そこは温かかった。目を覚ます、という表現はおかしいのかもしれない。わたしはゆっくりと辺りを見回した。仄赤く、暗いその空間。どくんどくんと定期的に響く地響きのような低い音。かつてここまで全身を弛緩させ安心しきったことがあっただろうか。そこは水の中だった。薄い膜の向こうに見えるのは恐らく自分のものであろう不完全なかたちをした両手。そこが子宮の中で、自分が羊水に沈んでいることに気付いたのは、薄い膜の向こうからくぐもった人の声が聞こえたときだった。

『早く産まれてこないかなあ』
『ふふ、そんなこと言ったって赤ちゃんが困っちゃうでしょ?』
『だって、たのしみなんだもん!』
『ねえママ、赤ちゃん、男の子?それとも女の子?』
『さあ、どっちでしょうね。生まれてからのお楽しみ』
『えー!』

水の中なのに息苦しくない不思議な感覚。甲高い幼い子どもの声と、落ち着いた恐らく母となる女性の声がお腹越しに聞こえる。声に反応してしまったせいか、意図せずに足が子宮の中を蹴りあげた。

『あ、動いた』
『え、ほんとう!?』
『ママ、ママ!触らせて!』
『ええ、そっとね?』

どくどくと穏やかな鼓動を刻む胎内。もう一度声に反応して身体が動く。

『動いた!』
『ふふ、きっと赤ちゃんにママたちの声が聞こえているからね』
『え?赤ちゃんあたしたちの声聞こえるの?』
『ええ、きっとね。ほら、赤ちゃんにこんにちわは?』
『赤ちゃん赤ちゃん!こんにちわ!ぼくすばるおにいちゃんだよ!』
『あたしはみおお姉ちゃんだよ!』

どうやらわたしには姉と兄がいるらしい。これが世に言う転生という奴だと気付く前にわたしは穏やかな浮遊感に身を任せ優しくて温かな声に包まれて瞳を閉じた。


107(次に意識が覚醒したのは産声を上げた瞬間)



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