転校生は、俺が見ていた限り教室の自分の席から一歩も動かず、ただ休み時間に自分の席を囲む相手の話に受け答えをしていただけだった。
だがそれも4限の終了を告げるチャイムが鳴るまで。
お昼を一緒にどうだと誘った女子に購買に行かなくちゃならないからと申し訳なさそうに断りを入れて転校生はなにも持たずに教室をふらりと出て行った。
その後ろ姿は、やっぱり頼りなく細かった。

結局、今日という一日は特に意識した訳ではないのだが転校生を観察するかたちになってしまった。別に意図していた訳ではない。ただ気がつくと目が追いかけていた。まるで少女漫画にでも出てきそうな台詞ではあるが、そんな甘ったるい感情は付随していなかった。どちらかといえば…恐怖に、近いかもしれない。
部室でぼんやりとそんなことを考えながら着替えていれば、ふと参謀が口を開いた。

「そういえば仁王のクラスに転入生がやって来たそうだな」
「はあ?この時期にかよぃ」

今年の夏の全国大会を完全制覇した、中学のときから変わらないレギュラーの面子。もうそろそろ進路のことに本腰を入れなくてはならない時期だというのに、立海の大多数の生徒が附属の大学に進学するため、引退したというのに未だこうしてテニス部に顔を出しては後輩たちの指導という名目でテニスを楽しんでいる。
柳の言葉に真っ先に丸井が反応し、他の部員も驚愕に目を丸くした。

「ああ、そういえば来たのぅ…」
「はいはーい!俺、多分その転校生の先輩見たっス!セーラー服で自販機ん所いたから、珍しいなーって思ってたんスよ!!」
「ほう…まだ制服が出来ていないのか…随分急な転校だったようだな」

参謀は早速赤也が提供した情報をかりかりとノートに書き込んでいる。あと半年で卒業だというのになにを今更集める必要があるんだと思わなくもないが、俺がとやかく口を出すことではないのでこころの中に留めておく。
それにしてもやはりあのセーラー服は目立つか、とぼんやり思った。

「で、他に何かわかったことはないか?」
「あー…名前は苗字名前っちゅーって、中1の冬まで立海にいたらしいぜよ」

俺がその言葉を言い終わる前に、ばーんっ!!!と凄まじい音を立ててロッカーが軋んだ。皆一様に目を丸くし、音の方へと目をやれば、今まで会話に参加していなかった真田が見たこともない表情を浮かべて俺を睨んでいた。

「仁王…貴様今なんと言った…」
「は…?」
「今なんと言ったと聞いているんだ!!」

あまりの迫力と、覚えのない詰問に僅かに息を飲んだ。普段から鬼の副部長と恐れられている真田だが、俺は特段恐れたことはない。むしろからかいの対象と見ている。
しかし、こんな真田は見たことがなかった。初めて、真田に対して背筋に冷たいものが伝った。

「…じゃから、名前は苗字名前。中1の冬まで、立海に通ってたそうじゃ」

もう一度先ほどと同じ内容を口にすれば、真田は無言で俺を睨みつけしばらくしてからふと視線を逸らし、悪かった、と一言呟いてそのまま部室を出て行った。
しーん…と普段は騒がしい部室が静まり返る。

「…こ、こっえええええ!!」
「な、なんだったんだよぃ!?」
「お、俺に聞くなッ!」

赤也と丸井が目を見合わせて大声で叫び、ジャッカルが宥め始めてようやくいつもの部室の雰囲気が戻ってくる。

「ふふっ…ロッカー壊したらどうするつもりだったんだろうね、真田は」
「弦一郎のことだ、何も考えていなかったんだろう」

いつもの黒い笑みを浮かべる幸村に、読めない笑みを浮かべながらノートに何かを書きこんでいる参謀。

「大丈夫でしたか?仁王君」

隣りで着替えをしていた柳生がリストバンドの位置を直しながら問うて来たことによってようやく俺の時間も動き出す。Yシャツのボタンを留めるのを再開しながら溜息混じりになんだったんじゃ、一体…と愚痴をこぼせば、柳生が苦笑を返す。

「仁王君の言葉に責めるべき点はありませんでした。きっと真田君に、何か事情があったのでしょう」
「なんじゃ…結局俺は当たられ損っちゅーやつか」
「たまにはいいんじゃないですか?」

仁王君も苦労すれば、とにこにこと笑顔を向けてくる柳生の目は眼鏡の奥で鋭く光っている。この腹黒似非紳士が、と内心毒吐きながらへーへーと適当に返しておく。
それにしても、一体さっきのは何だったんだろうか。転校生の名前を口にした瞬間豹変した真田。俺の知る限り真田の口から苗字という名前を聞いたことはないが、何か関係でもあるのだろうか。いくら推測してもそれは所詮推測に過ぎない。今考えても仕方がないかとひとつ息を吐き出してからベストに腕を通した。
目蓋の裏に、アイツの白が焼きついて離れなかった。


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