あなたの視線の先。
私がいたらって。
何回、願っただろう。




佐助がかすがに告白して振られた日から、私は一度も屋上に行っていない。そしてあれから一度も、佐助とは話していない。クラスでも、佐助とは目を合わせないようにしている。あからさまにならない程度に、ごくごく自然に、気付かれない程度に、距離をおいて。避けてる。だって、もう佐助と私の間には何もなくなってしまったから。

"自分の親友のことが好きなやつの相談相手"

そんなカテゴリー、佐助がかすがに告白した時点で、もうとっくの昔に効力を失っている。だからもう、全部終わらせるんだ。この恋も。この、想いも。




佐助と距離をおくようにし始めて一週間が経った日のこと。

「ねぇ」

放課後。今日は部活もないし、さっさと帰ろう。そう思って、週番の仕事を終え、荷物を鞄に詰め込んで廊下に出た時だった。後ろから、呼び止められたのは。

「ねぇってば」

もう一度、呼び止められる。振り返らなかったんじゃない。振り返れなかったんだ。だって、

「名前ちゃん」

あまりによく知った、聞き間違えることのない、声だったから。

「なんで、俺様のこと避けてんの」

私のすぐ後ろまで近づいた佐助がそう告げる。振り返れないから見えないけれど、きっと、ポケットに手を突っ込んでふてくされた顔をしているんだろう。

「…別に、避けてないよ」

肩に掛けたバックの持ち手をギュッと強く握る。力の入りすぎた手が白くなっているのが、視界の端にちらと見えた。

「嘘つき。思いっきり避けてんじゃん」
「避けてないってば」

やめて。

「じゃあ何でこっち向かないのさ」

やめて。やめて。これ以上、近づかないで。

「…もう私ら、何の関係もないじゃん」

カキーン...と、窓の外から野球部の練習の音が聞こえて来る。


「…何、ソレ」


佐助の声が1トーン、低くなった。

「普通に、今まで通りでよくない?お友達、でさ」

…佐助、怒ってる。鞄の持ち手を今度は両手でギュッと握る。何かに掴まって何かに縋っていないと、自分の足元が崩れ落ちて、ひどい悲しみに呑まれそうだった。

「だから、無理だって」

なるべく、感情をおさえて、そう低く呟く。

「名前ちゃん、いい加減に……っ!」

静かに声を荒げた佐助が私の肩を掴んで無理矢理後ろを振り向かせる。けど、その手の力はすぐに弱まった。なぜなら…

「…名前ちゃん、なんで、泣いて…」

佐助は頬に涙が伝っていく私の様子をただ呆然と凝視して、目を見開き、驚いたまま固まっていた。それを見て、今までずっと隠してきた想いが、おさえてきた感情が、爆発してしまった。


「好きだからだよ!」


廊下にキン…と響く私の甲高い、声。

「猿飛のこと好きだから、だから友達はムリなのっ!!」

そう叫んで、未だ肩に置かれていた佐助の手を振りほどく。佐助は信じられないといった様子で、私のことを凝視したまま。

「…猿飛の…佐助のこと、ずっと、好きだったから、だから…相談、のってたんだよ…」

溢れてしまった。まるで決壊だと思った。想いが。こころが。決壊して溢れてしまった。
…もう、これで、佐助の傍にはいられない。

「……さよなら」

私を見つめたまま固まっている佐助を見やることもせずに、私はその場から走り去った。グラウンドから聞こえてくるやけに甲高い女子の声援が、妙に耳に残った。







北校舎特別棟の階段の踊り場。私はへたりとその冷たい床に座り込んでしまった。

「…っ、ひっく…」

掠れた小さな呻き声が人気のない廊下に虚しく響く。よかったんだ。
これで、よかったんだ。そう自分に言い聞かせて顔を両手で覆う。
決めたんだ。もうこの恋は終わらせるって。もう話さない。もう想わない。もう願わない。そう決めて、サヨナラしたんだ。なのに…

「…なんで…泣いてんの、私……」

やっぱり、2年間の想いはそう簡単に消えるハズなくて。悲しさと苦しさで、今にも押し潰されそうだった。その時。

「…苗字、殿?」

不意に呼ばれた先、私は弾けるように顔をあげた。

「さ、真田……?」

目の前に立っていたのは同じクラスの友人の真田幸村だった。学校指定の半袖半ズボンのジャージを着ているから、部活の途中なんだろう。差し込む夕日が、彼のこげ茶色の髪を赤く染めて、彼とよく似た橙色に見せていた。佐助の幼馴染みで、かすがとも面識があるらしい彼は、酷く純情で、みんなでよくそれをいじったりもする。一緒にいて気張らなくて済む数少ない友人のひとりだったりする。…まぁ彼も、佐助と同じで女子から絶大の人気を誇っているので、あんまり傍にはいられないけど。

「あー…ゴメン」

私を見て固まっている真田。きっと私が泣いているのを見て驚いているのだろう。
ごしごしと、制服の裾で目を擦る。バツ悪くて、ゆっくり立ち上がろうとしたとき、不意に全身に訪れた、少し硬くて、温かい、ひとの、温もり。抱き締められているのだと理解するまで、約十数秒の時間を要した。

「ちょっ…さ、なだ…!」

慌てて真田から離れようと、ぐいぐいと真田の胸板を押すけど、ビクともしない。
いつもの破廉恥発言が彼の口から飛び出す様子もない。驚き過ぎて、涙も止まってしまった。

「…佐助、で、ござろう…?」

ぼそり。真田がそう、耳元で囁いた。

「…え?」
「佐助のせいで、泣いてるのでござろう?」

なんで、真田がそのことを知ってるのかとか。どうして私が、佐助が原因で泣いてるのかわかったのかとか。なぜ私を抱き締めているのかとか。聞きたいことはたくさんあったはずなのに。

「…知っておられるか?某、苗字殿のことをお慕いしていたのでござるよ?ずっと、ずっと…」

真田のこのひとことで、私は何も言えずに固まってしまった。

「…苗字殿が、佐助のことを想っていることは重々承知でござる。しかし、某だったら、絶対に苗字殿のことを、このように、泣かせたりはせぬ。…だからどうか、某に……俺に、してくだされ……」

掠れたような、まるで懇願するようなその囁きが、あまりにも真剣で、切実で、抱き締めている腕の力があまりにも優しくて、力強くて。その温もりに私は、抵抗するのを止め、どくどくという鼓動が響く真田の胸に、そっと寄り掛かってしまったんだ。



あとから追いかけて来た佐助が、それを見ていたのも知らないまま。



(どうにもならないの)



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