「まーた謹慎食らったんだって?懲りないねェ」

行きつけの居酒屋に入った途端これだ。心底腹立たしい笑みを浮かべて酒を煽るその姿にもはや溜め息も出ない。

「うるせぇな…。テメェにゃ関係ないだろ」

ひとつ椅子を空けて隣に腰を下ろせば、ケラケラと愉快そうに笑う。

「違いないね!」

そうしてグラスに入った酒を一気に飲み干し、店員に次を催促する姿は女とは思えない。まぁ職場が職場だから仕方ないのかもしれないが。

名前とは高校の同期で、今も関係が続いている数少ない友人の一人だ。
荒くれ者ばかりが集まる学校で、いつも作業着でひとり油塗れになっていたコイツの姿は今も鮮明に思い出せる。俺は警察に、名前は地元の自動車工場に就職して今も油塗れで働いている。

「スモーカーはあれだね、結婚しちゃいけないタチの男だね」

お互いに大分酒が回り、タバコを吸いながらつまみを咀嚼していたとき、唐突に名前がそう呟いた。

「あァ?なんだ急に。酔ってやがんのか?」
「いやね、正義に燃えるアンタはそりゃカッコいいさ、男前さ。だけど上の言うこと聞かずに突っ走って何回も謹慎食らってんのを見てるとそう思わずにはいられないんだよ」

嗚呼!実に嘆かわしいねスモーカー君!
大仰な手振りで目頭をおさえる名前。どうやら少し酔っているらしい。普段はこの程度で酔うような可愛らしい女じゃねェくせに珍しいこともあるもんだ。

「…うるせぇな。そう言うテメェこそ浮いた話なんざ聞いたことねェじゃねぇか」

ふぅ、と紫煙を吐き出して酒を呷れば、喉を熱い酒が通っていく。たしかに、俺もコイツもいい歳だ。そういう話のひとつやふたつ出てようがおかしくないが、生憎俺はこういう性分でここしばらく女はできてねぇし、名前に至っては数年単位で男の話を聞いた覚えがない。たしかに女らしさとは無縁の女だが、気取らない飾らないコイツらしさは存外イイと思うんだがな、大半の男は所謂"女"が好きなんだろう。

「え?アタシならプロポーズされたけど」

なんてことはないいつもと変わらぬトーンで告げられた衝撃的な言葉に思わずグラスに口をつけたまま咳き込んだ。そんな俺をケラケラと笑いながら指差す名前の肩を掴んで濡れた口元を拭う。

「いつだ。聞いてねェぞ」
「えー?半年前くらいかな?」

そう飄々と告げて焼酎を呷る名前に愕然とする。
名前は、たしかに男勝りで女とは程遠いが、なんつーか一緒にいると楽で俺が俺でいられる数少ない場所のひとつだった。友人、だと言えばたしかにそうだが、友人よりもっと強い何かがあって、腐れ縁だなんだと貶し合いながら結局ずっと傍にいるもんだと思っていた。そんな訳、あるはずもなかったのに。

「…相手は、俺の知ってる奴か」
「ん?あったりまえじゃん。アンタがよーく知ってる奴さ」

尋ねた声は情けなく震えそうになって、それを堪えるのが精一杯だった。
そして返って来た言葉に体裁など構わずうなだれたくなった。だれだ、俺が知ってる奴って。まさか上司の青雉じゃあないだろうな。もしそうなら謹慎延長覚悟で殴り込みに行くぞ。畜生。あまりに衝撃が大きすぎていっそのこと泣きたくなって来た。

「…誰だよ、相手」

聞きたくない、が、聞かずにはいられない。これを聞かないで俺はケジメをつけることができねぇからだ。手の中のグラスをキツく握る。酒を呷った名前はなんてことなさそうに人差し指を立て、それを真っ直ぐ俺に向けた。

「………は?」
「やっぱり、ひとつも覚えていやしない」

呆然と口を開けたまま固まる俺を一瞥して名前は呆れたように肩を竦めてグラスの中の焼酎を一気に飲み干す。

「ちょ、ちょっと待て。は?どういうことだ?」

一旦落ち着くために胸ポケットからタバコを取り出して咥えるも、焦りからか手が震えて火を着けることができない。
我ながら情けなさすぎる。

「だぁから、半年前、此処で飲んでアンタが酔い潰れたとき、アタシが家まで連れてったろ?そんときアンタ、アタシにこういったんだよ。"お前なしじゃ生きてけねぇ。ずっと傍にいてくれ。お前が欲しい。お前だけを愛して…「げっほ!ごっほ!!」

名前の口から吐き出されたあんまりな言葉の数々に思わず盛大な咳をかます。それを不満そうに眉を顰めて見ていた名前に嘘だろ、と問いかけたくなったが、少し迷ってから口を閉ざす。コイツはよく俺をからかって遊びやがるが、こういう話で冗談を言うほど根性ネジけてねぇからな。

「…すまん」
「本当だよ。そんな言葉に騙されてずっと待ってたアタシが馬鹿みたいじゃないか」

ふてくされたように酒を浴びる名前の一言に、思わず衝動のままその細い肩を掴む。

「待ってたのか?」
「なんだい、急に」
「いいから答えろ。お前は、俺の言葉を信じて、待ってたのか?」

目をそらすことは許さない。そんな想いをこめてゆっくりとそう尋ねれば、名前はバツが悪そうに口唇を尖らせた。

「しょうがないだろ、これでも一応女だからね。期待するなって方が無理な話さ」

ばかやろう。そうつぶやきながら店員に次のアルコールを頼む名前の腕を掴んで立たせる。俺もカウンターに置いてあったタバコとライターをスーツのポケットにねじ込み席を立つ。

「ちょ、ちょ、なんだいスモーカー!まだ飲んでる途中だろ?!」
「もういい、やめだ」
「はぁ!?いきなりなんだってのさ!」

訳もわからず戸惑いながらも俺に腕を掴まれたまま歩き出す名前に思わず口角があがりそうになる。
勘定を済ませ店を出てそのままズンズンと夜の街を突き進めば、後ろから名前が苦情を喚きたてはじめる。

「スモーカー!いい加減に離せ!」
「断る」
「なんだいさっきから!何があったんだって!」
「だから、ヤメたんだよ」
「はぁ!?」

立ち止まり、腕を引き寄せ、睫毛の生え際が見えるくらい一気に顔を近づければ、ぎしりと音を立てて固まった名前の顔が赤く染まる。
今回ばかりは勝手に緩む口元は隠せそうにない。

「体裁気にして距離計るのも、くだらん嫉妬を必死に隠すのも、好きな女目の前にして我慢すんのも、全部ヤメたんだよ」

言いたいことだけ言ってまた歩き出す俺に、しばらくして名前が大きくため息を吐くのが耳に入った。

「謹慎処分中にホテルに女連れ込んでにゃんにゃんとはイイご身分だねェ」
「うるせぇ。いつどこで自分の女喰らおうが俺の勝手だろ」
「…ほんと、自分勝手な男だよ、アンタは」

振り返った先に、今まで見たこともないくらい綺麗に笑う名前がいる。
答えはそれで、十分だろ。


さあしあわせになりましょう



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