リボツナ4 | ナノ



3.




柔らかい唇がふわりと触れてすぐに遠退いた。
その感触をもう一度味わいたいと手を伸ばしても、まるで霧に隠されてしまったように目の前から掻き消えていく人影。
逃げることなんて許さない。
ずっと傍に置くためにこの世界に引き入れたというのに。
オレの視界から消えることなど出来やしないんだ。
と、呪詛のような言葉を吐き出した途端に目が覚めた。

窓の外から零れる朝日の明るさと位置から、まだ明け方だと分かる。
夢だったことを確かめるように隣に視線を落とすとよだれを垂らした情けない顔のツナが枕にしがみ付くように眠っていた。
少しだけ休むつもりが朝まで寝入ってしまったらしい。
全部ツナが悪いのだと責任転嫁をしてから、そんな自分の愚かさを嗤う。弱くなった自分の本心がどこにあるのかを夢で突き付けられたからだ。

だらしなく緩んだ口許からは安らかな寝息が響いている。
まだ起きないことを確かめてからツナに近付くつと顔を寄せた。
中学の頃からずっと見続けているというのに、この寝顔だけは変わりがないことに安心する。
人の上に立つことを覚えたツナは虚勢を張ることを覚えた。それが本当の顔になり、どこにだしてもボンゴレのボスだという自信を手に入れるに至って今がある。
物覚えの悪い生徒だったが、あれは防衛本能だったのだろう。今では切り離せない顔であるボスという立場を誰よりも嫌っていたのだから。

夢の中で触れた、目の前にあるそれ。
触れたことなど一度もない。
そこに触れたらなにをしでかすか分からないほど飢(かつ)えている。

ツナの寝息を感じながらそっとその場を離れていくと、気配で分かっていたのか布団の中から腕が伸びてきた。
しがみ付くような腕の強さにホッとする。
まだ必要とされているのだと安堵したことに腹が立って、ツナのえり首を後ろから引くとぐえぇと妙な声が漏れて回されていた腕が離れていった。

「おまっ永遠の眠りについちゃうだろ!」

「お望みなら楽に逝かせてやるぞ?」

「結構だよ!」

馬鹿力!と憤懣やるかたない表情で起き上がるツナをベッドの上で片肘をつきながら眺めていると、後ろから引っ張ったせいで首元についた跡をさすりながらこちらを振り返ってきた。

「…風呂、一緒に入る?」

どこまで分かっているのか、それともまったく分かっていないからなのか時折そんな罪作りな声を掛けて寄越す。
いつもなら死ねと一言で切り返すがそろそろうっとおしくなってきた。

「フン、いいぞ。精々きれいに背中でも流して貰おうか。」

どう返事をするのかと意地悪い気持ちで言えば、ツナは子供のように顔を綻ばせてベッドの上に乗り上げてきた。

「うん!日本から取り寄せた檜風呂、たまには誰かと入りたかったんだ。すぐに支度させるから待ってろよ?」

それだけ言うとツナはメイドに支度をさせるべく部屋を飛び出していった。あまりの素早さに掛ける声も出せなかったほどだ。

「お前はいくつなんだ…」

予想外の切り返しと予想通りの間抜けさにぬるい笑みが零れる。

「内線があるってのに、わざわざ走っていく馬鹿がいるか…まったく。」

けれど、そんな変わらなさに救われる。救われて、そしてまた暗く深い沼へとはまっていくことも知っていた。








朝も早くからメイドに風呂の支度をさせたドン・ボンゴレはいざ入浴というところで右腕の哀願に負けて書類の不備に追われていた。
朝から大変なことだと思っていれば、実はそうではないらしい。獄寺の目がありありと不満を告げていたからだ。
それほど妬まれる立場でもないが、第三者からの嫉みも悪くはない。
こちらを睨む獄寺の視線に口許だけ緩ませてから悲鳴を上げるツナを置いて、ひとり檜風呂へと足を向けた。



主であるツナのために手入れされている檜風呂にゆるりと浸かって息を吐き出す。
今日は昔のことを色々と思い出す日らしい。
まだツナが中学生の頃、ボンゴレ式なんたらだと偽って様々なことをさせた中に修学旅行と銘打って温泉に行ったことがあった。
そういえばあれ以来、ツナは温泉に行きたがらなくなったなと思い出し小さく笑っているとガラリと引き戸が開いて額に汗したツナが現れた。

「おまたせ!背中流しに来たよ!」

腰にタオルを巻いただけのツナがそれはもういい笑顔で入ってきた。
きちんと後ろ手に戸を閉めて、手には桶と石鹸とタオルが握られている。
額面通り受け取ったらしいツナの顔を見て苦笑いしか出ない。この調子で獄寺も押し切られたのだろう。
いいからお前も先に入れと声を掛けると手招きすると一瞬顔を強張らせてすぐに首を振ると湯船に近付いてきた。

「…どうしてそんなに離れるんだ?」

いくら広い風呂とはいえオレの浸かっている場所から一番離れた湯船に足を入れようとするツナにそう声を掛ける。するとビクリとして動作が止まった。

「だって、お前の隣に座ったらオレ貧弱すぎて情けないだろ?」

「アホか…」

そう一蹴してやるとアホじゃない!とすぐに言い返してきた。やっぱりアホだ。
確かに筋骨逞しいとは言い難い。だが少なくともひょろひょろといった印象は受けないだけの体格には育っていた。
あれだけ戦闘を繰り返し、いつでも自らが先陣を切ってきたのだ。当たり前といえば当たり前だろう。
それでも周りに比べれば確かに細いと言わざるを得ないのは周りが周りだからだ。

その周囲の一人に入っている自覚はあるが、比べるだけムダということをいい加減に自覚するべきではないのか。
湯を掻き分けて近付けばツナは慌てて湯船に潜る。ぶくぶくと息を吐き出しながらオレから逃げようとしたところで腕を掴むと引っ張りあげた。

「ぶふっ…!おま、」

「今更隠しても遅いぞ。てめぇの裸なんざ、毛も生え揃えていない頃から散々見てきたんだからな。」

今もお世辞にも体毛が濃いとは言い難いツナが、オレの一言に逃げる身体をピタリと止める。見る見る顔を赤く染めたツナは下肢を隠していたタオルで自分のそこを押さえると、ドンとオレを突き飛ばして湯船から上がった。

「リボーンの、えっち。」

手で前を覆い、背中を向けたまま逃げ出したツナを見詰めて喉を鳴らす。陶磁のような肌理の細かい肌がうっすらと赤く染まり、恥じる姿が堪らなくいかがわしい。
子供じゃないからこそのその姿に容易く熱くなりかけた自分に舌打ちすると、ツナの持ってきた桶に湯を汲んで後ろからツナ目掛けて叩き付けた。

「ぶはっ!何するんだよ!」

「手が滑ったんだぞ。気にするな、オレは気にしてねぇからな。」

「おまえ…」

オレの言い草に言葉を失ったツナがパクパクと口を開いてはまた閉じた。恥じる理由もないオレは隠さずに湯船から上がると、ツナの横を通ってその前に腰を据えた。

「背中を流してくれるんじゃねぇのか?」

「っ、う…うん。」

何かを諦めたようなため息を吐いたツナは、桶に湯を汲むべく湯船の上に浮かんでいる桶を取りにそちらに顔を向けた。
それを横目で盗み見しながらチラリと自分の下肢を覗いてホッとした。
まだ反応する兆しもみられない大人しいそこに胸を撫で下ろしていると、桶を手にしたツナが背後に立ってタオルで背中を擦りはじめた。

「ちぇ、なんだよ。自分ばっかり大きくなってさ。」

あんなに可愛い赤ん坊だったのにと口を尖らせているツナの足からその先を振り返るふりをして確かめる。
タオルで覆われたそこは同じく無反応で、それにどこかイラっとする自分が我ながら理解不能だ。
こいつとそういう関係にだけはなりたくないと思っているのに、こいつからどうとも思われていないことに腹を立てている。
こんなに自分の考えが纏まらないことなど今までなかった。

「次は髪だぞ。」

それでもやはり、こいつの傍から離れられない自分がいた。

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