もういいから早くくっつけお前ら淡く染まった目元に、期待するように薄く開かれた唇が何事かを呟くと目の前のよく知っている男が沢田のそこに顔を近づけていった。 逃げるんだ!喰われるぞ!と声を張り上げたのに届かない。まるで透明な壁一枚隔てたあちら側とこちら側とで分けられているように感じる。 もどかしさに地団駄を踏んで飛び出そうとした矢先に沢田と先輩のそれが重なって、手を差し出したところでがばりとベッドから飛び起きた。 「…夢か、」 辺りを見渡す気も起きないが、この空間に自分以外の気配がないことは分かるので間違いない。 それにつけても、あれが夢だと分かった今でも動悸が治まらない自分にため息を吐いた。ついでに朝の生理現象というには、いささか元気のよすぎる中心を視界に入れてしまい舌打ちも漏れる。 こんな夢を見たのには訳がある。昨日のアクシデントという名の先輩の計算通りにことが運んだあの一件のお陰だ。 互いに互いを気にし合っている沢田と先輩だったが、これといった進展もなく緩やかに日は移り変わっていった。 違いがあるとすれば、オレ以外の周囲があの2人を馬鹿ップルだと理解して視線を逸らすようになったことぐらいか。 強面のイタリア人理事長が事ある毎に2人の邪魔をするのだが、それすら先輩の思う壺といった調子で見ていて哀れですらある。 昨日など、全校で行われる体育祭の行事で理事長の鼻先から堂々と沢田を攫っていったのだ。 あれは借り物競争のお題が悪かったのだと思う。そのものズバリ「好きな人を連れてくる」ならば先輩の高いプライドが邪魔をして沢田を連れ攫ったりは出来なかっただろうに、「気になる人を連れてくる」など言葉を濁したばかりにああいうことになる。 随分と日本に慣れたらしい理事長の口癖はカスが!だが、昨日はそれさえ出せずに怒りに顔を赤らめるだけだった。 昨日の先輩は朝から何かをしでかしそうな気配を放っていた。 やる気がなさそうに見えながら、実はどこになんの指示が出されているのかを裏の諜報網と計算とで割り出し、きちんと引き当てた中身がそれ。 勿論借り物競争に出ると朝突然言い出したとて先輩に異論を唱えられるクラスメイトなどいやしないのだ。 丁度昼飯前の和やかな雰囲気での借り物競争が、一変したのは最終組。 たまたま沢田の顔を覗きにきた理事長の目の前で手を差し出した先輩に、迷うことなく答えた沢田が手を伸ばしたところで抱え上げられ、まさに借り物を運ぶが如く沢田をゴールまで運びあげた先輩に体育祭の実行委員がその場のノリで先輩にヒーローインタビューなどをしたから始末に負えない。 「借り物競争のお題は『気になる人』でしたが、リボーン君は沢田先生のどこが気になった?」 そう差し向けられたマイクに、フンといつもの人を小馬鹿にした笑みを浮かべながら先輩は口を開いた。 「どこが?分かるようならこんなにいつまでも気になる訳がねぇだろう。分からねぇから全部が気になるんだ。」 答えた途端に女生徒からは悲鳴が響いたところからすれば、きっと先輩以上に先輩の気持ちが分かってしまったことが窺える。 だというのに隣に借り出された沢田はといえば、キョトンと大きな瞳を瞠ったきり小首を傾げてそれを聞いていた。 そんな沢田の様子に気付いたインタビュアーがまたまた沢田にまでマイクを向けたものだから場が騒然となる。 「それじゃ、沢田先生は『気になる人』がいる?」 「へ…?こいつだけど?」 さも当然のように指差した先には腕組みした先輩が。さすがに洒落にならない馬鹿ップル振りに顔を引き攣らせながらもマイクを下げようとするも、性能のいいマイクが仇となり沢田の小さい呟きまで拾ったからさあ大変。 先輩と沢田と、それから言葉の裏を知るオレ以外が大騒ぎを始めた。 「でも別に嫌いだからって訳じゃないよ。嫌いなヤツと風呂なんか一緒に入らないし。」 風呂に一緒に入る仲なのか?!と焦る周囲をよそに、沢田を先輩は一等の賞品であるチョコケーキに意識が向いてしまっていた。 どうやらかなり有名どころのケーキだったようで、甘い物の好きな沢田は一口寄越せと先輩に詰め寄っている。先輩はといえば甘い物はチョコレート一粒でいっぱいだというのに、沢田の必死な顔が面白くて意地悪をしていることが見て取れた。 周囲を顧みない傍迷惑な馬鹿ップルである。 少し話は逸れるが、風呂の一件には続きがある。 沢田と先輩が一緒の風呂に入ったのはオレも連れていかれた紅葉狩りの日のことだった。 オレと一泊したことをいまだに根に持っていた先輩が、自分とも泊まれと沢田を脅して無理矢理連れてきた旅館でのこと。 真昼間から温泉に浸かる男というのはそう多くなくて、その日は大浴場を3人で貸切に出来るほどだった。 露天風呂に喜ぶ沢田の背中を見て思わずその下へと向きそうになる視線を引き戻しながら同じ湯船に浸かると、同じく湯船に入ってきた先輩が沢田の隣に入ってきた。 逃げ腰になる沢田に先輩は視線を胸元に向けてから呟く。 「随分と可愛いピンク色じゃねぇか。」 「…は?」 意味が分からない沢田とは逆に、思い切り視線をそこに向けてしまったばかりにしっかりばっちり目に焼き付けてしまった。 透明な湯船の奥からでも分かる淡い2つの飾りのいやらしいこと。 ダメだと視線を反らした時には鼻から溢れる鮮血がオレの周囲を染め上げていて、お湯に中ったのだと勘違いした沢田が覗き込まれて余計に鼻血が止まらなくなった。 「大丈夫!?」 「ちょ、寄るな…!寄らないでくれっ!」 逃げ出したオレに付き添った沢田はその後、先輩と風呂に入っていない。 しばらく先輩に八つ当たりをされていたことも思い出したが、抹殺されなかっただけでもありがたいと思える。 そんな情けない話を思い出していれば、グランドの中央で沢田と先輩がケーキを間に挟んでイチャついて…いや、言い争いをしていた。 「協力してやったんだから、一切れぐらいいいだろ!」 「よく言うな。オレに運ばれただけの癖に。」 確かにそうだが、それは先輩が沢田を走らせなかったからなのに。まあ、走らせたからといって早かったかどうかは怪しいところだが。 そんな2人からそっとマイクが離れて、ついでに周囲の視線もそっと逸らされた。見てはいけないものを見てしまった心理が働いたのだろう。 そこに理事長が鼻息荒く現れたところで、先輩から箱ごと受け取ったケーキの中身を確認していた沢田の鼻先にクリームがくっ付いていた。 それを見た先輩が人前だということを気にせず、ペロリと舐め取ったから大変。 その周囲の破壊力やすさまじいもので、けれど台風の目は無風だということでお分かりいただけるだろうか。 体育祭を終えたからではなく、あの2人のお陰で疲れ果てたオレが何故か見たのがあの夢だった。 夢では止めようとしたが、現実だったら止めない自信がある。 というか早くくっ付け。 そう内心で愚痴りながらも、正直すぎる中心を宥めるべくベッドから抜け出し裸足のままトイレへと足を向けた。 廊下を歩いていけば見覚えのある靴が2つ両端に置かれていた。 …逆に意識しすぎいだと言ってやりたい。 「あ、やっと起きてきたな。遅いぞ、スカル!」 「なっ…沢田?」 夢で見たような甘い雰囲気の欠片も見当たらない笑顔に疚しさが募る。そしてその笑顔とは別の沢田の格好を見て慌てて前を隠しながらトイレへと駆け込むとゴンという重い音が扉の向こうから鳴り響いた。 「てめぇ、朝からツナの顔で抜くとはいい度胸じゃねぇか。」 「ち、違う!」 違わないが、その前からであって目の前の沢田を見てではない。間違ってもピンク色のフリフリエプロンにお玉という新婚さんルックを目にしたからでもない筈だ。多分。 「大体なんで沢田と先輩がうちにいるんだ?」 「ツナはこの前てめぇが倒れたことを気にして顔を覗きに来たんだと。オレはいつも通りだ。」 いつも通りオレをパシらせに来たら沢田が居たという訳か。そんな理由ならばさぞや面白くなかったことだろう。 沢田に気にかけて貰えたことに少しほんわりとしていれば、扉の向こうからフフンと鼻で笑われた。 「あいつがこの家に来た時用に用意していたエプロンが早速役に立ったな。いい誕生日プレゼントだったぞ。」 そういえば先輩と沢田の誕生日が1日違いだったせいで、先輩に脅されて沢田に誕生日プレゼントとしてあんなエプロンを押し付けた記憶があった。 何故先輩の誕生日なのに沢田にと思ったが、そういう訳だったのかと今更気付いて青くなる。 「お前の趣味だと言っておいたからな、ツナももらい物を無碍にも出来ずに苦い顔をしていたぞ。」 「って、全部あんたのせいだろう!?」 オレが変態だと思われているのだと気付いて立ち上がろうとしたが、下をどうにかしなければ沢田の前にも立てない。 しかもこの状況でするならばどうしても沢田を思い描く羽目になり、結果しばらくは沢田を避けることは必至だった。 先輩らしいいやらしい作戦に、まんまと嵌められたことを悟ってもどうにもならない自分がいる。 下も触れず、しかもトイレから出る訳にもいかないオレを置いて先輩の足音は遠ざかっていった。 「馬鹿野郎ーっ!!」 先輩を敵に回す度胸もないのに、これでは沢田を諦めることも出来ない。 そうして今日も先輩と沢田に振り回される日が始まるのだった。 終 |