「名前ちゃん また食べてないの?」

会う度に細くなっていく彼女の背中。

「だって 食べたくないだもん」

眉間に皺を寄せ、悩ましげに彼女はその黒く長い睫毛を伏せる。もう何度、この会話を繰り返しただろうか。他の恋人たちが他愛ない話をするのと同じように、俺たちはもはや挨拶代わりにこの会話を交わしていた。

「おいで」

古びた椅子に腰かけて、名前ちゃんに向かって両手を差しのべる。ほんのりと頬を桜色に染めて、彼女はとことこと俺の前までやって来た。その棒のように肉のない細い腕を掴み、引き寄せる。
(また、痩せた…)
俺の膝の上に向かい合うように座らせ、抱き抱えた名前の身体は、まるで綿菓子のように軽い。冗談でも、大袈裟な誇張表現でもない。本当にそれほど、人間としての重さを感じない。
そんな俺様の心配なんて知らんぷりして、名前ちゃんは俺様の髪をいじっている(この橙の髪は、彼女のお気に入りらしい)。髪をいじるのに彼女が夢中なのを確認して、ポケットの中から包み紙をひとつ取り出して、中身を口に含む。

「名前ちゃん」

優しく名前を呼び、こちらを向いた名前ちゃんの桜色した柔らかい口唇に、自分のそれを重ねた。最初は触れるだけの、それからすこしずつ、深く、永く。
息苦しそうに、薄く口を開いたその僅かな隙間に、そっと舌と飴玉を忍び込ませた。

「ん…っ!」

口の中の異物に気付いたのか、名前ちゃんは反射的に俺の胸を押して、口唇を離そうとする。それを拒むように、左手を名前ちゃんの細い腰に回し、右手で後頭部をおさえた。

「ん、んー…」

イヤイヤをするように逃げる名前ちゃんの舌を絡め取り、飴玉も巻き込んで深いキスをする。口内に広がる飴玉の甘さと、名前ちゃんの舌の甘さ。それを味わうように深く深く、ゆっくりと口づけを続けた。

……どれくらいそうしていただろうか。ゆっくりと口唇を放すころには、飴玉はもう影もかたちもなくなっていて、口の中には仄かな甘さと、キスの余韻だけが残っていた。

「…最悪」

名前ちゃんはそう呟くと、心底気持ち悪そうに口唇を手の甲でぐいぐいと拭う。

「ごめんって、」

そんな彼女の小さな頭を撫でて、俺は苦笑を浮かべる。そしてその少し力を入れたら本当に折れてしまうんじゃないかと思うほど頼りない身体をぎゅうと抱き締める。

「さすけ?」

腕の中で名前ちゃんが小さく首を傾げたのがわかった。

「ごめん、ちょっとだけ、こうさせてて…」

俺様の精一杯の強がり。ぽつり、呟いて。今にも消えてしまいそうな名前ちゃんの儚い身体を抱き締める力を、ほんの少しだけ、強くした。




(嫌われても憎まれてもいい)
(それできみが、生きて、笑ってくれるのなら)





title.Aコース
100401 拒食症な彼女