夢を見た。
いつもと同じ夢。
兄とふたり、街の外れで貧しいながらしあわせに暮らしているところから始まる夢。温かくて、柔らかくて、優しくて、穏やかで、きっとわたしが普通の人間だったら叶ったであろう、どこにでもありふれているしあわせな日々の夢。
それが、突然崩壊する夢。
ある日、家を訪れてきたふたりの男に追われて、必死に逃げ回って海沿いの崖にたどり着く。男は銃を持っていてその銃口が倒れこんだわたしに向けられている。鋭く弾けるような銃声が響いて強く目を閉じても衝撃は訪れず、名前を呼ばれて恐る恐る目を開ける。そこには打たれて血を流す兄の姿があって。呆然とするわたしを兄は優しく呼び、柔らかく微笑んで言葉を紡ぐ。

『お前なんか生まれて来なければよかった』

一瞬のうちに兄の笑顔は黒で塗りつぶされ、今までわたしが殺してきたように兄が蟲に殺されていく。
そこでいつも目を覚ますはずなのに、今日は目を覚まさない。
兄の真っ黒になった亡骸を抱えて泣き叫ぶわたしを優しく呼ぶ声が聞こえる。光が天から降り注いで、わたしと兄をを包む。ふと手にぬくもりを感じて兄に目を向ければ、兄は真っ黒な亡骸ではなくなっていた。いつも向けてくれていた慈愛に満ちた笑みを浮かべて、優しくわたしの頬を撫でる。
そうしてゆっくりと口を開くのだ。


「『名前』」


ゆっくりと目を開けると、見慣れた天井が目に映った。それと同時にぎぃっとドアの閉まっていく音が響く。目を移せば閉じかけの扉の向こうに見慣れた真っ白なコックコートが目に入り、そのまま小さな音を立てて扉がしまった。
机の上にはほかほかと湯気を立て美味しそうな香りを漂よわせるスープとパンが置いてある。
部屋の換気のためについている窓からきらきらとした光が射し込み、部屋全体を輝かせている。
ゆっくりと体を起こし、手を握ったり開いたりを繰り返す。いつも蟲に精力を削り取られて疲労のため気絶するように眠りに就いた次の日は酷い頭痛とだるさに苛まれるのに、どこも辛くない。むしろ体内に宿った蟲も落ち着いている。

あたたかな朝食の香りと、朝日の柔らかな光に包まれ、ベッドの上で膝を抱えた。
目頭がきゅうっと熱くなって、鼻がつんと痛む。堪えきれなくなった涙が目の縁から溢れて頬を伝う。真っ白なシーツにぱたぱたと涙がこぼれ落ち、染みをつくる。
左手に残るたしかなぬくもりを強く握り締め、嗚咽を堪えて静かに涙を流した。


遠い昔に過ごした、あたたかな朝だった。



彩られた朝



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