もう夢の中でしか会えなくなった、太陽のような笑顔を、今でもよく覚えている。


物心が着く前から、この能力は私の一部だった。それが当たり前だと思っていたし、周りの子たちも自分と同じなのだと信じて疑わなかった。

最初は、なんだっただろうか。
まだ幼いころは能力をうまくコントロールすることができなくて、そこにいるだけで、あらゆる蟲を引き寄せてしまっていた。だからひとつところに留まることができなくて、ずっと旅をしていた。そうでなくとも、この能力故に行く先々で気味悪がられ、石を投げられたり、時には海に落とされたこともあって、ひとつの場所に定住することなんてできなかった。
でも、そんなことはひとつも辛くなかった。ずっと、兄が一緒にいてくれたから。
だいぶ年の離れた兄は、物心着く前からずっと一緒にいて、ずっと私を守ってくれていた。旅の途中でも、私がお腹を空かせないように、寂しくないように、寒くないように、ずっとずっと宝物みたいに大切にしてくれた。この稀有な能力だって、兄は気味悪がったことなんて一度もなかった。むしろ名前はすごいなって褒めてくれた。
だからどんなに周りの人間に怖がられたって、全然平気だった。だいすきな兄が私を大切にしてくれていたから、それだけで、十分だった。

ようやく力をコントロールできるようになって、能力者であることを隠しつつ、とある小さな村の隅でほそぼそと暮らせることになった。兄は自分と私を養うために毎日朝早くから仕事に出かけて行き、私は村の端っこの小さな家で兄の帰りを待って、家事をしたり山菜を取りに行ったりした。
貧しかったし、楽しいことばかりじゃなかったけど、それでも、毎日がしあわせだった。

でも、しあわせな日々は長くは続かなかった。

ある日、海沿いの崖から私と同い年くらいの女の子が落ちたところを目撃して、思わず能力を使って助けてしまった。

『だいじょうぶだった?』

そう問いかけた私に返って来たのは、つんざくような悲鳴と罵声だった。
その日のうちに私の能力は小さな村中に知れ渡り、村中の大人たちに総出で暴力と罵声を浴びせられた。
昨日までイイコだねと褒めてくれた八百屋のおばちゃんも、いつもおまけをくれた魚屋なおじちゃんも、醜く顔を歪めて私を詰り、蹴り上げた。
何が悪いのか、どうしてこうなったのか、なにがなんだか全然わからなくて、憎いとか痛いとかそれ以前にどうしようもなく悲しくて、ずっとずっと、心の中で兄を呼び続けた。
手足を縛られ、崖淵で絶え間ない殴打にただひたすら耐えていたら、大人たちの嘲笑と暴力が止み、近くで鋭い銃声が聞こえた。
ああ、私死ぬのかな、そう思ったら、ふと力が抜けた。
これでやっと終われるって。痛いのも悲しいのも苦しいのも全部。それからやっと兄を自由にしてあげられるって。そう思ったら、心は酷く穏やかで、目を閉じ迫り来る終焉に身を任せていた。
だけど、いつまで経っても撃たれた衝撃はこなくて、ただ温かい何かに覆われてゆっくりと目を開けた。

『…おに、ちゃん……?』

目を開けて真っ先に飛び込んできたのは、いつもと変わらない、柔らかな太陽みたいにあたたかな笑みをたたえた兄の姿。
だけど、その口端からは幾筋もの血が流れていて。

『名前、愛してるよ』

そう、いつも寝る前に額に口づけながら囁いてくれるのと同じ、優しさと慈しみと愛しさに溢れた声で、兄は私を抱きしめ、それから、どさりと崩れ落ちた。






気づいたときには、辺りは夕陽で真っ赤に染まっていた。
腕の中には、穏やかな笑みをたたえたまま冷たくなった兄がいた。
目の前に広がっていた森は跡形もなく、ただ荒廃とした土地が広がるだけ。
私と兄を囲むように立っていた村の大人たちはだれもおらず、ただ辺りにいくつもの黒い塊が転がっていた。村があった場所にも、やっぱり人は誰もいなくて、ただ黒い塊がいくつもあるだけ。
たくさんの涙が流れた頬はぱりぱりに乾いていて、殴られ蹴られた体はどこもかしこも痛いと悲鳴をあげている。
それでも体はひとつも動かず、ただただ兄を抱えて呆然と辺りを眺めていた。

何があったのか、何が起きたのか、何も覚えていなかった。
でも本当は全部、全部覚えていた。この目に映ったものは全部。悲鳴と怒号と轟音と黒と赤と驚愕と恐怖を。
ただそれがなんなのか、何によるものだったのかを理解するのには、随分と時間がかかった。


私はその日、人殺しになったのだ。



残存


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