5.いつも日付を跨いで帰ってくる父さんは、やはり今日も遅くなると電話があったらしい。よかったわねと笑う母さんが手を振って、リボーンは先生の仮面を付けたまま頭を下げてオレの腕を握った。 「いってらっしゃい」 「う、ん…」 歯切れの悪い返事に気付いた母さんが少しだけ目を瞠ったけれど、リボーンはオレの腕を引いたまま車に押し込めた。 車高の低い車内は見た目だけは4人乗りだが後部座席は荷物が少し入るだけで精一杯に見える。その助手席に転がるように乗り込んでいると、窓の外から声が聞こえた。 「お預かりします」 「あ、はい。よろしくお願いしますね。ツナも迷惑掛けないのよ?」 「分かってるよ!」 オレのことを幾つだと思っているのか不安になる台詞に声を荒げれば、母さんはニコニコと微笑んで手を振った。 そういえば家族旅行や学校行事以外で旅行に行くのはこれが初めてだ。母さんにしてみれば心配なのかもしれない。いつまで経っても子供は子供、という言葉を脳裏に思い浮かべてムッとする。 これでも男なんだから大丈夫だと背筋を伸ばすも、昼間のアレを思い出して気が沈む。 母さんへの挨拶を済ませて隣の運転席に滑り込んできたリボーンの横顔を覗くと、オレの視線に気付いたのかシートベルトを引く手を止めて少しだけ顔をこちらに向けた。 「どうした、何か心配なのか?」 「べっ、別に!」 虚勢を張る必要なんてないのに、どうしてもリボーンが相手だと強がりが口を出る。自分でもどうしたいのか分からないままシートベルトを締めると、顔を前に向けて出発を促した。 それを黙って見ていたリボーンがボソリと呟く。 「ガキ」 「んなっ!誰がガキなん」 だ、と言い切る前にリボーンはもう一度母さんに頭を下げるとミッションに手を掛けてクラッチを繋いだ。緩やかに滑り出した車体が人影を後ろに追いやって進んでいく。 夜の道をドライブすることも珍しいからキョロキョロとしながらいつもの道を目で追うと、見慣れている筈の道が車からの景色として映る様子に不安になる。 見知らぬ場所に紛れ込んでしまった気がして縋るように隣の席に顔を向ければ、いつからこちらを見ていたのかリボーンの視線とかち合った。 「怖いのか?」 「だ、誰が!」 子供でもあるまいし怖いなんて言える筈もない。売り言葉に買い言葉で返答をすれば、リボーンはククッと声を漏らして笑う。 「そりゃよかった。今から行くことが楽しくなるな」 「ちょ、どこ行く気だよ!?」 「さあな。着いてからのお楽しみだ」 それきり黙ってしまったリボーンは、その後いくら訊いても行く先をはぐらかし続けた。 高速道路に乗り込んで少し走ってからパーキングエリアで遅い夕食をとった。平日の夜だというのに意外と車も多くて、パーキングエリアの食堂は人波が途絶えることはない。 それを横目にそばをすすれば、前に座っていたリボーンがどんぶりの中に菜花の天ぷらを入れてきた。それをつまみ出すことも出来ずにどうにか空にする。 腹ごしらえを終えると、また車に乗り込む。オレはまだ車の免許はないし、父さんは自分の運転が信用できないと言っているから車に乗る機会はなかった。だから他はよく知らないにしてもリボーンの運転は…。 横を追い越していくだけの視界の先には、段々と見たことのない地名が増えて行き先の見当がつかない。 長いトンネルを抜けたところまでは覚えているが、同じ景色が続いたことで眠気に勝てず寝ていたらしい。 着いたぞと耳元で呼びかけられてハッと顔を上げれば、暗闇の向こうに夜景が広がっていて慌てて飛び起きた。 「ここ…」 辺りにはわずかな灯りしかなく、目の前にあるフロントガラスさえ宵闇に紛れて視認出来ない。けれどそれすらどうでもよくなるような煌きに目を奪われていれば、隣の席からリボーンは立ち上がってドアを開く。 それに倣って助手席から這い出ると、冷えた山中の空気に眠気を吹き飛ばされた。 「寒っ!!ってか、雪だ…」 踏み締めた靴底から伝わる冷気と音に驚いて目を凝らす。遠くから照らされている地面には真っ白い雪に埋め尽くされていた。 予想外の寒さに慌てて車の奥に突っ込んだコートを引っ張り出すと、後ろから荷物も出せと声が掛かる。 「へ…ここが目的地?」 てっきり夜景を覗きにきただけだと思っていたから驚いて車の窓越しに辺りを見渡す。 「よく周りを見ろ。後ろにある旅館が見えねぇのか」 「…見えた。けど、あれ……ってさぁ!」 リボーンの車は長さも幅もあるのに後ろが見え難い形になっている。その見え難い後部座席から首を伸ばして見つけた建物を視界に入れて顔が引き攣る。 気付かなかったのも道理で、わずかな明かりが灯るそこは旅館というより…そう『お化け屋敷』とでも言えそうなほど寂れた建物がぽつんとそこにあった。 山肌を吹き抜ける風の音が不気味な声に聞こえて思わず飛び上がった。 「ひっ!」 「何車ん中で遊んでやがる。到着時刻は知らせてあるが、遅くなると迷惑になるからな。夜景は部屋から見れる」 言って後部座席からオレとリボーンの手荷物を取り上げると、さっさと運転席のドアを閉めて旅館の方角へと歩き出した。 「違っ、そうじゃなくて!」 「それから、オレの運転中に居眠りしやがったバツは受けて貰うぞ」 一人置き去りにされるのはご免だとオレも車から足を踏み出す。そこに聞き捨てならない台詞を投掛けられて飛び上がった。 「なにさせる気?!」 慣れない雪道に足元を掬われそうになるも、どうにかリボーンに追いついてその腕にしがみ付く。両手に荷物と、片腕にオレを引き連れたリボーンは、いつもの歩調を崩すことなくオレンジの明かりが照らす道を歩いて行くから堪らない。 「早いって」 ただでさえ歩幅が違うオレとリボーンなのにと小走りでついていけば、今度は凍った地面に足を取られて転びそうになる。 そんなオレを荷物を抱えたままの腕が伸びてきて支えてくれた。 「旅館の目の前で転ぶんじゃねぇぞ」 「分かってる!」 溶けかけている雪に尻餅を着いたら濡れ鼠になることぐらいは知っている。指摘されるまでもないと顔を上げれば、リボーンは頭一つ分高い位置からクツリと笑った。 「怪我なんてされたら、お仕置きにならねぇからな」 「ってさ!本当に何させる気なんだよ!」 優しいのか、素っ気無いのか。気に掛けてくれているのか、無関心なのか。リボーンが分からないと思いながらも、知りたいという欲求が膨らんでいった。 2012.02.24 |