目が覚めたら、空を飛んでいた。正確には蟲の姿になって、海の上を飛んでいた。

(あぁ、冬島が近いのか…)

未だ覚醒しきっていない思考で心当たりを当たれば、思いのほかすぐに原因が見つかった。そういえば昨日もマルコに次は冬島に寄るって言われたんだっけ。体を構成している8割は水に強く火に弱い、でも冬島ではほとんどの蟲が冬眠という名の活動停止に陥ってしまうから、その前に急いで寒さに強い蟲で体を構成しておかなくてはならない。もう慣れた作業だから特に何も思わないが、めんどくさいといえばめんどくさいものかもしれない。
海の上を駆ける蟲は無心で冬島を目指している。蟲が自分たちの意志で動いている間は何も考える必要がないからのんびりと身を任せていればいい。思考の中でひとつ欠伸をして、徐々に覚醒してきた頭でどうして微妙な時間に寝ていたのかを思い出した。瞬間、蟲たちがざわついて若干連携が乱れる。…ああ、思い出さなければよかった。
衝撃だった。エースがサッチに食いついてサッチがそれに食ってかかって、結局耐えれきれなくて逃げ出せばサッチに襲われた。いや、所謂キスマークをつけられただけだけど、わたしには刺激が強すぎたのだ。

(でも、消える)

冬島で体を構成する蟲を代えれば、傷はすべて消える。キスマークも言ってしまえば内出血だから跡形もなく消えるだろう。

(わたしみたいな化け物は、結局誰の所有物にもなれないのか)

そう考えたら少し笑えた。あんなにも心臓がやかましく鳴り響いていたとしてもそれは所詮蟲で構成された自身。最近は自分でもよくわからなくなっていた。わたしは、ムシムシの実を食べた人間のはずだ。
…本当に?もうひとりのわたしが囁く。本当にわたしはムシムシの実の能力者なの?物心が着いたときには既にこの能力を手にしていた。もしかしたら本当はムシムシの実なんて食べていなくて、生まれつきの化け物だったんじゃないか。兄だって物心が着いた頃には傍にいて一緒に旅をしていただけで、もしかしたら本当は兄なんかじゃないのかもしれない。わたしに家族なんてものはなくて、もしかしたら、もしかしたらわたしは、本当は、人間じゃなくて本当は、
"蟲"なんじゃないか。

(どちらにせよ、化け物に変わりはない、か)

胸の中でぐるぐる回る思考にひとつ苦笑をこぼし、意識の中で目を閉じた。いくら蟲とわたしの境界線があやふやになろうと、いつか蟲に呑まれわたしがいなくなろうと。

(もう失うものは何もない)

だって最初から何も持っていないから。


泣くことの難しさに気がついた日


9