3.『挿れて欲しいか?』 『ほしい…』 上からのアングルで撮られているそれを目の当たりにし、脈拍がドクドクと音を立てている。信じられない思いでそれに手を伸ばすとすいっと取り上げられた。 「何でそんな」 携帯を追っていけば、リボーンはクツリと笑ってまた最初から再生を始める。自分の声とリボーンの声に何をしているのかなんて隠しようもない。漏れる息遣いまで拾う携帯の機能に愕然としていたが、ハッと気付いて携帯を持つ腕にしがみ付いた。 「消せよ…っ!」 「消してもいいが、他にもあるぞ」 イイ奴だなんて思ってなかったが、それでもここまで酷いことをするとは考えてもみなかった。恐喝という単語が浮かんで、違うと思いたいのに否定する材料がない。 頭の中が真っ白になって知らず掴んでいた手が力を失いそのまましゃがみ込んだ。 そこにまた悪魔の声が掛かる。 「契約するだろう?」 「っ!」 あの夜の行為はオレの弱みを握るためだけだったと突き付けられて息が止まる。指先から熱が奪われていくことにも気付かず、握ったエプロンの裾がしわになった。 声も出せずに俯いていると、顎に手をかけられて強引に上をむかされた。 「…明日、24日にホテルで待ってるぞ」 ぐしゃりと歪んだオレの顔を見ても眉ひとつ動かさないリボーンの手を払い除けると、思いの外長い睫毛を伏せてから冷たい瞳でこちらを睨むように見詰められ、その鋭い視線に身体が竦んだ。 「こうでもしなきゃ、もう掴まえられねぇんだな」 訳の分からない言葉を残して立ち去っていった背中を呆然と見送った。 次の日は店を開けても上の空のオレにアルバイトの子が必死に話し掛けるも返事すらまともに出来ずにいた。 何時に来いとも言われなかったことに時計ばかりを気にしているオレを見たアルバイトの子がポンポンと背中を叩いて哀れむような目を向けてくる。 「そういえば店長の初恋の方、今日が結婚式なんですよね」 「初恋?!」 リボーンの話などしたこともなかったのにと思いかけてすぐに誤解されていることに気が付いた。少し前のことだが、京子ちゃんが店に寄ってくれた際に初めて好きになった女の子だと喋ったからだろう。 誤解だと分かった今でも心臓が煩い。あいつが結婚だなんて冗談でも嘘でも嫌だ。そんな風に思う資格も権利もないのにそうはっきりと自覚した自分に驚いた。 「でも、初恋が実ることなんてないですから…頑張っていい人見つければいいんですよ!」 ね?と励ましてくれているのか、傷を抉っているのか分からない慰めの言葉にグッと唇を噛んだ。 初恋は実らないなんて当たり前で、そもそも自分とリボーンとでは実りようもないけれど、それでもあいつは今日を指定してきた。クリスマスは好きな子と一緒に居るだけでいいと言っていたのにわざわざ今日をだ。 好きだった子と逢っていようが、それを邪魔だと思われようが今から会いたいと思った。 リボーンはオレの弱みを握ったと思っているようだが、それは逆だということに気付いていない。 正月飾り用の千両を飾っていた手を止めて、エプロンを脱ぎ捨てると契約書が入った袋を手に取る。 「ごめん!ちょっと出るよ!戻らなかったらいつものように閉めといて!」 「ちょ、店長?!幸せな花嫁さんを邪魔したらダメですよー!」 「はははっ!しないって。ちょっと初恋に玉砕してくるだけだからっ!」 骨は拾いますから!ととどめを刺されながら店から駆け足で飛び出ると、突然携帯のメール着信音が尻ポケットから鳴る。 心配性のアルバイトからだろうとそれを取り出して確認すれば、意外な人物からのメールだった。 「なんでリボーンが…しかも『幸せにな』?」 会いに行こうと思っていた人物からの気が削がれるメールに首を傾げる。勢いが凪いだせいで走る気力もなくなってバス停までトボトボと歩いていくと、結婚式場の前に黒尽くめの背の高い男が睨むように式場の前で立ち塞がっていた。 数瞬のフリーズの後、パチパチと瞬きをしてよく目を凝らして確かめてから近付いていく。 「こんなところで何してるんだよ?」 「っ、ツナ?」 あからさまに驚いた表情を見せるリボーンに、こちらの方がびっくりした。まるで幽霊にでも会ったような顔でこちらを凝視している。 「おまえ…結婚式はどうしたんだ」 「式?いや、今日は式場の仕事は入ってないけど…」 式場の近くの花屋のせいか、会場の飾りつけの仕事はよく入る。だけど今日は京子ちゃんが自ら飾るのだと言っていたので手伝いにも行っていない。 それにしてもよく知っているなと感心していれば、ぐいっと肩を掴まれてタクシーに押し込められた。 乗り込んだ先でもオレの肩に腕を回したままで、タクシーの運転手の視線が気になって視線を上げることも出来ない。だけど振り解けずにいる。 顔を赤くさせたら不審に思われるだろうと意識を余所に向けようとふとリボーンの胸元に視線をやると結婚式場では見られないものがそこにあった。 こっそりと耳元に口を寄せる。 「ひょっとして追い出された?イタリアじゃ知らないけど、日本では結婚式に黒ネクタイはダメなんだって」 そう声を掛けると複雑そうな顔をしたリボーンがいいやと首を横に振る。 「そんなことは分かって締めてきたんだぞ」 「余計悪いだろ?!」 掴まえてきて正解だったと胸を撫で下ろしていると、丁度のところでタクシーが目的地へと辿り着いた。 オレの背中を押して外に出るとチップだと言ってつり銭も受け取らずにタクシーから降りてきたリボーンに腕を掴まれたまま、ホテルに連れ込まれた。 握られた手首が痛くて、しかも男同士で手を繋いでいる姿は恥ずかしいと言っても聞こえていないようにこちらを振り返りもしないで引っ張られる。 慌てた様子のリボーンを不思議に思いながらも、これも今日で終わりだと知っているから開き直ることにした。 この前連れて来られた時にはあまり周りを見られなかったが、よく見れば随分といいホテルに泊まっている。 イタリアからの重役として活躍しているらしいリボーンを遠くに感じてブルッと身体が震えた。 「どうした」 「何でもないよ」 ここで怖気づいたらもう2度と会えないだろうことは嫌でも分かる。リボーンが仕事として成功させたいこの計画のためにオレを陥れたのだとしたら、それすら利用しようと考えるオレもオレだ。 この部屋に足を踏み入れるのは2度目だが、これで最後なんだと顔を上げてドアの向こうへ身体を滑り込ませた。 無言で互いを睨むように見詰めあいながらソファに座るでもなく立ち尽くしていると、リボーンがオレの手を引き寄せて顔を近づけてきた。 そこに自分には似合わないと知りつつ薄ら笑いを浮かべながら契約書を目の前にチラつかせる。 「欲しいだろ?あんなことするくらいだもんな…だったら一つだけ言うこと聞いてよ。一日だけ、今日だけ日付が変わるまで一緒にいて」 返事を知っているオレは視線を合わせ続けることが辛くなって顔を横に向けた。これで全部終わるんだと吐き出しかけたため息を飲み込む。 長い沈黙の後にオレの手から契約書を取り上げたリボーンはそれを何の躊躇いもなく破り捨てた。 突然の行動に驚いているオレに手を伸ばすとぎゅうと抱きつかれた。抱き締められるというよりしがみ付かれているようなそれに益々困惑してリボーンの胸から顔を覗かせると、振り絞るような声が頭の上から聞こえてきた。 「馬鹿野郎…っ、人がどんな思いで諦めたと…!」 「諦める?」 リボーンらしくない態度と妙な言葉に引っ掛かりを感じて聞き返すと、苦しそうに眉を寄せていたリボーンが何かに気付いたようにピタリと黙り込んだ。 所在無く彷徨わせていた手を恐る恐るリボーンの背中に回すと、いきなり顔を掴まれてくっ付きそうなほど顔を寄せられた。 「…お前、結婚式はどうした?」 「だから、今日は式場の仕事はないって」 「仕事じゃねぇだろ。お前と京子とかいう女の結婚式だ」 「はぁ?京子ちゃんとオレェ?!」 突拍子もない台詞に目を剥いて驚いていると、そんなオレの様子から誤解が解けたのか力なくしゃがみ込んだリボーンはきちんと整えられていた髪に手を入れて掻き回していた。 「騙された…クソッ!何が『遅かったな、ツナ坊はクリスマスに可愛い嫁さんと結ばれるってよ』だ」 「オジちゃん……」 子供をからかうことが楽しみだと公言しているオジちゃんに、まんまと騙されたらしいリボーンを前にため息も出ない。 不貞腐れたようにしゃがみ込んだままのリボーンの横に同じく座り込むと、気になったことを聞いてみた。 「確認しなかったのかよ」 「名前まで教えられて嘘だと思うか。それでも式場の前まで来てみれば同じ『沢田』だったしな」 だからあのメールかと納得した。同姓だなんて腐るほどいるのにと思えど、それくらい動揺してくれたのかと思えば嬉しくもある。 まったくなかった期待が少しずつ膨らんで、ドキドキしながらも手をリボーンのジャケットの裾に伸ばした。 「返事、聞いてない」 これでただの子供時代のヤキモチの延長だったら恥ずかしい。だけど、きっと今しかチャンスはないのだ。 怖さと同じだけの期待とで押し潰されそうになりながら、ぎゅっと硬く閉じた瞼の上に気配を感じて肩が揺れる。息を飲み込んで答えを待つオレの唇に柔らかいものが押し付けられた。 塞ぐというより重ねるだけの口づけにやっと息を吐き出せば、それを待っていたように深く唇を合わせる。 ふわふわと地に足がつかないような優しいキスに顔を赤くしていれば、ゆっくりと離れていく口付けに思わず目を開けた。 視界の先には楽しそうに笑うリボーンの顔があって、キスしていたときの顔まで見られてしまったのかと思うと恥ずかしい。 「なんだよ…見るなって!」 「どうしてだ?好きな相手の顔を見ていたいと思うのは自然だろう」 はっきりと言われて顔から火が出そうだ。嬉しいのにどう返せばいいのか分からなくて視線を逸らすと、それを許さないというように肩を押されて床の上に押し倒された。 体重を掛けられたせいではなく逃げられなくて余計に顔が赤らむ。 「ツナのお願いだからな。付き合ってやるぞ…一生」 「い、いっしょう?」 一日だけだと言い返そうとすると、掴まれた肩に体重を掛けられて口付けられた。息も出来ないほど啄ばまれてしまえばそんなことなどどうでもよくなる。 リボーンの首に手を回すと、黒いネクタイを片手で解いてポイと投げ捨てた。 「15年経って、やっとサンタから欲しいものを貰えたぞ」 驚きの告白に顔を上げればまた顔を寄せられて、今度は自分から唇を重ねていった。 May your Christmas wishes come true. |