※新八妹設定

PM11:30
ふと窓の外に視線をやれば、眼下に広がる屋根や道路が一面真白い雪に覆われていた。

「わっ…いつの間に積もったんだろう…」

来週に控えた学年末の試験対策に集中し過ぎて、がらりと変化した外の様子に全く気付かなかった。未だ音もなくしんしんと降り積もる雪に、ぶるりと背筋が震える。試験前に風邪を引いてしまったら元も子もないと、慌てて椅子にかけていた半纏に腕を通した。ぬくぬくと背中から温もりが全身に広がる。ぼんやりとしたまま窓の外の景色を眺めた。ふわふわとした綿雪はゆっくりと天空から地上に降り立ち、着実に世界を白へと変貌させていく。その音もない侵略に誘われるがまま、デジカメを手に取り、マフラーを首に巻いた。もうすでに眠りに就いている家族を起こしてしまわぬように静かに家を抜け出せば、広がる一面の銀世界。部屋着に半纏とマフラーという軽装備の割に不思議と寒さは感じなかった。

さくさく、もふもふ。

未だ誰にも蹂躙されていない真白い絨毯に、わたしの足跡がぽつぽつと残されていく。ずるりと滑りそうになって慌ててバランスを取れば、デジカメがポケットから滑り落ちた。慌てて拾い上げたそれに着いた雪を丁寧に払い、傷がないかを確かめる。どうやら雪がいい具合にクッションになってくれたらしく、まだ新品のデジカメには傷ひとつついていなかった。雪様様だ。

元々住宅街で夜は人通りがない道路。時たま凄まじいエンジン音をふかしていく車高の低い車も、さすがに今日は家でおとなしくしているらしい。ふと街灯のあかりに照らされる雪が目に入り、気付いたらシャッターを押していた。続けざまにもう一枚。財布が軽くなるのを惜しまずに画素数が高いのを買ったおかげか、街灯だけが頼りの薄暗い風景でも、雪は鮮明に写っていた。カメラを構えたままさくさくと雪を踏みしめる。夜遊びするつもりはなかったけど、勉強の息抜きだ、と自分に言い訳して、もう少しだけ夜の散歩を楽しむことにした。気になる風景や一瞬をカメラに収めつつ、キョロキョロと辺りを見回し人気がないことを確認する。ごくりと、唾を嚥下し高鳴る鼓動に促されるまま、そっと道路の真ん中にごろりと寝転んでみた。実は先ほどから画面いっぱいに雪が降って来る様を撮りたくてうずうずしていたのだ。柔らかい雪の布団に体を預け、そのまま両腕を限界まで伸ばし幻想的なまでに静かな侵略の一瞬を切り取った。

「…なにやってんだ?」

むふふと今しがた記録された写真を再生し、頬を弛めていたら、不意に声を掛けられた。自分の耳元で低く響いたその声に、腹筋が悲鳴を上げそうな勢いで上半身を起こした。

「ささささささの!?」

叫びそうになった喉に咄嗟にブレーキをかけ、かなり控えめに、わたしの横にしゃがんだ赤髪の持ち主の名を呼んだ。

「おー驚いてる驚いてる」

目を真ん丸くして固まるわたしはさぞかし間抜けだったのだろう。左之がくつくつと低く喉を鳴らした。

「ど、どうしてこんなとこに…?」
「それはこっちの台詞だっつの。こんな夜中に未成年がなにやってやがる」

左之の言葉にうっ…と喉が詰まる。確かに左之の言うとおりだ。もう日付が変わるであろう時間帯に高校生が外を出歩くなど。

「ご、めんなさい…」

俯き、手の中のデジカメについた雪を拭きながら素直に謝罪の言葉を口にした。そうすれば左之はわたしの腕を取って起き上がるのを手伝ってくれる。

「わかってりゃいい。…ま、気持ちはわからんでもないけどな」
「左之も?」
「ああ、なんだか無性に外に出たくなってな。夜の散歩と洒落こんでた訳だ」

そしたら道路にひとが倒れてるから何事かと焦ったじゃねえか。周りにひとがいないのを確認したつもりだったのに、どうやらばっちりと目撃されていたらしい。寒さのせいではない熱が頬を火照らせる。

「おら、もうそろそろ帰んねえと本気でまずいだろ。送ってやるから大人しく帰るぞ」
「え、だ、だいじょ」
「ぶじゃなくて、…俺が送りたいんだよ」

いいから黙って送られとけ。
そう言って左之は柔らかな笑みを浮かべる。左之は、ずるい。そんな風に云われたら、わたしが断れないの知ってるくせに。拗ねたように目の前の男を見上げれば、左之は頭や肩に積もった雪を優しく払ってくれた。そしてその流れのままごく自然にわたしの手を取ると、するりと指を絡めた。

「…左之の女たらし」
「おーい、心の声がだだ漏れだぞー」
「わざと漏らしてんの!」
「てめっ…地味に傷つくじゃねえか」

言いながら、僅かに下がるまなじりにどきんと心臓が跳ねる。

「…だって、ほんとのことだし」

背丈も足の長さも全然違うのに、わたしが転ばないように焦れったくなるくらいゆっくり歩くところだとか、わたしに雪がかからないようにさりげなく少し前を歩いて楯になってくれるところだとか。そういう些細なことにも女の子ってのは敏感だし、鼓動が過剰反応するのだ。左之は顔もスタイルもいい。だけどモテる要因はそれだけじゃなくて、こうしたさりげない気遣いを極自然にやってのけてしまうところもだと思う。…お兄ちゃんには到底無理な話だろう。

「あのなあ!」

そんなことを考えながらぽつりと呟いた言葉に、左之は呆れたように口を開く。

「こんなことすんのはお前だけに決まってんだろ?どうしても俺をたらしにしたいんだったらたらしの前に名前ってつけとけ」

そういうところがたらしなんだ!と声を大にして叫びたかったけれど、これ以上何か言うと墓穴を掘りそうだから、大人しく黙ることにした。頬の熱は未だ引いてくれない。

少し前を行くその背中越しに白い息が空に還っていく。繋がれた右手が熱い。揺れる左之のくすんだような赤い髪が真っ白な世界で色を灯す。深夜なのに、不思議と夜空は真っ黒に染まっていなくて。不思議な静寂に包まれた世界をふたりで歩く。

「じゃあ、さっさと寝ろよ」
「うん、ありがと左之」

あっという間に着いてしまった家の前で、左之がわたしの頭に積もった雪を払いながら微笑む。なんだか気恥ずかしくて視線が下がってしまう。

「ああ、言い忘れてたけどな」

その言葉に俯いていた顔を上げる。瞬間、口唇に触れた柔らかい熱。蜂蜜色の左之の瞳がわたしを貫く。
音もなく離れていったその熱に、わたしの顔はすっかり真っ赤に染まっていて。そんなゆでダコみたいなわたしの頬を左之がゆるりと撫でて笑う。

「お前に会いたくて、散歩してたんだぜ」

ふわりとたっぷりの色を含んだ、けれども柔らかくて温かい笑みを浮かべて、左之は愛おしそうにわたしの頬を包む。自覚してなかっただけでだいぶ冷えていたらしい頬に、左之の体温が馴染んでいく。

「…左之のたらし」
「名前限定の、な」

可愛くない照れ隠ししかできないわたしの両手に指を絡めて、もう一度左之が口唇を寄せる。そっと目を閉じればすぐに降ってくるあたたかな口づけ。
初雪が降り積もる中、わたしと左之を繋ぐ温もりだけがあたたかかった。


いまから会いにきてよ



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