2昨晩の嵐が嘘のように晴れ渡った空が広がっています。海の深い蒼とは違う青さにリボーンはしばらく目を奪われていました。 頬を撫でる風もそよそよとした優しいそれです。 リボーンは波が凪いできた海を子供を抱えて渡ると波打ち際まで運んできてやりました。 優しさというものが欠落しているリボーンは、一晩雨風にさらされて体力の奪われている子供を無造作に砂浜に転がしてから、ふと何かに気付いたように視線を下へと向けました。 人魚であるリボーンは人間嫌いです。だけどこの子供にはどうしてか何かしてやろうという気になっています。そんな自分をおかしく思いながらも、辺りを見渡してからそっと手を伸ばしてみました。 潮風でパリパリになっている茶色い髪を梳けば水かきのついている指が少し引っ掛かります。 お世辞にも綺麗な顔立ちという訳ではありません。あまり高くもない鼻に髪と同じ色をしたまばらな睫毛、それから柔らかさの残る頬にかさついた唇。どれをとっても自分に勝るとは言い難いというのに、胸を掻き毟られるような痛みを覚えてあり得ないと頭を横に振りました。 スカルから渡して欲しいと懇願されたネックレスがあるからだろうと、それを子供の胸元に置いて立ち去ろうとした瞬間、視線の先の子供が身動ぎをしました。 人魚たちには人間に姿を見られてはいけないという不文律があります。 らしくもなく慌てたリボーンは、ネックレスを握ったまま海面へと逃げ込んでいきました。 わずかな水音を立ててしまったことに舌打ちをしながら、リボーンは海底の人魚の宮殿まで逃げ帰ったのです。 リボーンは今まで一度としてドジを踏むようなことをしたことはありません。それは危険を察知する能力に長けていることと、自分以外の誰も信用していないせいでもあります。 常に2手3手先まで考えて行動をするリボーンは人魚のなかにあってもどこか他を寄せ付けないような雰囲気を醸し出していたのです。 そんなリボーンの見慣れない様子にすぐに気付いたのはすぐ下の弟であるコロネロでした。 「なに妙な顔してやがるんだ、コラ!」 スカルが宮殿から逃げた翌朝、リボーンは何かから逃れてきたかのように宮殿の奥に潜り込んだきり出てこないのです。 心配するほどの可愛げなどないリボーンとはいえ、さすがに4日も飲まず喰わずでいることに不審を覚えたコロネロが顔を見に来たという訳でした。 しかしそんなコロネロの言葉にいつも通りフンと鼻で笑うと、黄色の鱗を輝かせながら尾びれを一振りして相棒であるウミヘビに手を伸ばしてリボーンは顔を上げます。 「妙な顔だ?ハン!オレが妙な顔ならてめぇは残念な顔になるぞ」 何かを吹っ切ったような表情で突然泳ぎ始めたリボーンの後をコロネロがついていきます。すると途中でタコに巻き付かれている三男を見つけました。 「あ!やっと出てきたか。あんたに聞きたいことがあるんだが…」 人魚の王である父からのお達しでスカルは宮殿から出られないようにタコの護衛がついているのです。 リボーンもコロネロも、そんなタコなど振り切ることなど容易いのにと三男の鈍臭さに肩を竦めて顔を見合わせていれば、スカルが顔を赤くして怒鳴り始めたのです。 「オレだって逃げ切れない訳じゃない!だが、タコはオレの友だちだから逃げないんだ!」 どう見ても逃げ切れないだけに見えるその姿で言われても説得力はありません。 バカな子ほど可愛いという言葉を思い出した2人でしたが、それには揃って頭を振るとタコとじゃれている三男の頬を左右から引っ張り上げました。 「で?オレに何の用事だって?」 力一杯捻り上げた頬が赤くなっていくと、スカルに巻き付いていたタコが慌てたようにリボーンとコロネロの腕を退かそうと伸びてきました。それを見たリボーンの相棒のウミヘビが威嚇の睨みを利かせていました。 「は、はなへよ…!ひゃべへなひらろ!」 スカルの言葉に納得した訳ではなく、ただ単にタコとウミヘビの睨み合いを止めるべく手を引いたリボーンはウミヘビを首に巻きつけるとタコに囲われている弟へと顔を近づけ覗き込んできました。 「っ、たく!しばらく腫れるぞ…これ。そうじゃなくて、その、ネックレスなんだが、」 チラチラとコロネロの顔を盗み見ながら言い難そうに小声で訊ねるスカルは、リボーンの手にある金色のそれを目にして慌ててにじり寄ります。 「なっ!どうしてこれが…!頼んだじゃないか!」 そんなスカルの憤りを平然とした顔で聞いたいたリボーンは、悪かったなと口先だけで謝るとニヤリとイイ顔で笑い掛けてきたのです。 リボーンが素直に詫びるという不測の事態に、散々な目に遭い続けているスカルは不穏な空気を読み取りました。 あまりのことに怖気が立ち、それに背筋を震わせながらも兄の顔を見ていれば、手にしていたネックレスに唇を寄せ大事そうに抱える姿を目にしてしまい、スカルは恐怖で叫びだしたくなってきました。 隣にいたコロネロも兄のいつにない姿に不穏なものを嗅ぎ取ったようです。 「頼まれ事を完遂できねぇなんてオレの名が廃る。安心しろ、オレが最後まで責任をもって渡してきてやるぞ」 世にも珍しい晴れやかな笑顔を見せるリボーンの顔ととんでもない言葉に、スカルはよろしくと頭を下げそうになって慌てて手を伸ばしました。 「バカ言うな!どうやって人間に渡すっていうんだ!そんな機会はもうないだろう!?」 人間という言葉に驚いたのはコロネロです。今まで事の次第を読み取るために黙って聞いていましたが、人間に姿を見られるかもしれないというならば話は別です。 「人間ってどういうことだ、コラ!」 スカルを締め上げようと肩に手を掛けたコロネロにウミヘビを巻き付けて、リボーンはその場から離れていきます。 スカルも後を追おうとしましたが、タコがそれを許してはくれません。 そうして、リボーンは2人の弟をまんまと出し抜くととある場所へと向かっていきました。 人魚の住む世界は人目につかない海底のそのまた奥にひっそりとあります。 そんな人魚たちが住む場所からこれまた遠く離れた場所にそこはあるのです。 いつ来ても陰気臭ぇと思いながらも、リボーンは海草と魚たちを掻き分けて深海へと進んでいきます。するとコロネロを撒いてきたウミヘビのレオンがリボーンの後ろから近付いてきました。 「ありがとな、レオン。あの筋肉馬鹿と単細胞のことだ、お前に連れられて海面を彷徨っているんだろう?」 表情のないウミヘビの無言の肯定にクツクツと笑うと、もう一度レオンを首に巻き付けて人嫌いの魔術師の棲む岩戸を叩きます。 「居るのは分かってんだ。オレだけしかいねぇ。早くここを開けろ」 さもなければ棲み家ごと吹き飛ばしてやるつもりで戸を叩いていれば、岩戸がほんの少し開いて中からフードで覆われた人物が顔を出しました。 「煩いな…君には気遣いが足りないね。なんだい、騒々しい」 男とも女とも、若いとも古いとも知れないこの人物はリボーンの知り合いというより切っても切れない昔なじみの一人です。 お互いの性格も人となりもよく分かっているせいか、遠慮ない口調になるのは仕方がないというものでしょう。 リボーンの顔を見て観念した魔術師は身体を少し横にずらすと奥へ入ることを許可しました。 「どうしたんだい、急に」 こっちは仕事があるんだと、早々に厄介払いをしたい魔術師が明らかに険のある口調でリボーンに訊ねます。すると部屋の中をぐるりと巡らせていた視線を合わせてリボーンは顔を近付けてきました。 「人間になる薬を寄越せ」 「って…」 いきなりの要求に言葉を無くした魔術師は、それでもすぐに驚いたことを気取られまいと口を歪めます。 「そんなこと出来っこないだろ」 「どうだかな。無いなら無いとお前は即座に言うだろう?」 さすがと言うべきでしょう。自分のわずかな言動からそれを読み取ったリボーンの顔を忌々しげに睨みつけた魔術師は小さく息を零しました。 「…それで?あったとしたらそれをどうするつもりなんだい?」 「オレが人間になるんだぞ」 そうきっぱりと言い切られ、思わず頷きそうになってから言葉の異常さにギョッと顔を強張らせて振り返ります。 「バカ言わないでよ!お前は人魚の王の長男なんだよ。どうしてそんな…」 リボーンの言葉に反論しようとした魔術師でしたが、その顔を見てそれを諦めてしまいました。 「…まったく、人魚って生き物は始末に負えない種族だよね。いいよ、やるよ。どうせ僕には無用の長物さ。ただし代価は貰うよ」 「あぁ、なんでもいいぞ」 すべてを引き換えにしてもいいという声音に、魔術師は長いため息を吐き出してから珊瑚の棚の奥に隠していたそれをリボーンへと手渡しました。 「いいかい?尾びれを足に変えるんだ。だから歩くだけで激痛が走るってことは分かるだろう。それからこの薬は万能じゃない。お前が想うだけ相手からも想われなければ1ヵ月でお前は泡になってしまう、そういう薬だよ」 健闘を祈るよと言うとリボーンを追い出すように魔術師は岩戸の向こうへと追いやりました。 「それから、代価はお前の声だ」 とっとと振られてきてしまえ!と叫んだ魔術師はピシャリと戸を閉めてしまいました。 そんな可愛げのないように見えてその実心配しているだろう4番目の弟にふっと笑ったリボーンは、手にした小瓶を握り締めながら人間の住む海岸へと泳いでいったのです。 . |