8.学生であることを一番実感するのが夏休みだと思う。 社会人になれば盆休みはあれど、それはほんの数日から一週間にも満たないものとなるからだ。父母が恨めしそうにこちらを眺める視線にわずかな罪悪感を覚えながらも、今こそ学生であることを嬉しく思ったこともない。 そんなことに思いを馳せながら、足は市民プールへと向かっていた。 並森市民プール。 そこは何の変哲もない屋外にある市の施設のひとつである。 中学生の時に先輩2人に引き連れられてタイムトライアルの計測係として訪れて以来の来場だったが変わりはないように思えた。 キョロキョロとあたりを見回すと、周囲にいた2人組の女の子たちや子連れのお母さんなどがこちらに視線を投掛けていたがそんなことなど構いはしない。 とにかく早めに見つけださなければ!という使命感からプールサイドを足早に抜けてプールに入っているかもしれない人物を探していると… 「あ、スカルさん!」 相手から見つけてくれた上に、手まで振って居場所を教えてくれる。 そんな可愛い綱吉の隣には当然のようにこちらをもの凄い形相で睨む黒い悪魔…もとい、ショタコン道に堕ちた先輩がいた。 芋を洗うような人波を掻き分け、プールに飛び込むと綱吉が待つ場所まで泳ぎついた。 「やっと会えたな!」 そう言うと先輩にしがみ付いていた綱吉はオレに手を伸ばしてきた。それに慌てた先輩が綱吉を囲うように後ろから抱きすくめるとオレに向かって邪険に手を振った。 「休みまでてめぇに会いたくねぇ、早く立ち去れ。」 「オレもそれには賛同しますが、アンタと綱吉を2人きりにするぐらいなら我慢できるんですよ。」 バチバチと火花が飛び散る睨み合いを繰り広げていると、それに気付かない綱吉がオレの唇に指を這わせてぴとっと触り出した。 「スカルさん、顔色悪いよ?大丈夫?」 「いや、これは…」 メイクすら落とす間もなく飛んできた証拠なのだが、確かに顔色が悪く見えるのだろう。なにせ唇には紫の口紅が塗りこめられているのだ。 どう説明すべきか言葉を選んでいると、オレを気遣って自分に意識が向いていないことが面白くない先輩がフンと鼻で笑った。 「大丈夫だぞ、こいつは夏場になると幽霊の仕事をしているんだ。」 「ええぇぇえ!?スカルさん幽霊になるの?」 「んな訳あるかっ!」 先輩に突っ込みを入れたつもりで思わず先輩の前にいた綱吉にまで声を上げてしまい目の前の顔がビクリと歪む。怖がらせてしまったことに慌てていると、諸悪の根源が綱吉の身体をぎゅうと抱き締めた。 「可哀想に。パシリなんかに構うからだぞ?」 「って、違うだろう!アンタが妙なことを綱吉に吹き込むからだ。悪かったな、綱吉。これはバンド帰りに奈々さんからメールを貰って急いでここに向かったからメイクを落とし忘れただけだ。」 「メイクって、お化粧だよね?スカルさん女の人だったの?」 やはり意味が理解できなかった綱吉にどう説明すればいいのかと言葉を選んでいれば、またも先輩が蔑んだ目でこちらを眺めながら言った。 「パシリはな、オカマなんだぞ。移るといけなから向こうに行くぞ?」 「待て、待て、待てぇい!」 聞き捨てならない台詞に声を張り上げるも、それより先に綱吉が先輩の少しカールしている揉み上げを掴んでメッと先輩を睨みつけた。 「お兄ちゃん、そんなこと言ったらダメなんだよ。オカマさんだって人間なんだからそんなこと言われたら悲しいよ。」 人でなしの兄を持っているとは思えないほど博愛に満ちた言葉に、綱吉の母親である奈々さんの教育の賜物だろうと感心していると、やはり綱吉の天使のごとき清らかな発言にメロメロになった先輩が公衆の面前であることを無視して綱吉にキスをしようと迫っていた。 「アンタはどこまで非常識なんだ!」 手にしていたビート板で先輩の魔の手から綱吉の唇を守りきると、そのビート板を綱吉に持たせて先輩から引き剥がす。 「言っておくがオレはオカマでもなければニューハーフでもない。れっきとした男だ。」 「そうなの?」 勿論である。綱吉が可愛いと思う程度にはショタコンだが、誰かれ構わず小学生男児がいいという訳でもないのだから。 キョトンと大きな瞳を瞠る綱吉にこれは幾人かで音楽を楽しむ際にこういった格好をするのだと説明をした。 するとまばらな睫毛をパチパチさせてビート板に掴まりながらもオレに近付いてきた。 「今度スカルさんが音楽してるところ見せて!」 「いや、あー…」 興味を持ったらしい綱吉のお願いを聞いてやりたいところだが、如何せんバンドの演奏は小学生が入れる場所ではない。 言葉を詰らせていると小さな肩ががっくりと項垂れてビート板に顔をうつ伏せるように下を向いてしまった。 「ムリだよね、ごめんなさい…」 「違うんだ。場所が悪くて、綱吉が来るのは心配なんだ!」 いくらオレがいるとはいえステージの上にいるときに妙なヤツに目を付けられないとも限らない。だからダメだと断ろうとした矢先に先輩がいかにも渋々といった調子で間に入ってきた。 「こんなつまんねぇヤツらの音楽を聞きたいのか?」 「うん…聞きたい!」 「しょうがねぇ。連れてってやってもいいぞ。」 「本当?!」 先輩の破格の言葉に顔を綻ばせる綱吉を見ながら、一体なにを今回は企んでいるのだろうとその端正だがどこか子供のような笑顔を目の端に入れオレはひとり薄ら寒くなって慌ててそれを隠すように顔に水を掛けた。 市民プールで半日ほど遊んだ後、綱吉に手を引かれ先輩に小突かれながらも沢田家へと帰っていた。 途中、部活帰りのコロネロ先輩と遭遇してお供がまた一人増えながら。 5時を過ぎてもまだ明るい外を男3人、子供1人で歩いていくとセミの鳴き声があちらこちらの木々から響いてくる。 「そういえばコロネロさんって部活何?」 「助っ人が主だが今は水泳と野球だぜ、コラ!」 「野球?!友達も野球大好きな子がいるよ!」 「そうか。今度甲子園出場を賭けて試合をするからそいつと見に来い!」 「うん!!」 などとコロネロ先輩と勝手に約束をした綱吉に慌てた先輩が自分もついていくと言い出して、それにオレも付き合いますとこっそり紛れ込むことに成功し、これで夏休みの間に2回綱吉に会えるなと小さくガッツポーズをした。 まだ青空が広がる夕暮れはしばらく続く波乱の幕開けを静かに見守っていた。 . |