1.「キス、する…?」 そう呟いたツナの声は震えていて、オレの背中に凭れかかっているツナからは緊張感が伝わってきた。 ツナとは小学生時代から面倒を一方的にオレが見てやっている間柄である。 何をやらせても鈍くさいツナは勉強も運動も見事にドベで、オレのようにどんなことでも器用に立ち回り一番になるタイプとは真逆といえる。 けれど何も取り柄がないと言う訳ではない。 男としてはどうかと思うが、人を惹きつけて離さない魅力が持ち味だ。 高校生にもなった癖に昔とちっとも変らない大きな瞳は誰かれとなく心を開かせてしまう。 それで苦労が堪えないというのに、いまだ改善されないというのはオツムが足りないせいだろう。 代わりにオレがしっかりしてやろうと隣に居ることが多くなり、必然的に彼氏というポジションに収まってやった。 ツナがどう思っていても関係ない。 トラブルメーカーのお守をするのが、何でもできる選ばれた人種の役目だからだ。 そんなこんなでツナの彼氏となって早4年。 照れ屋で奥ゆかしいツナとは手を握り合ったことは数あれど、それ以上発展したことはない。 まかりなりにも相手は男だから、それなりに覚悟はいるのだろうと気長に待ってやっている。 今年は高校2年になるし、そろそろだろうと期た……いや、どんと構えているところである。 春休みでもある今日は、4月の一番最初の日だ。 ここ日本ではどうなのか知らないが、自分の住んでいたイタリアではどれだけ人を驚かせることが出来るのかという悪ふざけが蔓延する一日でもある。 ツナの彼氏でもあるオレは、今日も寝坊が日課になっているツナの家へと足を運んでいた。 あと少しでツナの家に着くといった曲がり角で、ジャケットの胸から携帯電話が鳴りだした。 うざってぇとは思えど、ここで無視すれば逃げたと言われそうでそれも癪に障る。 懐から取り出した携帯電話の画面には『番犬』の文字が本人と同じぐらい煩く主張していた。 ため息を吐きつつ受話ボタンを押すと、ありあまる元気を隠しきれないツナの番犬が大声を出す。 『あ、おはようございます!リボーンさん!』 適当に返事をしたオレに気付くことなく獄寺は話を始める。 『実は先ほど沢田さんから電話があったんス!』 去年はツナの家で同じ嘘を吐いてオレに叩きだされたからか、今年は電話でらしい。 何だとぞんざいに返すと、獄寺は嬉しそうに声を張り上げながら同じ台詞を今年も言い出した。 『はい、それがですね……沢田さんが、どーしてもリボーンさんと別れたいと。ええ、オレはお止しましたよ、僭越ながら。でも堪え切れないと泣かれてしまっては……』 毎年同じネタを繰り返す獄寺に、殺意すら湧いてくるが生憎と電話越しでは手が出せない。 ここで通話を切ってしまえば余裕のなさが透けてみえるから、意地でも切る訳にはいかないのだ。 ツナの家の玄関先まで辿り着いたオレは、呼び鈴を鳴らす前に受話器に履き捨てた。 「そうか?今まさにツナがここにいるぞ?オレのベッドの上でな」 『ふぐぅ…っ!』 どうやら痛恨の一撃を入れることに成功したらしく、妙な呻き声が聞こえてきたところで回線が切れた音が聞こえてきた。 あのツナがそんなに素直になる訳がない。嘘だと分かっているだろうにバカじゃねぇのかと肩を竦めると、毎日の日課となった沢田家の呼び鈴を鳴らした。 「毎日ごめんなさいね。ツナが起きたら3人で一緒にブランチをしましょうね」 ツナによく似た奈々さんはツナの母親だ。2人で歩いているとそっくりな姉弟だと声がかかるらしいが、さもありなん。 それはともかく、つまりは今日もオレが起こすらしい。 まあいいさと頷くと、こうしてツナの部屋へ足を踏み入れた。 薄いカーテンは遮光性がないのか、しっかり閉じているのに部屋の中が分かるほど明るい。 スークーと安らかな寝息を立てるツナは、さすがに朝日から日の高くなった光が眩しいのか布団を頭まで被っていた。 布団の端から見える茶色い髪に手を掛けると、ベッドに腰掛けて小さな山を揺さぶる。 「オイ、起きろ。お前が起きねぇと奈々さんの手料理が食べられねぇだろ」 料理という単語に反応したのか、ううんという返事未満の声が漏れる。 もう一押しだと知っているオレは、普段の腹いせも兼ねてツナの上に乗り上げるとわざと声を低くして耳元に呟いた。 「いい加減にしねぇと襲っちまうぞ」 この体勢で、この台詞なら大抵の女は落ちる。 だが相手がこの鈍ちんではまったく無意味なのだ。 いつもならばモゾモゾと布団の奥から這い出してくるツナの寝起きの顔が見えるというのに、今日に限っては別だった。 ピタリと動きを止めたツナは、恐ろしいものでも覗き見るように布団の端から目だけをこちらに向けた。 「ツナ?」 寝起きのツナはぐちゃぐちゃの顔をしているが、そんな無防備な表情がエロい。無防備だからエロいのかもしれない。 焦点の合わない視線を向けられると、いくら不自由していないオレでも滾る部分があるというものだ。 それが今日のツナは一向に布団から出てこずに丸まったままでこちらの様子を窺っている。 何かあったのかと眉間を寄せていると、布団の隙間から覗かせていた瞳がじわりと滲んでいた。 「どうした」 バカで鈍いが人前で泣き顔を見せたことは一度もない。 そんなツナの歪んだ顔に狼狽えていれば、ツナは布団の中から小さい声で喋りはじめた。 「……お前、28日にビアンキとどこにいた?」 「28日だと?」 その日は高校の送迎式で登校した日の筈だ。 朝ツナと待ち合わせをして式を終えた後、ツナが山本の野球の試合を見に行くからとオレを置いていった日ではないか。 仕方なく家で過ごしていたところにビアンキが訪ねてきて、夕方には送り返したから問題などない。 それは兄弟である獄寺も知っている筈で、送り届けた先はあいつのマンションだったのだ。 離れたくないとしがみ付いてきた腕を剥がして、ツナからの電話を待っていたというのに結局その日は電話が掛ってくることはなかった。 思い出したらまた腹が立ってきたオレは、寄せた眉の皺を益々深くしていく。 そんなオレをツナは何故だか見て睨みつけてきた。 「泊めたのかよ!」 「なんだと?」 機嫌が急降下したオレがそう唸るように返事をすれば、ツナは一瞬だけ震えたものの、すぐに目に力を戻した。 「オレも泊まってないのに!」 その言葉の裏に気付いたオレは、眉間を緩めて口角を上げた。 「泊まりたいのか?」 「ちが……わない、けど」 布団から顔を出したツナは、自分の言っていることに確証が持てないのか迷うように視線を彷徨わせていた。 「ならいつでも泊まりに来ればいいだろ。一人暮らしをするようになって、初めて人を泊めるがな」 言えば睨んでいた目は驚きに見開かれ、それから何に恥じたのか瞼を伏せるように視線を下げた。 「……じゃあ、今日行く」 そう宣言したツナは、いつもとは別人のように素早くベッドから立ち上がった。 . |