3.隣のおじさんを見たのはまだ3回だけだった。しかもその内1回は出て行く姿をチラリと横目で見ただけというもので、それが越してきて2ヶ月にもなろうというのにである。 リボーンなどはウチの子にでもなったように居付いているのに、肝心の親はといえば警戒心の強い野生動物並みに姿を現さない。 本当に仕事が忙しいということもあるのだろうが、それにしても子供のことは心配じゃないのだろうか。 父親というものは子供のことなどその程度しか感心がないのかと思うとやりきれない。 自分も同じだからなおさらそう思うのかもしれないが。 そんな訳でおじさんを快く思っていなかったオレは、何の因果かおじさんと2人きりにさせられていた。 いつもウチに入り浸っているリボーンのお礼だとかで見たことも無いような綺麗なお菓子を抱えてきたおじさんを、母さんがいつものように強引に招きいれていざおやつを…となったところでお茶を切らしていたことに気付き買いに行ってしまったからだ。 オレがお遣いに行くと言い出す間もなくである。 ちなみにリボーンは最近、母さんが送り迎えをすることで幼稚園に通うようになっていた。 オレはといえば先週やった持久走大会の代休で今日はたまたま休みだ。 おじさんとオレとでは共通の会話なんてこれしかない。だけどこれを出して果たしてまともに会話が成立するのか甚だ怪しい。 大体オレはこの人のことを苦手だと思っているのだから。 ウチのキッチンが何故か豪奢に見えるミラクルを味わいながら、その原因たる人物に顔を向けると同じようにこちらをマジマジと覗いている。 「なんですか…?」 「いや、どうしてツナはそんなにツンツンしてるんだ?」 「ツンツンなんてしてません!」 言い負かされまいと声を張り上げたオレに、驚いた顔で切れ長の目を瞬かせながらおじさんはこちらに身を乗り出してきた。 いかにも大人の男という雰囲気に気圧されて、近付かれた分だけ身体を逸らすとまた近付いてくる。 テーブルの上での攻防に負けたのはやっぱりオレで、ゴテンと座っていた椅子から転げ落ちると、大きな手がオレの肘を掴んで引き寄せる。 「大丈夫か?すごい音がしたぞ」 テーブルの脚にぶつけたオレの後頭部を撫でられて、痛さにではなくじわりと涙が浮かんできた。 「そんなに痛かったのか?」 「…がう、」 おじさんの膝の上に乗せられたオレは、思いの外優しい手に撫でられて喉元からせり上がるそれを思わず吐き出した。 「何でオレに優しいのにリボーンには冷たいんだよ!」 最近オレにばかり張り付いてくるリボーンに聞けば、どうやらリボーンとおじさんの親子関係というのはかなりドライらしい。 抱っこされた記憶もかなり遠いと聞いてから、どうにも消えないモヤモヤが胸に溜っていたのだ。 自分と父さんを重ね合わせるように、おじさんを睨むとさも驚いたといった表情でオレを見詰め返す。 「…あいつがそう言ったのか?」 「そうじゃないけど…でも、抱っこもしてやってないのは聞いたよ。だから人に触られるのがキライだったって」 「だった?」 「うん。今はオレにべったりだよ」 そう告げるとおじさんは小さい声で何事かを呟いていた。低い声は聞き取りが悪くてよく聞こえなかったが、どうやら文句を言っているようだ。 それは逆だろうとキッとおじさんを下から睨むと、肩を竦めて両手を挙げて降参のポーズをした。 「分かったぞ。だがオレも人と馴れ合うのは得意じゃねぇんだ」 「馴れ合うじゃなくて親子のスキンシップだろ!」 「…それでもいいが、苦手なもんは苦手だ」 子供みたいな言い草に呆れていれば、おじさんはいいことを思いついたと言わんばかりにニィと笑うと顔を近づけてきた。 迫力のある美形に免疫のないオレはそれだけでドキドキと心臓が煩くなる。 そんな自分を訝しみながらも間近に迫った顔を見ていると、オレの腰を抱えていた腕を狭めてもっと引き寄せられた。 「あいつもリハビリ中で、オレも苦手だ。ならオレのリハビリもツナが相手をしてくれねぇか?」 「オレ…?」 リボーンがいるのにと思わず声を上げれば、分かってねぇなと鼻で笑われる。 この親子、仕草どころか行動までそっくりだ。 納得いかないものを感じながらも、どうしてだと訊ねれば明快な答えが返ってきた。 「あいつはお前以外触りたくねぇ…じゃない、触れねぇんだぞ?オレが触ったらどうなると思う?」 「…投げ飛ばされる、かも」 「かも、じゃなくてそうなるんだ。まぁ、オレも易々投げられることはねぇが…そうすると取っ組み合いになるのは分かるか?」 「うん…」 そういえばリボーンはそういうヤツだったと思い出して頭が痛くなってきた。 成る程、リボーンの人嫌いを治してからじゃなければまともな親子のスキンシップも望めない。 だけどおじさんの方はどうなんだと顔を見詰めると、いきなりぎゅうと抱き締められた。 「いたたっ…!」 「お、悪ぃな。久しぶりすぎて加減が分からねぇ」 背中が軋むほどの力に眦から涙が出そうになると、それを見ていたおじさんはオレの目元に舌を伸ばして舐め取っていった。 「なっ?!」 「ちなみにツナの初恋はいつだ?」 「ハツコイ?よく分からないよ」 「そうか、そうか。なら初キスは誰とした?」 あまりにあっさり訊ねられて、キスってなんだろうかとしばらく考えて…沸騰した。 「キ、ス…って、そんなのしたことないっ!」 好きな子すらまだいないのにキスなんかするかとおじさんの膝の上で暴れると、体勢を崩したオレを引き寄せた腕がぐいっと引っ張り上げてその際に顔と顔がぶつかった。 「お、ツナの初キスだな」 「何言ってんの。これが入るならリボーンのが先だよ」 妙なことを言い出したおじさんの顔を見返すことができずに俯きながらそう言えば、おじさんの声色が低くなって驚いた。 「なんだと?」 「オレのせいじゃないよ!たまたま、リボーンを膝抱っこしてあげてたら母さんが部屋に入ってきて、2人でカップを取ろうとしたらぶつかっただけだし」 だから今と同じで偶然だと口を尖らせる。 「ほら、昨日ぶつかった跡。本当にぶつかっただけだから!」 リボーンの歯が当たったのか上唇が少し傷になっていて、それを見せるとベロンと舐め取られた。 「なにす、」 「舐めときゃ治る、だろ?」 ニコリと嘘くさい顔で笑われても意味が分からない。 頬が熱くなった自分にうろたえながら、手の甲で唇をゴシゴシ擦るともっとジンジンしてきた。 こうしておじさんと顔を合わせる度にスキンシップという名のセクハラを受けることとなった。 ちなみにセクハラという言葉を覚えたのはそれから3年も経ってから。 . |