頑張って、忘れようとした。
けどやっぱり、
あなたの笑顔がちらついて。
涙が、止まらなくなるんだ。




幸村と付き合い始めて一週間が経つ。相変わらず、幸村を"好き"にはなれなかったけど。幸村が、私のことをとても大切にしてくれてるのが、よく分かって。一緒にいて、心地良かった。けどそんなある日。中学時代から仲良しの慶次が突然うちのクラスに来て、『帰り、空いてる?』と、私に尋ねて来た。ちょうど、幸村が用事があって一緒に帰れなくなったと今日言っていたことを思い出し、ひとことふたことで承諾し、慶次と私は放課後、お茶をしに行くことになった。


慶次が向かった先はふわふわとした、いかにも女の子が好きそうなお店で、同じ街に住んでいながらこんなとこがあるなんて知らなかった自分が女子として酷く情けない。でも慶次だからこそ知っていたというのは大きいかもしれない。なんていっても恋話大好き慶次だし。

「名前は、さ」

おいしいケーキに舌鼓を打っていると、コーヒーを啜っていた慶次がそっと口を開いた。

「今、幸せかい?」

まっすぐと、そう問われ。その澄んだ綺麗な瞳に、すべて、見透かされているようで、慌てて視線をそらした。

「う、うん。幸せ、だよ?」

少しどもりながらも頷き返せば、慶次はしばらく私を見つめてから、"そっか"と視線を外した。

「……」
「………」

気まずい沈黙。いや、気まずいと思っているのは私だけかも知れない。負い目があるのは、私だから。

「名前さ、猿飛のこと、好きだろ」

またも沈黙を破ったのは慶次だった。

「…は?」
「何年の付き合いだと思ってんだって。俺にはバレバレだぜ?」

思わずぽかんと口を開けたまま呆然と慶次を見やれば、口元を柔らかく弧に描いた慶次が悪戯な微笑みを浮かべていて。こいつにはかなわないと、そうぼんやり思った。


「相談してくれんの、俺待ってたんだけどなー」

そういって拗ねたようにこちらをジと目で見てくる慶次に、思わず苦笑する。慶次には、ごまかしが通用しないから。

「昔は名前が俺の相談にのってくれたんだ。だから今度は俺が名前の相談相手になってやるんだって意気込んでたのにさー」

中学のころの想い出話をする慶次に、私も思わず懐かさに顔を綻ばす。あのころは、何も考えずに、毎日が楽しかったのに。いつからだっけ、こんなに苦しくなったのは。
いつからだっけ、自分の想いに素直じゃなくなったのは。

「俺と名前にはそういう絆があんだからさ」

そう言ってからりと笑ってくれる慶次。今更ながら自分はなんて友達に恵まれてるんだろうと思った。

「慶次…」
「だからさ、言わせてもらうぜ」

慶次の表情が真剣なものになる。今度は目を逸らすことは、できなかった。

「本当に、幸せなのかい?」

慶次の瞳に、言葉に、視線に。まっすぐ射抜かれて動けない。息が、酷くし辛かった。

「…ごめんな。そんなのわかんないよな」

いっこうに口を開こうとしてに私を見て、慶次は申し訳なさそうに、眉根を下げ、苦笑する。こんな顔をさせてしまっているのかと思うと、胸が苦しくなった。

「…本当に好きなひとの傍にいられるのって、すげぇ幸せなことなんだよ」

コーヒーカップの中でゆらゆらと揺れる黒い波紋を見つめながら、慶次がぽつりと呟く。

「だからって"別れろ"とか、"相手の気持ち考えろ"なんて言わない。名前は全部、わかってるハズだからさ」

慶次の視線は未だ下を向いたまま。流れているBGMは、ひとむかし流行った悲恋を唄う哀しげな曲で、可愛らしい店の雰囲気に、酷く不釣り合いだとふと思った。

「でも」

慶次の言葉が途切れ、私はゆっくりと顔をあげ、意識を慶次の言葉へと集中させる。慶次の真剣な瞳が、私を捕らえた。

「本当にそれでいいのかい?」







『本当にそれでいいのかい?』


「名前殿?」

突然、名前を呼ばれたと同時に、視界いっぱいに広がる幸村の顔。

「わわっ!」

驚いて、思わず数歩後ろに飛び退いてしまう。そっか…ぼーっとしてた…。幸村と帰る帰り道。今日は部活ナシの日だから、陽もそんなに傾いていない。不思議な顔をしたままの幸村が何も言わずに首を傾げていた。

慶次と、お茶をしに行ったあの日。私は慶次の言葉に、何も答えることができなかった。まったくと言っていいほど、頭が働いてくれなかったのだ。だから、慶次と別れた後、家への道のりの間中も、家に帰っても、寝ることも放棄してずっとずっと、考えていた。考えて考えて、必死に考えて出た答えは…

「名前殿?」

気付けば先ほどよりずっと心配そうな顔をした幸村が私の顔を覗き込んで来ていて。

「どうかしたでござるか?」

本当に心配そうに、自分のことのように眉根を下げてこちらを窺う幸村。

『本当にそれでいいのかい?』

慶次の言葉が、頭の中に響いた。

「ゆ、きむら」
「む?」
「別れよ」

目を見開き、私を見つめたまま固まる幸村。
これが、私の出した答え。もう、迷わない。迷ったり、しない。

「…な、ぜでござるか?某、慰めでも全然構わないでござる…!いずれ。名前殿が某のことを好きになってくだされば、それで…!!」

幸村は、本当にイイやつだ。こんな私を好きになってくれて、真剣に想ってくれて、まるで宝物みたいに大切にしてくれて。…けど、

「確かに、幸村に悪いって気持ちもある。けど、別れたい理由はそれじゃない」

幸村は眉間に皺を寄せて、困惑とも憤りともとれる、今まで見たことも無いような顔をしている。私が、優しい彼にこんな顔をさせているのかと思うと、少しだけ、胸がつきん…と痛んだ。

「なぜ…でござるか…?」

幸村が、普段からは考えられないくらい、静かで、抑揚のない声で問うて来る。私はひとつ、大きく息を吸って、そして、こころを落ち着かせてからゆっくりと口を開いた。


「幸村のこと、好きになれない」


そう。これが答えだ。


「私が好きなのは、佐助ひとりだから」


自分に正直になって、他の人とか周りとか、そんなこと一切考えずに出した、私の、本当の気持ち。ずっとずっと前から、もうわかっていたこと。やっぱり私は、佐助が好きなんだ。

「本当に、ゴメン」

そう言って私は幸村に頭を下げる。本当に、最低なやつだと思う。幸村の優しさに付け込んで、真剣に想ってくれている幸村の想いから目をそらして、私は、彼を逃げるための言い訳にしたのだ。謝っても、謝りきれるものじゃないけど、それでも頭を下げ続ける。だって、謝る以外にどうしたらいいか、私は知らないから。

「……な…」

しばらくの静寂のあと。幸村が、何かをぼそりと呟いたみたいだけど、その声があまりに小さくて、聞きとることができなかった。

「え?」

思わず顔を上げると、そこには見たこともない恐い顔をした幸村がいて。

「ゆき、むら…?」

私はなんだかとても恐くなって、ずり…と足を引きずりながら一歩後ずさりした。すると、幸村は下がった分だけ、一歩、こちらに近づいてくる。

「…俺がどんなに想ったところで、意味はなかった訳でござるか」

気付いたときには、もう後ろには塀が迫っていて、とんっと軽い音を立てて肩が塀につく。これ以上、私に逃げ場はなかった。けど、幸村は足を止めない。

「ど、どうしたの幸村…いつもと違……」

戸惑い、震えそうになる声を必死に押し殺して尋ねた瞬間。どんっと、顔の両脇に幸村の腕が乱暴に置かれた。

「ふざけるな」

いつもより、ずっとずっと低い声。見たこともない、昏く光る瞳。強引に私の顎を掴み、顔を近づけてくる幸村に、私は純粋な恐怖を覚えた。恐くて恐くてたまらなくて、どうしたらいいのかも、どうしてこうなってしまったのかもわからず、思わず目をつぶった瞬間。ドゴっという鈍い音が響き、私の顎を掴んでいた幸村の手が唐突に離れていった。いまだ恐怖は残るけれど、反射にも近いかたちで思わず目を開けると。そこに立っていたのは、ここにはいないはずの、酷く懐かしい、恋焦がれた人物。

「…さ、すけ……」

恐る恐る口にした名前は、その場にぽつん…っと消えて行った。ぜいぜいと、肩で息をした佐助が、倒れている幸村をにらみつけていた。

「……」
「……」

倒れたままの幸村は血が滲んだ口元を親指で拭っている。まるで熱にうかされたみたいに頭の芯が痺れ、ぼうっとしていてうまく理解できない。もともとそんなに性能はよくない脳だけれど、ここまで役に立たないのは初めてだ。目から取り入れた情報を、ようやく動きだした脳が整理して出した答えはひとつ。佐助が、幸村を殴った…?なんで…?どうして…?頭の中が混乱していて、体を動かすことは愚か、声を出すこともままならない。いまだ息が整っていない佐助は幸村のことを黙って睨みつけていたけど、突然こちらを向くと、私の手を取り、

「…行くよ」

と、低く呟いた。

「…え……」

私は何も言えず、少々強引な佐助に引っ張られるがままに震える足で歩き出した。

「ゆ、きむ…ら……」

最後に見た幸村の表情は、酷く悲しげで、今にも泣き出しそうなものだった。







「放して、猿飛」

あれからどのくらいの時間が経ったのだろうか。ようやく頭が冷え、状況を整理し理解し始めた私は、低く唸るように声を発した。冷静になった今、最後に見た幸村のあの表情が思い出され、痛いくらい胸が苦しくなった。

「猿飛」

聞こえているのかいないのか、佐助はずんずんと進む足を止めない。掴まれている手首が、かすかに赤くなっているのが見えた。

「猿飛!」

もう一度大きな声で佐助を呼ぶと同時に、私は足を止めた。ぴたりと、ようやく佐助も足を止める。

「…放して」

掴まれている手を軽く引っ張って懇願してみるけど、佐助はそれを許さず、逆に腕の力を強くした。容赦なく手首を掴まれ、途端走る鈍い痛みに眉を顰める。

「放してってば」

そう低く呻いても、佐助は手を放してはくれない。本当ならお礼をするところなんだろう。助けてくれて、ありがとうと。でも、どうしてもそんな風に思えなかった。
ただひたすらに悲しかった。胸が苦しかった。やめて欲しかった。
こんなこと、しないで欲しかった。勘違いさせて欲しくない。佐助は、私のことなんて好きじゃない。知ってる。そんなこと知ってるし、痛いほど、よくわかってる。けど、こんなことされたら、誰でも勘違いしたくなる。ましてやそれが、いまだに忘れられない、好きなひとならば。

「放してってば!」

足元に視線を落としたまま、叫ぶように声を発する。佐助の顔なんて、見れなかった。

「……俺さ、名前ちゃんが傍にいなくなってから、イライラが止まんないんだわ」

突然、ぼそりとその場に放たれる言葉。その声に反応するかのように、ゆっくりと顔を上げる。佐助の瞳が、私の瞳を捉えた。

「…この感情が何なのか、まだよくわかんないけど……」

目が合ったのは一瞬で、次の瞬間には気まずそうに視線は外されてしまった。私は何も言えずに固まったまま佐助を見つめる。だけど、もう一度佐助がこちらを向いたとき。その真剣な瞳に、ドキリと心臓が高鳴った。


「傍に、いてよ」


佐助の言ってる言葉の意味なんてよくわかんないのに。私の目からは次々と涙が溢れだして来て。まだ、佐助の手に腕を掴まれたままだから、泣き顔を覆い隠すこともできずに、ただ子どもみたいに声をおさえて泣きじゃくってしまう。

「泣かないでよ…」

困ったように笑いながら、私の涙を拭ってくれる佐助の指が優しくて、温かくて。
また、涙が溢れた。




(あなたに想われるならそれで、)



100114