってた」

辺りはまだ明るくて。でもひとは誰ひとりいなくて。道路の隅で、私は抱き締められるがまま立っていた。

「それくらい、本気で焦った」

私を抱き締めている佐助の腕が、小刻みに震えていて。別に悪いころなんてしてないのに、ずきりと、胸が疼いた。

「いくら名前ちゃんのこと好きじゃないって否定し続けても、胸は痛くなる一方で…その分…想いも、募って」

佐助は一体なんの話をしているのだろう。言葉が耳から入って来て、脳に達する前に零れていく。それほど私は動揺していたのだ。

「かすがにフラれて、またすぐに別の奴を好きになるなんて、軽い男みたいで、なんか嫌で」

フラれる…?あぁ、そうだ。佐助はかすがにフラれて…好きになる…?誰が、誰を?

「でも、鬼の旦那が『恋に時間なんて関係ねぇ。好きになったら好きになったでちゃんと受け止めろ』って…。たしかにその通りだと思った。けどやっぱり心のどっかで否定してて…」

佐助の腕の力がまた強くなる。苦しいハズなのに、なぜか、辛くなかった。佐助の優しい温もりが、伝わって来たから。

「でも、今日、名前ちゃんが攫われたって聞いた時の、あの心臓が凍るような想いとか、今この腕の中に名前ちゃんがいるっていう安心感とか……そういうの全部合わさってやっと認められた」

そこまで言って、佐助はそっと私を放す。肩に置かれた手はそのままに。佐助の、真剣な瞳が私を貫く。


「俺は、名前ちゃんが好きです」


告げられた言葉の意味を捉えるのに、数十秒かかった。

「嘘……」

ほとんど無意識のうちに言葉が出る。本当だと信じられなかった。いや、信じちゃいけないと心のどこかで思っていた。もうこれ以上傷つくのを怖れて。

「嘘じゃない」

でも、佐助の瞳が、肩に置かれた手に込められた力が、全部が全部、真剣そのもので。


「好きなんだ。名前ちゃんが」


もう一度告げられた言葉は、正真正銘、今度は胸の奥底にまで沁み渡って。不意に零れた涙を拭ってくれる佐助の指の温かさが、これが夢じゃないことを物語っていて。

「ふっ、うぇ……っく」

堪え切れなくて、溢れだした涙。泣きじゃくる私の耳もとで、佐助は甘く優しくそっとこう囁くんだ。





(嬉しくて、嬉しくて、涙が止まらなかった)



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