たしかに、距離が縮まったと思ったんだがな。

目の前の光景に苦虫を噛み潰したような気分になる。
ジョッキに波々と注いだビールを呷るも、気分は一向に晴れない。そもそもこんな度数の低い酒で酔えるはずもなく、ただ胸に募るもやもやとした形容し難い感情を押し流すように酒を呷った。

『行きません。どうか勝手に楽しんで来て下さい』

たしかにアイツはそう言ったはずだった。
もとから好かれていないことはわかりきっていたが、嫌われてもいないと思っていた。
今回の件を抜きにしても、拒絶はされても、拒否された覚えはなかった。
だからわりと無神経を装ってずかずか入り込んでいったし、昨日だって、拒絶されても離れず世話をした。見返りを求めるつもりは一切なかったし今もないが、たしかに食堂で見せた顔は、今まで俺に見せた表情のどれとも違い、可愛らしい妹の顔だった。
だからといって飲みに誘っても断るだろうとは思っていたから、案の定断られてもショックもなにもない。むしろ予想通りの反応に笑いがこみ上げてくるくらいだった。
それから土産を考えて浜辺を歩いて、ちょうどいい土産も見つけた。
わりと気分よく酒を飲んで家族たちとわいわいしていたら、自主留守番をすると言っていた名前がマルコとイゾウに引き連れられて酒場に来たのだ。
別に、マルコやイゾウの立ち位置になれたとは思っていないし、性急にそれを望んでいるわけでもない。酒場に来るも来ないも名前の勝手だし、俺の誘いを断ってほかの奴の誘いに乗るのも名前の勝手だ。まァおそらくはイゾウ辺りが隊長命令だなんだ言って半ば強引に連れ出したのだろうことも予想がつく。
ただ、普段は酒場に顔を出すこともしない名前が、イゾウとマルコの間で、柔らかい笑みを浮かべながら酒を飲んでいる姿に、腹の底から黒いなにかがこみ上げてくるのがわかった。

「…面白くねェ」

酒を呷ってそう呟けば、いつの間に隣りに座っていたのか、オンナが俺の腕にしなだれかかってきた。
その誘うように見上げてくる瞳と扇情的に動く舌にこんな気分を紛らわすためにオンナの腰を抱いて酒場の2階に上がった。
一夜限りの熱は大抵気分をよくしてくれる。商売女は基本的に後腐れがないし、お互い気持ちヨく一夜を過ごせればいいと割り切ってるからこそ情愛に溺れることもなく、溜まった欲を発散できる。
だというのにいくらオンナを味わっても気分は一向に晴れない。
コトが終わりシャワーを浴びて眠るオンナの枕元に金だけ置いて酒場を後にした。

暗い夜道を歩いて浜辺に出る。静けさに包まれた海岸沿いには誰の姿もなく、月明かりが夜の海を照らしていた。久しぶりに海に抱かれたくなり、革靴とベルトを外し、上だけ脱いで夜の海に潜った。
月明かりに照らされた海は最高にイイ女で、こっちのほうがよっぽど気分を軽くしてくれた。
しばらく海に浸ってから名残惜しむように振り返り髪を掻きあげる。濡れた髪が項に張りついて気持ち悪い。さっさとモビーに戻ってシャワーを浴びて寝ることに決め、甲板に飛び乗る。
船番がひやかしてくるのを軽くあしらいながら自室へと向かう。ドアノブに手をかけ扉を引くと、ひらひらと紙が床に舞い落ちた。

「ァんだァ…?」

見覚えのないそれを拾い上げて目を通す。

“I’m sorry yesterday.
(昨日はすみませんでした。)
Thank you for breakfast.
(朝食、ありがとうございました。)
Watch out for a hangover.
(二日酔いには気をつけてください。)”

見慣れない筆跡で綴られたそれは間違いなく名前からのもので。

「…随分かーぁいいことしてくれんじゃねェの」

自然と口角が上がるのを隠しもせず機嫌よく扉を締め、紙をサイドテーブルに置く。几帳面さが滲みでている文字を指でなぞり、ポケットに入れたままだった土産と一緒に引き出しにしまう。
さっきまでの気分の悪さはナリを潜め、機嫌よく鼻歌交じりにシャワー室に向かった。

明日は早めに朝食の準備をして、名前のすきなデザートでも作ることにした。



無意識の中の自覚



9