小説 | ナノ



1.




最近息子が余所余所しいのは気のせいだろうか。






中学生にもなれば親離れ、子離れが進んでどうしても親子の会話というものが少なくなってくるものだとは分かっていた。
けれど父一人、息子一人の我が家には関係ないのだと思っていたのだ。
事実、つい先日までは食事の際には会話もあり、それ以外にも帰ってくれば必ず一言二言は声を掛けてくれていたのに。
今も小学校の教師をしているオレの帰宅に合わせ夕食の支度をしてくれているリボーンの背中にただいまと声を掛けると、何か物思いに耽っていたのかビクリと肩を竦ませて恐る恐るといった様子で振り返った顔はあまり嬉しそうには見えなかった。
「…突然声を掛けんじゃねぇ」
そう言って顔をまな板の上に戻してしまう。そのつれなさにしょんぼりしながらも近付いていった。
「おかえりくらい言ってくれてもいいだろ」
「あぁ、おかえり、おかえり。」
いかにもぞんざいな口の利き方に益々肩を落として息子の背中に泣きついた。
途端、オレを突き飛ばすとマッハもかくやというスピードで横に逃げる。
「一々近寄るな!」
「ううっ、酷いよ。父さんに近寄られるのはそんなに嫌なの?!」
「っ、どこの中学生が父親とべったりするんだ。ありえねぇぞ」
そうすげなく切って捨てられてキッチンから追い出された。
ここ2週間くらいこの状態が続いている。やはり中学生にもなれば親との接触なんてなくなってしまうものなんだろうか。
それとも本当の親子じゃないからか。
ふうっとため息を付いて追い出されたキッチンの扉を恨めしく一睨みしてから、トボトボと鞄を抱えて自室へと足を向けた。


リボーンとの出会いは彼がまだ3歳になるかならないかという初秋の話だ。
オレが大学入学と同時に家を出てから、母親が里親制度に参加していることは知っていた。
小さい子どもが好きだった母親の小さくはない善意を止める資格はオレにはなく、たまに電話口で漏れ聞こえる子どもたちの声に苦笑いを返しながら変わらない母親の優しさを面映く思っていた。
そんな時間はあっという間に流れていき、それは唐突にやってきた。
当時大学を卒業してどうにか教職についたばかりだったオレは、勿論養子を取るなんて思ってもいなかった。
身寄りのない子供たちの里親として幾人かを育て上げていた母親が病に倒れて、その時に預かったのがリボーンだった。
赤子の頃から母に育てられていたリボーンは、母によく似たオレ以外を拒絶し他の里親をしてくれる人のところへ預ける訳にはいかなかった。
本来の誕生日も分からないリボーンに誕生日を与え慈しんで育てた母は、それからまもなくして帰らぬ人となってしまった。
取り残されたオレは考えに考えて、リボーンを養子に迎え入れた。
その時どうしてリボーンだけを手元に置いたのか、どうして養子に迎えたのか自分でも記憶は曖昧だ。
父親の顔を知らずに育ったオレと、オレしか必要としていないリボーンとは似た境遇だと思ったからかもしれない。
ともかく自分の戸籍には子供が一人いるという事実だけは確かだった。
















着替えるのも面倒なオレはネクタイを外すとスラックスだけ脱ぎ捨てた。
小学校の教師というのはそれほどきちんとした格好をしなくてもいいのだが、今日は他校の教師が授業の見学にきていたためにこの格好で授業をするようにと教頭に言われたからだ。
どうにもオレはジャージ姿だと高校生に間違えられ、普段着でもよくて大学生だと勘違いされる。
だから教師と分かるように着慣れない背広を身に着けていたという訳だった。
今年で35になるのだから、オヤジ臭くなったつもりだというのにこの始末。
ため息を吐きながらもシャツ一枚になると、そのままの格好でドカリと椅子に座り込んだ。
今日は背広のせいで肩が凝ったと首を回してからパソコンを立ち上げる。
子供たちの成績からどこが理解し難いのかを考えて次の授業内容を決めていくのだ。
いつの間にか真剣に考え込んでいたところをノックの音で呼び戻された。
「メシができたぞ」
「ふぁい。今いく」
パソコンから顔を上げて扉の隙間からこちらを覗くリボーンに笑い掛けると、こちらを覗いていたリボーンがカッと目を見開いて一瞬だけ顔を歪めた。
それからすぐに後ろを向いて逃げられてしまう。
「……オレなんかしたかな?」
もうため息しかでない。






夕食をおえてキッチンと繋がる居間でソファの上に転がっていると、洗い物を終わらせたリボーンがエプロンを外して近付いてきた。
慌てて起き上がり座りなおすと、自分の横をポンポンと叩いて手招きする。
「ここにおいで」
そう声を掛ければ渋い顔をしながらも横に座ってきた。
するとこちらを見ていたリボーンが、オレの部屋着のスウェットの下を眺めながら言い出した。
「…自分の部屋だからってパンツ一丁でいるんじゃねぇぞ」
「ええぇ!パンツだけじゃなかったよ、シャツも着……ごめんなさい」
シャツは着ていたと反論しようとして、リボーンの鋭い一睨みにぐうの音も出せなくなる。
思春期って男の子でも潔癖症になるもんなんだろうか。 その内オレの洗濯物と分けて洗われるようになったりして。
それが成長ってヤツか…と寂しく思っていると、横から肘でつつかれた。
「受験で提出する書類を揃えに市役所に行くから、はんこを寄越せ」
「もうそんな時期かあ。リボーンは頭いいからどこでも選べるね。ってさ、高校はどこにしたの?」
そういえば一言も相談されていなかったことに気付いた。いくら忙しいからといってもこれでは父親失格だ。
こんな風だからリボーンに父親扱いされないのかもしれない。
それでも知る権利はある筈だと訊ねると、腕を組んだままこちらを見ずに返事がかえってきた。
「…並高だ」
「並高?!そりゃ悪くはないけど、リボーンの偏差値ならもっといい高校が選べるよな」
まさかそこを受験するとは思わず、大声を張り上げたオレを無視して立ち上がるとにゅっと手を差し出してきた。
「煩え。オレが行くんだ、オレが決める。」
妙に強い口調で言い切られ、そのそっけなさに胸がぎゅっと掴まれた。
いくら本当の親子でなくとも、少しくらい相談してくれてもいいのにと。
いや、それとも本当の親子じゃないからこそ遠慮しているのか。
並高といえば公立高校だ。私立と比べて進学率は低いが変わりに授業料は安い。
そこを気にしているのではと口を開きかけるとリボーンが先に口火を切った。
「言っとくが、しがない公務員に遠慮した訳じゃねぇぞ。どうしても並高にしたい訳があるだけだ」
「訳って?」
訊ねると珍しくリボーンが言いよどんだ。そのせいで逆に理由が知れる。
「ああ…好きな子が行くんだ。そっかー父さん知らなかったよ、リボーンが追いかけるほど好きな子がいるなんてね」
いつもは追いかけられてばかりの息子は、親の欲目じゃなく本当に格好いい子だ。
本当の両親は外国人だったのだろう。日本人ではありえない手足の長さに、ここ一年ですっかり柔らかさの消えた頬はすっきりとシャープでその中に納まるパーツは端正といって差し障りない上に絶妙のバランスで配置されていた。
そうなんだと納得していると、そんなんじゃねぇ!と強い口調で一蹴された。
「どこに行こうがオレの成績が落ちることはない。だからどこに行こうと勝手だろ」
眉間に皺を寄せながらそう言うとオレの返事もはんこも待たずに居間から出て行ってしまった。



日が明けて翌日。
バツの悪い時に見せる無表情な横顔を眺めながら印鑑をキッチンテーブルの上に乗せると、一瞬だけ躊躇うように彷徨った視線はすぐに戻ってオレに視線を合わせる。
「借りてくぞ」
「ん、」
 頷けば照れ隠しのようにお茶をなみなみ湯のみに注がれて口許が緩む。
 両手で零さないように持ちながら口をつけた。今日もリボーンの煎れたお茶はおいしい。
どうしてか母さんが煎れたお茶と同じ味がするような気がして、もうリボーンは覚えていない筈なのにと不思議に思いながらも心の奥が暖かくなった。
こんな日がいつまでも続くんだと、そう思っていた。





午後の授業も終えて児童たちを帰したあとの職員室で昨晩の一件を学年主任の先生と話していると、横から教頭が声を掛けてきた。
教頭は年配の女性教諭で見た目は定食屋の恰幅のいい女主人のようでもある。
「沢田先生、お子さんは思春期っていうのもあるんでしょうが自分の時間を持ちたいと思っているんじゃないのかしら。どうです、お見合いしてみませんか?」
この教頭はお節介というかやたらと独身の教師にお見合いを勧める困った人だった。しかも本人は親切心で勧めてくるので断ることにも気がひける。
「家庭を守ってくれる人がいるということは、それだけで子供は安心するものですよ」
「そう、でしょうか…」
違うとも言い切れなくて思わず考え込んでしまう。
確かにオレが教師という職についていることとあまり器用じゃないせいで、リボーンが家事をしてくれている。
高校生にもなれば自由が欲しいと思うのは当たり前でそれを止める気もないのだが。
何かが引っ掛かって、それが何か分からなくて黙るとそれを見た教頭はこれ幸いと任せなさい!と小太りの身体を叩いて勝手に納得するとその場から離れていった。
「…沢田先生、お見合い決定だな」
「え、えぇぇえ?」
ま、中学生の子持ちでもいいっていうような物好きはそうそういないだろうけどなと笑われて、そういえばそうだとその時はそこで話が終わったのだ。
その時は。




 そんな話をしたことなど忘れ、そろそろ迫ってきた学期末に向けて頭を抱えていた。あれから2週間は経っていたし、その間に何の話もなかったからだ。
通信簿は子どもにとっても憂鬱だろうが、教師にとっても苦痛な代物である。何せ子どもたちを数値で推し量らねばならない。
知らずため息を漏らしていると、突然後ろからぬっと何かが目の前を覆った。
視界を埋めるそれに慌てて顔を上げれば、強引に手に押し付けられて呆然としながらそれを受け取る。
手許のそれと後ろでしたり顔をしている教頭の顔を見比べると、沢田先生のお写真も先方さんに渡したいから明日持ってきて下さいねと声を掛けられて目を瞠る。
と、いうか。
「マジですか?!」
泡を食ったオレはそう教頭に詰め寄った。
すると我が意を得たりといった表情で教頭はふくよかな身体を揺らしながら頷く。
「マジですよ。なんでも先方さんはどこかで沢田先生を見かけたことがあるらしくて、沢田先生だと知ると二つ返事で受けて下さったんだとか。ふふふっ色男はいいわねえ」
楽しくて仕方ないといった教頭に思わず大丈夫だろうかと失礼なことを思いながら反論する。
「それ初めて言われました。いつも可愛いとかペットに丁度いいとかは言われますけどね」
まあご謙遜。なんて笑われたけど、本気なんだろうか。
イヤイヤしかし!その前に一つ確認しておかなければならない。
「オレ、35歳の上に今度高校に上がる子どもがいるんですけど!」
そうそこは大事だ。35歳はまだいいだろう。けれど中3の子持ちでもいいなんて太っ腹な女性が果たしているのだろうか。
甚だ怪しいと訊ねるとそれにも大きく頷いた。
「ご存知みたいでしたよ。まあ吊り書きを読んでみてご覧なさい」
ほらほらと急かされてやっと手元にある吊り書きに視線を落とす。
バツ1とか嫁ぎ遅れかとあまり期待しないで、それでも渋々吊り書きを開けば思いもかけない人物の写真が貼ってあった。
「ハ、ハルぅ?」
「あらお知り合い?」
「知り合いも何も、幼馴染みです…」
そんな2人が結ばれるなんて浪漫ねえなんて教頭は呑気に笑っているが、オレにとっては笑っていられる場合じゃない。
ハルこと三浦ハルは小学校から高校まで一緒だった仲のいい幼馴染みだった。
小さい頃からオレのお嫁さんになりたいです!と言っていた彼女だったが、母が亡くなり家を手放すことになってからは音信不通になっていた。
頭のいい彼女は有名大学を浪人せずに卒業、今は弁護士をしていると風のたよりで聞いている。
なのになんでオレみたいなしがない公務員とお見合いなんか…。
嬉しいよりも、気が重いお見合いになりそうだった。



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