1.夕方の校舎というのはどうしてこう物寂しいのだろうとツナはいつも思っていた。 だから早く帰りたいのに、今日も今日とてオツムの弱いツナは英語の補習でみっちり5時まで2年の校舎に拘束されていたのだ。 はぁ…と吐き出したため息は重くて長い。そんなため息がガランと広い廊下に響いた。 英単語を覚えなければならないのに、今日覚えた単語すら綴りが曖昧で頭に入っていないことが自分でも分かるからだ。 こんな補習がいつまで続くんだろう。もうオレのことはほっといてくれと泣き言が知らず口から零れたところを引き裂くように悲鳴が聞こえてきた。 こんな薄暗い校舎の中だ。人影もありはしない。 一瞬、本当に幽霊の類かと驚いたツナが身体を強張らせているとまたも声が聞こえてきた。 今度は男子生徒の声だ。 「いいじゃねーか。こんな遅くに一人だと怖いだろう?送っていってやるって言ってんだ。」 「やめて下さい!近寄らないで!」 バタバタという足音と共に震える声が近付いてくる。 聞き覚えのあるその声はクラスのアイドル京子ちゃんの声に似ていた。 慌てて辺りを見渡すと、廊下を少しいったところにある階段の下から声が聞こえたような気がして慌ててそちらまで駆け寄る。 すると階段を駆け上がる京子ちゃんと3年生だと思われる人相の悪い男が2年のツナのいる校舎へと向かってきていた。 その男の顔には物覚えの悪いツナでも見覚えがあった。3年の中で素行が悪いと評判の不良学生だ。特に女の子たちから怖がられているというくだんの男子生徒には黒い噂が絶えない。 可愛い女の子を見るとすぐに手を出すとか、その手の出し方が強引というより犯罪なのではというほどだとか。 いわゆる強姦まがいのことも平気でするのだという噂の3年生に追い駆けられている京子ちゃんの顔は恐怖に歪んでいた。 咄嗟に足が出そうになって、すぐにツナは足を止めた。 いつも不良たちにボコボコにされているツナはけれど決して弱い訳ではない。では何故戦わないのかといえば枷を掛けられているからだ。 自分がやられるのは耐えればいい。だけどか弱い女の子を、しかも憧れの京子ちゃんを襲うなんて許せない。 普段の気弱な自分を脱ぎ捨てて、ツナは制服のズボンのポケットに手を差し込んだ。いつも持ち歩いている手袋。一見普通の手袋に見えるそれは季節はずれもいいところの代物だ。 それをポケットの中で握り締めるとゆっくりと持ち上げた。 正体がバレてはダメだ。この力はこういうことのためにある訳ではないと生まれてからこのかた、ずっと口がすっぱくなるほど言いつけられている。 特殊な能力といわれるそれは一般人を相手にするには過ぎる力なのだ。 だけど。 今きた廊下を足早に戻るツナ。その先には演劇部が使っている部室兼家庭科準備室が落ちる夕日のわずかな光に照らされていた。 鍵が掛かっている屋上から少し寝乱れた髪を適当に手櫛で撫で付けて、解けかけのネクタイを首から抜きながら下校しようとしていたリボーンは悲鳴を聞いてまたかとため息を吐いた。 一つ学年が上なだけのバカ男の愚行だと当たりをつけて、チッと小さく舌打ちすると悲鳴の方向へと足を向けた。 以前にも2度、頭のネジがぶっ飛んでいるそいつを殴り倒したことがあるというのに懲りない男だ。 鼻血塗れでもうしないと泣いたのは1ヶ月も前の話しではないというのに。 イタリアからとある使命を帯びてこの並森へと留学してきたリボーンは、ガキばかりの集団の中にいることが嫌で嫌で堪らなかった。 そういうリボーン自身も年齢的にはガキと言われる年齢である。詐称しているのではとよく言われるが、間違いなく中学2年、今年の10月で14歳になる子供だった。 それでも、リボーンには子供でいられない事情がある。だからこそ、こんなところで意味もなく過ごす日々というヤツがムダに思えて仕方なかった。 早く見つけ出してこんなつまらない日常からおさらばしてやる、と。 階段を急ぎ足で駆け下りると気配を消して声のする方へと近付いていく。 誰だか分からない女子生徒を助けてやる義理もないが、それでも聞こえてしまった以上見過ごす訳にもいかない。 大ボスであるジョットはからは清廉な人格であれと諭されているが、リボーン自身はそれを鼻で笑う程度にはまだ子供だった。 階段を降りていくと階段のすぐ横にある2年の教室から2人分の声が聞こえてきた。 キャアー!!という切羽詰った悲鳴と、得意気に逃がさねー!という声に扉を蹴破る音が重なる。 その時、目の前をふわりと一陣の風が過ぎっていった。 体重のない者のようなその足取りと見覚えのある炎。それと… 「スク水?」 とっさに隠れた物陰から覗き込んだ先には、薄暗い部屋の中を縦横無尽に飛び回るスクール水着にマント姿の人物が、情け容赦ない拳をくだんの男の腹にめり込ませていた。 「2度と悪さをするな。次はない…」 ガクリと床に崩れ落ちた男に吐き捨てる声は男とも女とも取れる。 しかし、怒りを押し殺しきれずに滲ませた声の響きに、リボーンは知らずニヤリと口端を緩めた。 見付けたと。 額を照らす炎の色と相まってオレンジに輝く瞳は酷く冷くけれど少年らしい輝きに満ちている。 あんな情けない少年の中に隠れていたのかと思えば、笑えるほどだ。 まんまと騙された自分になのか、それともうっかり尻尾を晒してしまった少年へのものか。 意識のなくなった男から興味の失せたオレンジの瞳が女子生徒に向けられると、その少女は呆然と呟いた。 「あなたは誰ですか…?」 「誰でもいいだろう。早くここを立ち去れ。」 「…でも、」 まだ何か言いたそうな少女を立たせると、腕を引いてその教室から階段へと背中を押して帰らせる。 それを物陰から見ていたリボーンは、少女の足音が遠ざかるのを確認した少年の額から炎が消えたことを確認してから気配を戻した。 視線の先ではスクール水着にマント、それから独特の瞳の色を隠すように仮面をつけている。 頭のサイズが合わなかったのか、ずれたカツラを毟り取ったところでわざと音を立てて姿を現してやった。 「オイ、」 という言葉を聞いた少年はマントに覆われた細い背中をビクっと揺らして大きな瞳を泣きそうに歪めながらこちらを振り返る。 その色に今まで気に止めてもいなかったことが嘘のように引き込まれた。 ガチャリと嵌った歯車がやっと動き始める音が聞こえた気がした。 少しダブついたスクール水着から覗く脚は少女のような柔らかさは見られないが、すべらかで悪くない。 どうやらリボーンを知っているらしい少年の顔が羞恥に染まっていく様を見て、一層笑みを深くしたリボーンはマントを掴むその手を掴み取った。 つづく |