「名前!名前!」

うららかな陽射しの下、屋敷の中庭に梵天丸の明るい声が響く。

「梵さま此処に、名前は此処におります」

縁側より急ぎ下履きを引っ掛けて梵天丸の元へ駆け寄れば、無邪気な笑みを浮かべた梵が両手いっぱいの花を携え立っていた。

「見ろ!綺麗がいっぱいだ!」

ほくほくと花に顔をうずめるように梵天丸は色とりどりの花を抱え、名前へと差し出す。その愛らしい様に名前は口元を緩め、穏やかな笑みを浮かべた。

「梵さま、綺麗をたくさん見つけられましたね」
「ああ!母上に差し上げるのだ!」
「左様ですか、では和紙を御用意致しましょう」

義姫さまにぴったりの綺麗な紅色にいたしましょうね。
名前はそれだけ告げて屋敷へと足を向けた。名前の帰りを待ち、梵はまたしゃがみ込み、庭に植えられた子ぶりでかわいらしい花をぷつりぷつりと摘み取る。

かたり、と小さな音が響いた。
ふとそちらに梵が顔を向ければ美しく重厚な着物に身を包んだ義姫が脇見もせず廊下を歩いていた。

「は、母上!」

気付けば梵は走り出していた。両手に抱えた花で転びそうになりながらも。今なお濡れ縁を進む自らの母に必死に語りかけた。

「あ、あの、これ…とても綺麗だったので、母上に差し上げたくて……」

おずおずと両手いっぱいの白い花を差し出す梵。その小さく細い指が義の着物に触れそうになった刹那、鈍い打音が辺りに響き渡り、可憐な白い花が宙を舞った。

「この汚らわしい忌み子が!二度と義に触れるでないわ!!」

美しい顔を醜く歪め、きりきりと甲高い怒声を上げた義は重厚な着物の裾を翻しその場を去る。地に落ちた白い花は首が折れ、無残にも散らばっていた。

「…いみ、こ……」

光を宿すことなく虚ろな色を帯びた梵の瞳が光を纏う花弁を捕え、何の表情も浮かべることなくその儚い白を踏みつぶした。

「梵が、みに、くいから」

ぐりぐりぐりと、地に磨り潰すかのように。真白い花弁が、黒く、茶色く汚れていく。首が折れ、葉は千切れ、花弁が変色していく。溢れ出すやり場のないどす黒く悲しみを帯びた感情を吐き出すように、何度も、何度も、梵は花弁を踏みつぶした。
ふと白く滑らかな手が視界に映り、はっと梵は動きを止める。

「梵さま」

葉も花弁もしおれ、無残な姿になった花を摘んだ名前が、優しく梵の名を呼ぶ。
色を失くしていた梵の左の眼が潤みを帯び、みるみるうちに目の淵いっぱいに涙が溜まっていく。

「私の部屋に、生けてもよろしいですか?」

花とも呼べない程にしおれたその花を胸に抱え、名前は柔らかな笑みをたたえる。ぽろり、梵の瞳から涙が一粒こぼれおちた。

「ごめん、ごめん名前…」
「…Please don't cry,my angel」
「え…?」
「梵さまが泣いておられると、私も悲しいのです」
「名前、も……?」
「はい、一緒にございます」

『一緒』
その言葉が、どれだけ梵の心に響いたか。
名前の腕の中は温かく、抱き締められたその温もりが何よりも幸せで。
喜びを噛み締めながら、庭先でふたり涙を流しながら笑い合った。


いま君の動脈が温かいということ



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消えそうな位はにかんだ