「ハ、ハハ…」

若き独眼竜の口から乾いた覇気のない笑いがこぼれ落ちる。着物が肌けるのも構わず片膝を立てた独眼竜が、濡れ縁の木目をなぞる。

「アンタが救ったこの命を、今度はアンタが奪ろうってのか」

ぽつりと落ちたつぶやきは虚空に消えて、そっと溶けていった。




十と二年前。
一人の幼子が生死の境から目を覚まし、二日が経った。長く続いた高熱は過ぎ去り、今朝からは粥を口にするまで回復し、城内に久方ぶりの安堵が訪れた。
長きに渡病床に伏せっていたため、未だ以前のように動き回ることは許されないが、上体を起こし会話を交わすことは城医から許しが下りた。
布団の敷かれた物がない部屋に集うは三人の人影。幼子はギロリと隻眼となった左目を据え、見慣れぬ女を睨めつけていた。幼子の視線を受けてなお、女は胡散臭げな笑みを貼り付けたまま、幼き君主に仕える家臣の後ろで片膝を立てて腰を下ろしていた。

「梵天丸様、其の様な眼をしないでくだされ。此の方は梵天丸様のお命をお救いになった命の恩人にありますぞ」
「小十郎、そうは言うが、此奴、縁屋といったか、俺は其の様な生業を聞いたことがない。信じるに足る人間には思えない」
「梵天丸様!口をお慎みくだされ」

幼き口から流暢に紡がれる言葉はしかし、存外舌足らずな響きで部屋に流れる。世話役の男は焦ったように声を上げるが、女は哥哥として笑うばかりであった。

「何が可笑しい!」
「これは失敬、余りに幼子らしくないのでな、驚いてしまわなんだ」

くつくつと咽の低いところで笑みを響かせ、女は立て膝を解いて、胡座をかいた。

「申し遅れた。此方(こなた)、名を名前と申す。大陸にて東洋の医術を学びし後、この日の本で縁屋を生業にしている者に候」

目尻に朱の入った化粧を施した女は、目を細めて首を下げ、顔の前で掌に拳を当て合掌した。その飄々とした態度に、ますます幼子の眉間に皺が寄る。見るからに懐疑的な視線を送り続けるがしかし、女は笑みを崩すことなく幼子を見据えている。

「俺は城主になるべく学には勤しんでおるつもりだ。しかし、縁屋などという言葉自体、聞いたことがない。一体、お前は何者だ」
「何者、ですかい。そいつぁ、珍妙な質問でありますな」
「馬鹿にしているのか」
「そんな、恐れ多い。そうじゃぁなくて、何者、という響きの話をしているんですよ。梵天丸様にはわっちがどうお見えで?」
「戯言を。童(わっぱ)と甘くみているのならそれ相応の手段に出るぞ」
「ご冗談を」

ケラケラと笑った女であったが、さすがに話が進まないと悟った世話役の控えめな咳払いにより、笑い声をあげるのを止め、にまりと両の口角を吊り上げた。

「…梵天丸様、貴殿は人成らざるモノをご存知かな?」
「なんだ、また戯言を抜かすか」
「あら、わっちは何時も大真面目にございますよ。まぁ辛抱してお聞きください。先に城主になるのなら、民の言葉には辛抱強くあられませんと」
「貴様にそのような申し出をされる謂れはない」
「おぉ、こわいこわい」

女はこれま飄々とした肩を竦めると、一度目を閉じ、ゆっくりと目蓋を押し上げる。先に見せた深い黒紫色はなく、そこにあったのは唐紅花色の瞳であった。

「在るんですよ、この世にはね、人成らざるモノーーーーー妖って奴がね」



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