蟲の呼ぶ声が聞こえる。



「オヤジ」

夜半、不寝番と酒盛りをしている奴ら以外は大抵が眠りに就いたであろう時分に、船長室にて晩酌をしていたオヤジの元を訪ねた。
手にしたオヤジ用特大サイズの盃からぐいと酒を呷ったオヤジは、ひとつ大きく息を吐き空気を震わせる。

「動いたか」
「うん。ここから東に5隻。あと2時間もすればかち合う」

今しがた自分が知り得た情報をそのまま伝えれば、オヤジはぐびりともう一度酒を呷る。ナースたちから止められているだろうに、今夜はそんな気分なのだろうか。

「マルコ、呼んで来い」
「わかった」
「名前」

踵を返そうと踏み出した足を止め、オヤジにもう一度向き直る。オヤジは盃を持っていない方の手でちょいちょいと名前をその大きな手で手招く。小首を傾げたまま静かにオヤジの元に近づけば、その大きな人差し指と中指で頭を撫でられた。

「よくやったじゃねェか。ん?」

まるで本当の娘に向けるような慈愛に満ちた笑みを向けられ、名前の頬がほんのりと赤くなる。こくりとひとつ頷いて、今度こそ船長室をあとにするべく踵を返した。
扉を開けて廊下に出る直前で振り返る。小さくおやすみ、と告げれば、穏やかな声で「あァ、おやすみ」と返って来て、そのまま静かに扉を閉めた。

オヤジに褒められ気分上々のまま目的の部屋まで足取り軽く向かう。
夜間用のほのかな照明が続く廊下をしばらく歩いて、目当てのドアの前に立つ。コンコンコンとノックを3回すれば、起きていたらしいマルコの「入れよい」という返事が返ってくる。扉を開けて部屋に入れば、明るい部屋の中でマルコは机に向かっていた。おそらく書類仕事をしていたのだろう。机仕事のときには必ず傍らにおいてあるマグカップが机の上にのっていた。

「マルコ、敵船。東に5隻。あと2時間もすればかち合う。オヤジが呼んでる」
「あァ、わかった。今回の戦闘はたしか…4番隊だったかよい。悪いが名前、ついでにこのままサッチも呼んできてくんねェか?」

オヤジが呼んでいることを告げればマルコは素早く立ち上がり、寝る前のラフなシャツの上からいつもの上着を羽織る。その最中に告げられた頼みに、名前はあからさまに顔をしかめた。

「…ンなわかりやすい顔すんじゃねェよい」
「だって…」

別に頼まれたことが嫌なんじゃない。誰かを呼びに行くのなんて、どうせ部屋に帰るついでにできるから苦じゃない。ただ相手がサッチだから嫌なのだ。

「なんでそんなに嫌いなのかねい…」
「…別に、嫌いなわけじゃない」

そう、別に嫌なだけで嫌いなわけじゃない。
ただ、好きじゃないだけだ。

「…ま、なんでもいいけどよい。とりあえず今回は頼まれてくれよい」

すれ違いざまにぽんぽんと頭を軽く叩かれ、部屋の主であるマルコは名前よりも先に部屋をあとにしてしまう。普段なら何か悪戯でも仕掛けるところだが、今はそんな気分にすらなれない。

「…マルコのばか」

小さく呟いた声は煌々と明るい光が灯る部屋の中で、虚しく響く。
胸の奥底に残る傷痕が、ずくりと疼いた。


混ざり込むノイズ


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