9.ずぶ濡れのオレを見て係わり合いにならないよう避ける女の子たちの間を縫い早足に歩いていけば、たまたま通りかかった仲居さんがオレを見付けての頭にタオルを被せてくれた。 そのお陰で体裁を取り繕うことができたオレは、どうにか辿り着いた部屋の鍵を開けて飛び込む。 リボーンが居ないことを確認しながら中へ足を踏み入れると、明るく照らされていた室内に並ぶ二組の布団を見つけて固った。 兄弟だとでも思われたのか少し離されて敷かれていたものの、その隙間が妙に生々しい。 こんなことを考える自分が気にしすぎなんだろうと思うのに、それを押さえることが出来なくて顔が熱を帯びていく。 「でも、それはオレだけなんだよな…」 何気なく零れ落ちた自分の言葉に唇を噛んだ。自分で言って、自分で落ち込むなんて馬鹿げている。 噛んでいた唇を固く結ぶと、一組の布団の端を掴んで奥の座敷まで引き摺っていく。 時折肌を伝う拭き残しとも汗とも分からないそれに身震いしながらも、どうにか布団を移動し終えた。 すると丁度息を吐いていた瞬間を見計らったように部屋の出入り口である遣戸がガタガタと音を立て始める。 小声で礼を言うリボーンの声が戸の向こうから聞こえ、咄嗟に目の前にある襖を締め切った。 どうしてここまでリボーンから逃げたいのか分からないまま襖に手を掛けて固まっていれば、仲居さんらしき人の返事が聞こえてきて一つの気配が部屋の中へと上がってきた。 どうやらオレが鍵を持っていったことで、この部屋に入れなかったリボーンが仲居さんを呼んで鍵を開けて貰ったのだろうと気付く。 バツの悪さに益々合わせる顔もなくなって、襖の前で身を硬くしていると、畳を踏み締める音が近付いてきた。 「オイ、何してやがるんだ。天岩戸ごっこか?」 何事もなかったように、からかいを含んだ声を聞いて顔を上げる。オレの失敗を気にしていない様子のリボーンは、やはり大人なのだろう。 今ならまだ間に合うような気がして手を伸ばすも、いつも通りの顔で話が出来ないことだけは確かで、そんな自分の子供さ加減を自覚しながら手を引っ込めた。 リボーンも襖の前に立ちながらも開ける気配はない。 「だんまりか?居るのは分かってるんだぞ。脱ぎ散らかしたスリッパが廊下にまで飛んでたせいで仲居さんから弟さんの体調が悪いのかと探りを入れられて返事に困ったじゃねぇか」 「弟じゃ、ない」 軽口を叩くリボーンの言葉を遮るように呟くと、襖の向こうからため息交じりの声が聞こえてきた。 「ああ、お前は弟なんかじゃない」 じゃあ何だと問い掛ければ答えてくれるのか。だけど勇気が出なくて視線を布団の上に落とした。 襖の隙間から細く伸びる蛍光灯の光を追ってぼんやりと考える。 恋人じゃない。それは言われるまでもなく、違うと自分でさえ思う。それは『今は』なのか、『これからも』なのかすら分からない。 ならばリボーンにとってオレはどんな存在なのだろうか考えるも、答えはどこにも転がっていなかった。 ただの生徒と先生ではないと思う。好きらしいことは聞いた気もするが、どこまで本気かも知れたもんじゃない。 こうして旅行に行くということは一緒に居て嫌な相手ではない証拠だろう。わざわざ親にまで了解を取るのだから、今後も付き合いたいと思っていると考えていいのか。 だけど、その『付き合い』が何を指しているのかはオレには分からない。経験のなさがオレとリボーンの差だということは最初から知っていた。 こんな気持ちになったことも初めてだから、これが本当に恋なのかすら自覚がなくて、遊ばれているような気すらする。 だって一般的な『恋人付き合い』をしたい相手なら、長い休みや行事に連絡もないなんてことはありえないし。 だけど今こうして一緒にいるのはオレだけで。 明日はヴァレンタインなのに、と光の先に置かれていた時計の針を追って目を瞠った。 「ツナ…?」 うんともすんとも返事をしないオレに襖の向こうから声が掛かる。 ムリヤリ襖を開けてしまおうか、迷う色を見せての問い掛けにオレは背を向けると、部屋の片隅に置かれていたオレの手荷物に手を伸ばした。 ゴソゴソという荷物を漁る音だけが響く部屋の隣から、少しずつ背後の光が太く広がっていく。 様子を窺うように少しだけ開かれた襖の横に慌てて駆け寄ると、リボーンから顔が見えない位置に逃げ込んで手にしたソレを襖の間にそっと置いた。 「これ、受け取ってくれる…?」 気まぐれで買ったソレは小さな箱に入ったチョコレートだ。いかにもコンビニで調達しましたと言わんばかりの包装のせいで、中身が何かは一目瞭然だろう。 襖の向こうから息を飲む音が聞こえて、怖さにぎゅっと目を瞑った。 「どうした?ここへ連れてきてやった礼ならいらねぇぞ」 だというのに、先ほどの動揺なんて微塵も感じさせない声が聞こえて先を続ける気持ちが萎えそうになる。 もう引っ込めてしまおうかと手を伸ばした先にある小箱を掴み上げる。ふと落とした視線の先にぶら下がっていたハート型のメッセージがキラリと反射して、そこに書かれた4文字に手が止まった。 「っ、これは……リボーンが一個しか受け取らないっていうそれだから。受け取れないならこっちに投げて襖閉めてよ」 自分でも何とも情けない告白だと思う。 あくまでリボーンに委ねる形を取って、ダメージを少なくしようとする気持ちが見え見えだ。 襖の隙間に押し付けるように小箱を差し出す。 そんな卑屈なオレの台詞に、リボーンの手は小箱に伸びて…消えた。 すぐにこちらに転がされるのだろうと息を殺して光の先を見詰めていても、一向に小箱は現れないし、襖は閉ざされない。 視界から消えたまま変わらない現状の意味が分からなくて、襖の横に手をついて覗き込むように襖の隙間に顔を近付けていけば、包装を解いていく音がした。 「え、あれ…?」 器用に結び目を解いた青いリボンがリボーンの足先に落ちている。それを辿ると同じ傾向の包装紙が隣に放置されていて、慌てて顔を上げると思いもよらない物を口に放り込むリボーンの姿が見えた。 銀の袋から取り出したチョコレートの粒がリボーンの口で咀嚼されていく。 ゴクンと飲み込んだ顔は眉間に皺が寄っていて、とても美味しそうには見えないのに、また次の袋を開けると茶色の粒が消えていった。 3粒しか入っていなかったそれがすべてなくなると、リボーンは胡坐を掻いたままでオレの顔を覗き込んだ。 「どうした?ボケっとした面しやがって」 「ボケ…って、いや、だってさ!チョコ嫌いじゃなかった?」 「ああ、美味いと思わねぇな」 当然だというように鼻を鳴らす。 よく見れば浴衣姿のリボーンの胸元がはだけていて、それに気付くと視線を合わせられなくなって顔を襖の奥にまた引っ込めた。 頬が熱い。 「じゃあ、ちょっとぐらいなら食べても平気ってこと?」 リボーンの視線から逃れた先で、どうにか息を吐きながら訊ねると、細く開いていただけの襖が開け放たれる。 「人と喋るときは目を見て話せと習わなかったのか?」 「ううっ!」 言葉に詰っていれば、突然後ろからバン!という音がした。 背後から照らされる光に顔を恐る恐る向ければ、胡坐を掻いた足の上に肘をついた姿勢でリボーンがこちらを見ていた。 「こっち向け」 言われて逃げ場を失ったことに気付く。 一瞬彷徨った視線が、逃げ出せないことを悟ってリボーンの前に戻ると来い来いと手招きをされる。 怖いいような、ドキドキするような気持ちで顔だけリボーンへ向ければ、散らかっていた包装紙やリボンを纏めて手に握りこんでオレに頭を下げてきた。 「ヴァレンタインのチョコありがとう、だな」 「あ、うん…じゃなくて。その、受け取るの一個だけじゃないのかよ」 そうだと肯定されたいのか、違うと否定されたいのか自分でも分からない。からかわれるだけじゃ嫌なのに、やっぱり同じ位置に立つことが怖い。 だから『好き』だと言えなかった。自分勝手だと自覚している。 どんな返事がくるのかと見詰めていると、視線の先でリボーンは首を掻いてため息を吐いた。 「どんな返事が欲しいんだ?…お前からのチョコ以外いらねぇぞ。だが本気じゃないから安心しろ、か?」 軽い口調に唇を噛む。それは言われたことがショックだった訳じゃなくて、そういう返事を望んでいた自分に恥じたからだ。 違うと首を振れば、リボーンは肩を竦めて口を開きかけた。 その口を、塞いだ。 2012.03.08 |