「梵、梵はね、みにくいの」

がりがりがりがり、幾度も幾度も繰り返される皮膚を掻き乱す鈍い音が真暗い部屋に響く。梵の幼い柔爪と指の間にはかつて皮膚だったものと真っ赤な血が隙間なく詰まっていた。

「梵、は、醜いの、だから母様梵が嫌いだって」

爛れた皮膚に爪を立て、ひたすらがりがりと掻き毟る。床に散乱する細長く真白い布は梵の頬を伝って零れた血が染み込み、点々と赤い紋様を描いており、其の瞳はまるで何かに取り憑かれたように虚ろだった。

「みぎめがわるいの、梵の右めがあるから母様梵がきらいなの」

飽くことなく続く其の音はぴたりと唐突に止み、闇を纏う部屋に響くは幼い梵の痛切な響きを持った音のみ。

「こんな右目、いらない」

まさに梵が己の腐りかけた右の眼球に爪を立てた其の時、月明りも差し込まぬ暗い暗い部屋に一迅の風が吹き込み、梵の小さな体は柔らかく温かいものに包まれていた。

「鳴呼お労しや梵天丸さま」

梵の耳元直ぐで鼓膜を震わせた声は初めて聞く筈なのにどこか懐かしい音で。
不思議と、恐怖は湧かなかった。

「だ、れ」

ぽつりと零れる呟きは弱々しく震えており、女の心の臓は酷く締め付けられた。

「お忘れですか梵さま、今日から梵さまのお世話係になった名前にございます」

其の名に聞き覚えはなかったが、自分を懐へと招き入れた女の体温は酷く心地良く、梵は眠るように瞳を閉じた。



彼が生まれるべきだった場所



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