8.弾むような会話もなく黙々と長い廊下を歩いていく。 時折すれ違う女の人がリボーンを振り返っていっては、ふらふらと後をつけようとして連れらしい男の人に引き留められる声が諍いに変わることはあった。 オレの少し前を歩く広い背中を見詰め、この後のことを考えた。リボーンは言ったのだ、約束を守れなかったらお仕置きだと。 昨晩は緊張してあまり寝ていなかったから、寝る気はなかったのに車に乗り込むと直に居眠りをしてしまったことは悪いとは思っている。車内に流れていたBGMの選曲がクラッシックだったことを勘繰ることは穿ちすぎかもしれないし。 だから言われた通りに幽霊が出るという噂のある部屋に行くことを渋りはしなかった。そこでよもやリボーンが待ち伏せていたとは思わなかったが、結局一人で写真を撮ってくることは出来なかったのだから次のお仕置きがあるということも頭では理解している。 だが場所が場所だから何を言われるのかと怯えていた。 「オイ、何一人で悶えてるんだ?着いたぞ」 「ひ…ぁ、っ!」 乏しい知識ながら本やネットで見聞きした風呂場での『ご奉仕』を思い浮かべていたから疚しさに声が裏返った。 慌てて頭から追い出そうと首を振っていれば、オレを振り返っていたリボーンが肩を竦めて扉に手を掛ける。 「この宿は6つの貸し切り露天風呂があってな、特にここは一番人気のある風呂らしい」 「ふ、ふーん!」 ガラリと音を立てて開かれた重そうな木の引き戸の先には湯気を立てた岩場に囲まれた露天風呂が見えて、腕に抱えた浴衣の上からポロっと帯が転がり落ちた。慌てて拾うと引き戸を閉める。 そういえばリボーンは既に浴衣姿だったなと気が付いて、オレも着替えてくればよかったと思いながら戸を閉める。 内から鍵が掛かる仕組みらしい。それを見つけて施錠していれば、リボーンは帯を解くと無造作に浴衣を脱ぎ捨てた。 「おま、バッ!何で下着履いてないんだよ!」 「ああ?どうせ風呂に行くだけなんだ、余計な荷物を減らして何が悪い」 いきなり現れた裸体に驚いたオレは視線のやり場に困った。慌てて顔を背けてリボーンから視線を逸らすと自分の服から手を外した。 同じ男なのにドキドキする。こんな自分を知られたくないから、どうしていいのか分からない。 「早くしやがれ。脱げねぇなら脱がしてやろうか?」 「けっ、結構だよ!」 本気で脱がそうと服に手を掛けてきたリボーンを払い除ければ、チッという舌打ちが聞こえてきた。それを無視して上着を脱ぐとズボンのベルトを緩めて床に落とす。 見られている視線に気付いていても、それを指摘することは自意識過剰のような気もして言い出せない。 振り返ることも出来ずにただ黙々とズボンを足から外し、靴下を脱いで上着と一緒に棚に放り込む。 残り一枚になったトランクスに手を掛ければ、先に入ってるぞとリボーンの声が掛かりやっと視線が外れていった。 だからといって女の子でもあるまいし、ぼやぼやしていることも出来ないからトランクスを一気に脱ぎ捨てる。 リボーンの吸い込まれていった湯気の向こうに足を踏み入れて、辺りを見渡すと見覚えのある黒髪を見付けて横におさまった。 「石鹸とタオル持ってきた?」 身体を流してから入るのだろうかと横に座るリボーンに訊ねれば、手にしていたタオルとボディソープを押し付けられる。 きょとんと手の中のそれとリボーンの顔とを見比べていると、オレの顔を見てリボーンはニヤリと笑った。 「さっきのバツだ。そいつでオレの身体を隅々まで綺麗に洗え」 そんな簡単なことでいいのかとリボーンの顔を覗き込む。 オレの言いたいことなど分かっているだろうに、何も返事のないまま顎をしゃくって先を促してきた。それに頷いてタオルをお湯に浸してからソープを垂らして泡立てていく。 きめ細かい泡が膨らんで、それをリボーンの背中に押し当てると擦れないように気を付けながらタオルを滑らせていった。 旅館の少し奥まった位置にあるせいか、人の声も遠くに聞こえる。 露天とはいえ周囲を岩と木々と木の囲いとに覆われているせいで、さほど寒くは感じない。 いいところだなと思いながらもリボーンの背中を洗い終えて流すと、今度は自分の身体も洗うつもりで隣に戻った。 とはいかなかった。 「…お前な、人の話はよく聞いとけ。オレは言っただろ、隅々までと」 「あ…ええ!」 戻ろうとしたオレの腕を掴んだリボーンの言葉に顔を上げる。するとオレのすることを見ていたらしいリボーンの視線とバッチリ重なって余計に動けなくなった。 「背中しか洗ってねぇだろ。前も、足も、だぞ」 前ってどこだ。というか背中以外も全部ってことは…と思わず下肢に視線を向けそうになって慌てて首を戻した。 「そこは自分で洗えるんじゃないの?」 よく考えるまでもなく前を洗えば互いの顔が近くなる。絶対に分かって言っているだろう。一応抗議だけはしてみるも、軽く首を振られて取り合ってもらえなかった。 渋々、もう一度タオルを泡立てる。 こいつには羞恥心とかないらしい。オレだったら絶対ご免だと思いながら手を伸ばした。 至近距離の視線に気付いて顔を横に向ければタオルがどこかにいってしまうからそれも出来ない。俯き加減に顎を引いて自分とは違う肌の色に手を伸ばして洗っていく。 肩、腕と洗い、首筋から胴体へと落ちていくタオルの先を視線で追った。見る気はなくとも見えてしまうソコから視線を外したくても出来ない。 「お終わった…ッ!」 「て、ねぇだろ。何逃げてんだ」 湯船に逃げ込もうとタオルを棄てて立ち上がろうとするも、すぐにリボーンの手に追いつかれて引き戻された。 リボーンの目の前に引き摺り戻されたオレは、先ほどより少し元気がよく見えるリボーン自身を見せつけられて言葉に詰った。 「これはお前が寝ちまったバツだ。最後までやるべきだと思わねぇか?」 そう言われてしまえばグウの音も出ない。 気持ち悪いとかではなく、本当にどう言えばいいのか自分の気持ちが分からなくて迷う。リボーンに遊ばれているのか、本気なのかすらオレには定かじゃない。 それでもバツはバツなんだ言い聞かせながらタオルを持ち上げた。 リボーンの身体を隅から隅までどうにか洗い上げ、桶に張ったお湯で流した。すべて流し終わると気持ちよかったと声を掛けられて肩の力を抜く。 「疲れた…」 やっとリボーンの隣に座ることが出来た。身体を流そうかとタオルに手を掛けると、それをリボーンの手が横から攫っていく。 「洗ってやろうか?」 ニヤつく顔には興味以上の色はなくて、それが癇に障った。どうして、なんて自分でも分からない。いや認めたくなかった。 伸びてきた手をタオルごと叩き落すと、自分のしでかしたことに驚いて立ち上がる。 口を開きかけたリボーンから逃げるように湯船に飛び込んで、肩どころか頭まで沈めて耳を塞いだ。 少し湯の温度が高かったが、先ほどまでの一件で身体が冷えていたのか熱くは感じなかった。ドクンドクンと聞こえる自分の心音が何を伝えたいのか知りたくない。 リボーンにとって、自分はどんな存在なのかなんて言われなくても分かる。真剣に相手をする必要もない子供、からかい甲斐のあるおもちゃ、期待していた自分が恥ずかしい。 一つだけ待っているチョコの相手がどうして自分だなんて思えたのか。オレのことじゃないと、違うと思ったのに、その後うちに挨拶に来たから勘違いしたんだ。 そんな自分は消えてしまいたいほど恥ずかしいから顔を上げられない。しかし、いつまでも潜ってはいられない。 オレの奇行を気にした様子もなく湯船に入ってきた足を見付けて、寒くもないのに身体が震えた。 近付いてくる足に顔を上げて、湯船から飛び出る。 髪を拭くこともしないで逃げ出したオレは、濡れたままの身体に浴衣を巻きつけると追ってくる気配を振り切って元の部屋に駆け込んだ。 2012.03.06 |