「…俺ァ100部印刷しろって頼んだ筈だが?」
「…申し訳ありません…」

目の前に積み上がる紙の束にマルコ部長のこめかみがピクピクと痙攣したのが見えた。100部と1000部を押し間違えるなんて、わたしの頭は相変わらずダメダメらしいです。
情けなくてうなだれるわたしの耳にマルコ部長のため息が突き刺さる。せっかく復帰させてもらったのに、今度は本当にクビにされちゃう。ぎゅっと強く目を閉じて自分の腑甲斐なさにうなだれる。

サッチと結ばれたあの日、ようやく落ち着いて携帯の電源を入れればすぐに着信音が鳴り響いた。電話の相手はマルコ部長で、慌てて通話ボタンを押したわたしにマルコ部長は開口一番馬鹿野郎ッ!!と怒鳴った。驚いて呆然と立ち尽くすわたしへのマルコ部長のお説教は約20分続いた。本当はもっと続きそうだったんだけど、わたしがマルコ部長とずっと電話してるのが気に食わなかったらしいサッチが携帯を取り上げてしまったから20分で終わった。そんな感じで結局退職願いは取り下げられ、職場に舞い戻って来た。サッチのことを抜きにしても、この職種もこの職場も大好きなので嬉しいことこの上ないけど、完全に結婚する気でいたサッチは少し不満そうだった。

「あんま苛めてやるなよな、マルコ」

相変わらずマルコ部長の前でしょぼんとうなだれるわたしの頭にぽすんと置かれる温かくて大きな手。

「てめえはいい加減退職しろよい」
「無理無理、名前がいる限りお前の部下やるつもりだから」

ギロリとサッチを睨むマルコ部長の視線の鋭さに思わず縮こまりそうになるも、サッチは飄々とわたしの肩を抱くばかり。

「ッたく、名前もさっさとこんな腹黒と別れろよい。そしたら心置きなくコイツを他の部署に飛ばせる」
「そ、んな…むしろわたしを飛ばした方がいいと思います…」

きっとマルコ部長は冗談でそういったのだろうけど、もしもサッチが他の部署に行ってしまったらその損害は計り知れないと思う。わたしが行けば厄払いには丁度いだろうけど。

「…オメーは…」

ハァ、とマルコ部長が呆れたような特大級のため息を吐く。こんな大きなため息を聞いたのは生まれて初めてかもしれない。恐る恐る顔を上げてマルコ部長を窺えば、予想に反してマルコ部長は呆れの中に優しさを滲ませてわたしを見ていた。

「何か勘違いしてるみてぇだから言っとくが、お前は役立たずなんかじゃねぇよい。たしかにドジはするわ抜けてるわ正直頭抱えたくなることもあるが、もし本当にそれだけの人間だとしてお情けだけで雇ってられるほどウチは甘くねぇよい。ミスは多いがお前の企画は斬新で刺激的だ」

次々とマルコ部長の口から紡がれる言葉に目が見開いていくのがわかる。そんなこと言われたのは初めてで、まさかそんな風に評価してもらっていたなんて知らなくて。

「お前はウチに必要な人材だよい」
「マルコ部長…」

今まで散々迷惑をおかけしまくって来たマルコ部長にそう言ってもらえるなんて、信じられなくて、でもすごくすごくすごく嬉しくて、知らずのうちに目頭が熱くなってくる。若干涙目になりつつマルコ部長に尊敬と憧れの眼差しを向けていたら、突然目の前を大きな手が塞いでマルコ部長が視界から消えた。

「マールコ、人の女口説くのやめてくんない?」
「別に口説いてねぇよい。オメェみてェな野郎はやめとけって諭してんだよい」

サッチに目を覆われてるからふたりの様子はわからないけど、ピリピリとした空気が肌を刺す辺りを察すると相当剣呑な雰囲気を醸し出しているらしい。どうすることも出来ないわたしは眉根を下げて苦笑することくらいしか出来なかった。

「マルコだけは結婚式に呼んでやらねぇよ」
「あぁあぁそりゃ願ったり叶ったりだよい。誰がテメーの結婚式なんざに出席するかよい。名前の式にだけ出てやるよい」
「名前の相手は俺だ!」
「安心しろい、テメーの悪業は全部オヤジに報告済みだよい。果たして結婚させてもらえるかねい」
「テンめ……ッ!!」

頭上で交わされる言葉の数々はともすれば子どもの喧嘩のようで、思わずぷすりと空気が抜けるような音を立てて吹き出してしまった。
慌てて両手で口を塞いだけれど時既に遅し。サッチの手が退けられて開けた視界に写りこむのはじとっとした目でこちらを見やるサッチがいて。

「何笑ってんだよ」

不貞腐れたようなその口調がつい可愛くて、駄目だ駄目だと思いつつもゆるゆると口角が上がってしまう。そうすればサッチは一層不機嫌そうに口をへの字にしてわたしのほっぺたをムニリとつまんだ。

「いひゃいいひゃい!いひゃいよはっひ!」
「うるへー!彼氏様がいじめられてんのに笑いやがった薄情者へのお仕置きだ!」
「てめぇらイチャつくなら部屋から出てけよい」

みょーんとわたしの頬を限界に挑戦するかのごとく伸ばすサッチと痛がるわたしに、マルコ部長のうんざりといった声がかかる。

「ハッ!羨ましいだけだろマルコ!」
「ウゼェ……」

ほっぺたから手を放したと思ったら今度はぎゅうぎゅうとキツく抱き締めてくるから、口からなんか出ちゃいそうなほど苦しいし、ファンデがシャツについちゃうしもうサッチのペースに着いていけない。心底うざったそうなマルコ部長に心から謝罪したいし、出来るなら人前でこんな羞恥ぷれいは止してくれと叫べるもんなら叫びたい。でも悲しいかな惚れた弱味でこんな風に抱き締められることに喜びを感じている自分もいるのだから、救いようがない。

サッチに抱き締められたまま遠い目をするわたし。抵抗する気力すらなく、されるがままのわたしのつむじやら何やらに口唇を落とすサッチ。既にわたしたちの存在を無視して眼鏡をかけ書類チェックをしているマルコ部長。
このままだったら二人して違う部署に飛ばされる日も近いかもしれない。けどそれもいいかと思ってしまうダメダメなわたしはきっと、もうサッチの傍以外では生きていけないんだろう。それもまた、幸せに感じてしまっているのだから、どうしようもないのです。



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