なにも感じない。煌めく街のイルミネーションも、流れる軽快なクリスマスソングも、ロマンチックな雪も、ひとりで過ごすクリスマスだって、何も感じない。寂しさも焦りも羨望もなにもない。だからこうして、クリスマスだって関係なく、ひとり自室のベッドの上で丸くなっている。

学校の同級生は、クリスマスを誰とどんな風に過ごすかという話ばかりしていたけど、本当に興味のない話題で、正直反応に困った。今日だって私はクリスマスケーキ販売のバイトのため朝から寒空の下サンタの格好をして夜まで自分のノルマを売りさばいていたんだ。そういう色恋沙汰の話を私に期待しないほうがいい。なんせ生まれてこの方、誰とも付き合ったことなどないし、恋愛経験なんてほぼ皆無なのだから、そういった話題はさっぱりだ。そんなくだらないことを考えているとだんだんとうとうとしてきた。
もういいや。今日はこのまま寝てしまおう。枕元に置いた携帯がちかちかと点滅していたが、そんなのどうでもいい。ぼんやりとしていく意識をそのまま預けてしまおうと意識を手放した瞬間。

「ぐえ」
「あ、ごめんごめん」

蛙が潰れたような声とはまさにこのこと。突然がらりと開いた窓の向こうからベッドに横になっていた私を思い切り踏みつけたのは隣の道場兼住まいとなっている武田さん家に居候中の猿飛佐助。不本意ながらこの佐助と、同じく隣に居候中の真田幸村と私は、所謂幼馴染だったりする。非常に不本意ながら。

「せっかくのクリスマスになに寝てんのさ。色気ないな〜」
「うるさいお前には関係ない帰れ」
「なんだよつれないなぁ」
「お前に媚売って何になる馬鹿助」
「あはー今日の名前ちゃん超絶可愛くない」
「余計なお世話だ」

私の眠りを妨げた罪は重い。しかもこんな時間に窓から断りも入れずに入って来た罪はもっと重い。そんな思いを込めて思い切り怨みがましい視線を送りつけてやる。やだそんなに見つめられたら俺様照れちゃーう!なんて頬に手を添え体をくねらせる佐助に冷たい視線を向け、寝返りを打って枕へと顔をうずめる。総無視だ。佐助の頬がなんとなく腫れていて、口唇の端が切れてたみたいだけど、多分幸村と武田さんのご近所名物殴り愛に巻き込まれたんだろう。佐助も幸村も昔から怪我が多いふたりだから。

「ちょとちょっと無視しないでよ」

本格的に無視を決め込み、睡眠を選んだ私に佐助は慌てた様子でベッドの端に腰掛けた。それからおもむろに私の髪を撫でたり掬いあげたりしていじり始める。

「…何の用?」
「あらら随分素直だね」
「うっさい」

枕にぐりぐりと額を押しつけ、顔をうずめる。佐助のごめんごめんという笑い声が聞こえてきた。

「はい」

こつりと、後頭部に固い何かが当たる感触。頭をずらせば、すぐ横からぽすっという音が聞こえた。

「…なに」
「元カノへのクリスマスプレゼント」
「元?」
「昨日別れた」
「さいってえ」

佐助はいつもそうだ。付き合っては別れて付き合っては別れる。その繰り返し。女の子をとっかえひっかえ。中学上がったころから今まで、一体何人の佐助の元彼女を見てきただろう。…きっと、両手両足の指だけじゃ足りない。ぐるりと顔を反対方向に向け、佐助から顔をそらす。目の前に白い何かが見える。近すぎてぼんやりとしていたけど。

「…開けないの?」
「私のじゃない」
「あげるよ」
「いらない」
「なんで」
「いらないから」
「理由になってない」
「なんで私に渡す」
「あげたいから」
「それこそ理由になってない」

もういい加減眠たくなってきた。沈黙の中部屋の壁時計のこちこちという音がやけに大きく響く。もういっそこのまま寝てしまおうと決め込んだ私の耳に、普段より少しばかり低い佐助の声が飛び込んでくる。

「…昨日さ、フられたんだ」

その言葉に、思わず、肩がぴくりと揺れる。佐助がフられるなんて、そんなの、初めて聞いた。

「昨日彼女と一緒にプレゼント買いに行ったとき、俺様としたことがヘマしちゃってさ、思いっきりはたかれちゃった」

そう苦笑しながら頬をぽりぽりと掻く佐助。…頬が腫れていたのはそのためか。まぁ私には、関係ないことだけど。

「彼女がさ、ネックレスつけて似合う?って聞いてきてんのに、彼女より名前ちゃんに似合いそう、って答えちゃってさ。ほんと…馬鹿だよねぇ」
「…私のせいだって言いたいのか」
「あれ?そう聞こえなかった?」
「…とんだ責任転嫁だ」

ホント、なんてとんでもない男なんだろう。無責任で軽くて、女たらしで。こんなやつが私の初恋の相手だなんて、もっとも思い出したくない、過去の記憶ナンバーワンだ。

「ねぇ、それ、開けてみてよ」
「やだ。面倒」
「いいから」 
「私は眠いんだ」
「じゃあ王子様が目覚めの熱いキスしてあげようか?」
「……開ければ、いいんだな」

そんなファーストキス、まっぴらごめんだ。しぶしぶ肘をついて上半身を起こし、真っ赤なリボンを解いて、細長い箱の蓋をあける。中にはシルバーのハートがついた、シンプルで可愛らしいネックレスがおさまっていた。

「開けたけど」
「可愛いでしょ?」
「女子が好きそうだな」
「名前ちゃんは?」
「…私には、似合わない」
「そんなことないよ。名前ちゃん可愛いもん」
「……佐助の女たらし」
「じゃあその女たらしな佐助くんに名前ちゃんは一体いつになったら惚れるんでしょうか?」
「あほか」

もうとっくに惚れ終わってるっつーのっていうのは佐助には内緒だけど。これ以上期待することはもうとっくの昔にやめた。幼馴染だから、周りの子とは違って私は特別なんじゃないかと、そんなことを考えた時期もあったけれど。そんな淡い期待はあっさり裏切られ、今はもう信じて待つのは疲れた。クリスマスに好きなひとと過ごしたいとか、そういう感覚も麻痺してる。もういいの。全部、疲れたから。

突然、ぶーぶーとくぐもった音が、静かな部屋に響いた。ベッドの上に放置していた携帯がバイブ振動して、着信を主張している。表示された名前は、見知ったもの。比較的仲のいい、クラスの男子のものだ。

「だれ?」
「クラスの子」
「男?」
「うん」

佐助への返答もそこそこに、電話を開き、通話ボタンを押した。

「もしもし」
『もしもし、俺だけど』
「うん、どうした?」
『いや、メールしたんだけど…』
「あーごめん見てない」
『そっか……なぁ、今ちょっと時間いい?』
「うん、大丈夫」
『よかった…』
「なんかあったの?」
『いや、とくになんかあったわけじゃないけど…』
「なにさ」
『…苗字、今から会えない?』
「へ?」

可愛げのない疑問を示す声は、彼の言葉に対するものじゃない。佐助に対するものだ。
いきなり私の手から携帯を分捕った佐助は、にっこりとそれはそれは輝かしい笑顔で笑っている。…目は、一切笑っていなかったけど。

「ちょっ」

携帯を取り戻そうと伸ばした手は虚しく宙を切り、重力に従ってベッドへと吸い込まれていく。無情にも、そんな私を見下ろしたままの佐助はぶちりと不快な音を立てて携帯の電源ボタンを押した。

「…何すんの」
「電話切ったの」

いまだにこにこと笑っている佐助を前に、はぁ…と、大きなため息が漏れる。あとで彼にはなんらかのかたちで謝罪をいれなくてはならないだろう。
あぁ、なんてめんどくさい…。

「今の、彼氏?」
「はぁ?」
「彼氏?」
「違う。んなやついたら今自分の部屋で寝転んでない」

そんなの、佐助が一番わかってそうなことだけど。そう思ったけど、口には出さなかった。また部屋に落ちる重たい沈黙。佐助は顎に手を当てて、何か考え込んでいるようで、微動だにしない。本当に、何しに来たんだろう、こいつは。もうなんかいろいろどうでもよくなってきて、また佐助を無視して、ベッドにうつ伏せに全体重を預ける。ただでさえ今日は一日立ち仕事で足はむくむわ足の裏は痛いわで疲れているのだ。瞳を閉じただけで心地よい眠気と倦怠感が私を包み、ゆったりと夢の世界へと誘う。
その時、ぎしりとベッドが音を立て、同時に顔の横の布団が重さを受けやわらかく沈んだ。佐助の手が、顔の両脇に伸びているのが見えた。

「…なに」
「いや、もういっそのこと既成事実作っちまおうかと」
「は?」

仮にも女子なら、焦るべき状況なのだろう。これは。だけど、私はうつ伏せだし視界には佐助の手と手首しか写っていないし、正直なところあまりそういった危機感は感じない。佐助だから、というのもあるのかもしれないが。でもまぁ、傍からみれば…あの純情な幼馴染風に言えば、確かに破廉恥な体勢に見えなくもない。いや確実に見えるか。

「ねぇ名前ちゃん」
「なんだよ」
「…いい加減、気付いてくれてもいいんじゃない?」
「……意味がわからない」

不意に佐助が私の首に手を回す。冷たい無機質なものがうなじに当たり、思わず情けない声を漏らしてしまう。掛けられたそれは、先ほどの可愛らしいネックレスなのだと判断するには、数秒程度時間を要した。

「ネックレスってね、贈ったその相手を縛りつけたいとか、支配したいとかそういった感情のあらわれなんだよ」
「…へぇ」
「……ねぇ、ここまで言っても、まだわかんないの?」

佐助の言葉の意味するところがわからないほど、私も子どもではない。恋愛経験はほとんどなくても、そういう意味合いを含んでいるということはわかっている。それでも、私はその言葉の意味がわからないのではない。佐助のこの行動の本当の意味を掴みあぐねているのだ。
もう一度、私にこいつを信じろと云うのだろうか。押し黙ったままの私の耳元に佐助はそっと口唇を寄せた。まるで、愛おしむように。優しく。やわらかに。

「好きだよ、名前ちゃん」

少し、掠れた低い声で、吹き込むように囁かれ、思わず心臓が跳ね上がる。思考とは裏腹に、私の感覚が、神経が、本能が、佐助を好きだったあのころを思い出し、勝手に私の心拍数をあげる。
覆いかぶさるように背後からぎゅうっと抱き締められ、息が詰まる感覚に、考える気力を奪われる。首筋にかかる佐助の吐息がくすぐったい。
もしこのまま、素直に頷いてしまえば、彼は私を愛してくれるのだろうか。この麻痺したこころを、優しく溶かしてくれるのだろうか。なによりも私は、もう一度、彼を愛せるのだろうか。
もしそれができたのなら。

…それはどんなにか、幸せなことなんだろう。



(うちには煙突もプレゼントを入れるための靴下もないし、今年一年イイ子だったかもわからないけど、もしプレゼントをくれるなら、どうかもう一度、彼を愛せるこころと勇気をください)






その後どうなったのかはふたりだけの秘密



091222