新聞片手にコーヒーを飲むいつもの朝。まだ早い時間のせいか、食堂にいる人間はそんなに多くない。各隊長がちらほら、眠そうな不寝番と見張り番、4番隊のコックたち、それから華奢な女に必死に話し掛ける末っ子の姿。
最近家族の仲間入りした弟はどうやら俺の隊の名前にご執心らしい。特に恋愛云々は絡んでないみたいだが、何しろ裏表のない奴だから仲良くなりたいって気持ちが前面に出過ぎて若干引かれている。でも逃げ出さないところを見る限り、名前も少しずつとはいえ心を開きつつあるみたいだ。年も近いし、家族を信頼するのは大切なことだ。イイ傾向、なんだろう。
ふと名前がこの船に最初に乗ったときのことを思い出した。
あの頃のアイツの瞳には生気がなくて、正真正銘、生きる気が感じられなかった。この船に乗る前に何があったかなんて詳しい話は知らない。サッチなら知ってるんだろうが、俺は聞いていない。別に相手の全てを知らなくったって家族にはなれる。重要なのはそこじゃない。ただ、俺は最初、名前が嫌いだった。嫌いというと語弊が生じるが、好ましく思ってなかったことには変わりない。ただそれは俺のあまりに幼稚で自分勝手な感情から来るもので、本当にごくごく個人的な感情だった。
出会った頃の名前は、昔の、オヤジに出会う前の俺にそっくりだった。だから嫌いだったなんて誰が言えるか。

今から2年前。とある夏島に停泊したときだった。サッチの野郎がまだ若い女を連れ帰って来たのが始まりだった。
その島でもいつもの通り女を買いに行ったサッチが、帰りに女を連れ帰った。いくら女癖の悪いサッチでも今までしでかしたことのない暴挙に、眉を盛大に顰めた記憶がある。ただこちらが想像していたのとは違い、女は商売女でもなんでもなく、自殺をしかけていたところを拾った、とサッチは言った。人間なんて、早々簡単に拾っていいものではない。そんなわかりきったことを飄々とやってのけるサッチに、大きなため息を吐いた。甘いと思われるかもしれないが、全部わかってそれを行なうサッチに、何か言う気はなかった。だからオヤジに説明して来いと顎で船長室を示したんだが。

「…オメェ、何者だよい」

一応、一番隊隊長を任されてる身として、船に、家族に危険を及ぼす存在かそうじゃないかの選別はしなくてはいけない。重い口を開いて尋ねたその問いに女は応えることなく、ただただ生気のない色の無い瞳で俺を見つめ返してくるだけだった。
気に喰わねえと、鋭く舌打ちをした。その瞳が、昔の自分と重なって見えて。酷く感情をかき乱されたのを覚えている。

(…゛生きる゛ことを放棄した瞳だよい)

それが異様に気に入らなくて、足音荒くその場を去った。すれ違ったビスタに、珍しく荒れてるなと声をかけられるまで、自分が荒れてることに気付かなかった。
悪いことをした、と思った。サッチが連れてきたということは少なくとも敵ではないのに、そんなあからさまな態度を取ったことを。見たところまだ成人もしてなかった。体つきも貧弱で、俺たちのように悪意に慣れてるなんてことはないだろう。どうにも大人げない自分の態度を叱咤するように舌打ちをする。次会ったら謝罪のひとつでも告げようと決めた。
その夜、オヤジが宴を開いた。昼間の女が新しく家族になったからだ。オヤジの紹介の後にぺこりとひとつ頭を下げた女は、宴の主役にも関わらず一言も言葉を発さなかった。最初の頃は女を囲んでいたクルーたちも、無表情で口も開かない女に呆れたのか戸惑ったのか誰も近づかなかくなった。女を連れてきた張本人であるサッチは厨房に引っ込んじまって出てこない。ぽつりと所在なさ気に隅の方に座り込む女にひとつ溜息を吐き、度数の少ない果実酒を片手にその隣りに腰を下ろした。ちらりとこちらを見た女に手にしたグラスの酒を呷いでから、果実酒のグラスを渡した。

「…昼間は悪かったねい」

戸惑ったように俺の手からグラスを受け取った女は、俺の謝罪にぱちくりと瞬きをして首を傾げた。…気にしてない、というよりは何故謝れたのかわからない、という顔だ。

「ア゛ー…なんでもねェよい」

わかってないなら、謝っても意味がない。ただ俺がこれからそういう態度をとらないように気をつけるだけだ。俺の言葉を受け、前に向き直り小さく果実酒を呷る女。気まずい空気が流れる。

「…その、なんだ、別に口がきけねえ、って訳じゃねんだろい?」

沈黙に耐えられなくなった俺がそう問いかければ、女は素直にこくりと頷いた。

「他になんか、しゃべらねえ理由でもあんのかい?」

またこくりと頷く女。どうやっても口は開かないつもりらしい。まあもともと海賊なんて世間様から爪はじき喰らった嫌われ者の集団だから、それぞれ言えない事情や知られたくない過去を抱えてるもんだ。俺だって語りたくない過去なんて両手じゃ抱えきれねえほど持ってる。だが、そのおかげで今ここにいる。オヤジのもとで、オヤジの家族である証を背負って生きている。ただいまと帰ってこれる家がある。おかえりと言ってくれる家族がいる。それに勝る喜びなんて、俺は知らねえ。だから。

「…ま、よろしく頼むよい」

酒を呷りながらその小さな頭をぽんと軽く撫でた。頭を撫でるなんざほとんどしたことがなかったが、案外すんなり手が動いた。なかなかさわり心地がいいというか、手が馴染む感覚にわしゃわしゃと名前の頭に乗せた手を動かしていれば、サッチが両手いっぱいに料理を抱えてこちらに突進してきた。それから何故か手合わせすることになって宴の肴にサッチとやり合ったんだった。

(懐かしいもんだな…)

目の前でエースの質問の嵐にたじたじになっている名前を眺めながら、そんな穏やかな気分に浸る。アイツ自身がここに馴染むまでは少し時間がかかったようだが、今ではすっかりオヤジに惚れこんだ大切な家族の一員だ。
丁度名前が限界に近くなったところで、タイミングよく現れたサッチがエースの首根っこを掴んで名前から引き剥がす。サッチの野郎も大概過保護だ。それがどういう感情からくんのか…まァ、愚問ってやつだねい。
とりあえず俺は隊長らしく?名前を仕事を口実にかっさらうか。
俺も大概、可愛い妹には甘いみてェだよい。


心臓の半分



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