2.「旅行に行かないか?」 リボーンにからかわれたことで不貞腐れて顔を横に背けていたオレはそう声を掛けられて、ぼんやりと言葉を反芻してからようやく意味を悟って顔を上げた。 そんなオレをリボーンはいつもと変わらない感情の読めない顔で見詰めている。 「りょ…旅行って」 どうやって返事をすればいいのか分からない。ただの旅行なのか、そういう意味も含まれているのかすら判断出来ずに声を詰らせた。 もうすぐ学年が1つ上がるのだからリボーンとの付き合いも一年近くになろうとしていた。だけどそれらしいことなど何一つしていない自分たちは『恋人』であるのかさえあやふやだというのに、いきなり旅行に誘われても困る。 そもそも2人きりで長い時間を過ごしたことがないなんて本当に自分たちは付き合っていると言えるのだろうか。 遊ばれていると言われても思わず納得してしまいそうな希薄な時間しか一緒に過ごしていないから返事のしようがなくて口篭ると、リボーンは肩を竦めて顔を近づけてきた。 「旅行っつってもこんな時期だしな、前日の夜出て次の日の夜には戻ってくるからちょっとした遠出ってところか」 「あ、そうなんだ?!」 妙な想像をしていたオレは疚しさに声を上擦らせた。それを分かっているのかいないのか、リボーンは近付けた顔をオレの肩口に乗せて両手を身体に巻きつけてくる。 抱き寄せられる恰好に慌てて逃げ出そうとしてもうまくいかない。肩の向こうから聞こえる声に益々焦る。 「ちょっ…!」 「2月の13日、20時に迎えに行くぞ」 「分かった!分かったから離せって!」 いくらリボーンがここは人が来ないようにしたと言っていたとはいえ、リボーン自身のおっかけがいつやって来ないとも限らないのだ。ファンだらけの校内で見つかったらと思うと恐怖だ。オレとリボーンがこんな関係だと知れたら殺されるとこ請け合いで余計に身体は強張っていく。 嫌がるオレの態度を楽しんでいるリボーンの腕から逃れると、話の内容も聞かずに返事をしたことに気付いて顔を上げた。 「あ…っ!13日の次ってさ」 「ああ…平日だがオレの受け持ちはほとんど3年だ、授業はない。お前ら1年は現国が遅れてるから替わってくれと言われてるしな」 休みは取れるぞと言われてもちっとも嬉しくない。というかどこにも安心できる材料がない。 「ちが、14日ってバレンタインだろ…!」 そんな一大イベントの日にリボーンが学校に来ないどころか、『恋人』と一緒に過ごしたなんてバレたらどうなるのか。 既成事実もないままなし崩しに外堀だけ固められていくようで焦る。 リボーンの本心を知りたくて顔を覗き込めば、やっぱり読めない表情でニヤリと愉快そうに笑われた。 「だからその日がいいんじゃねーか」 「うっ…」 上手に返事なんて出来ないオレは断る理由も見つけられずに小さく首を縦に振って、その場を逃げ出した。 逃げ出した翌日だって学校だから嫌でも顔は合う。 ただでさえおつむの出来がいいとは言えないオレなので、リボーンの顔を視界に入れただけで他のことが入らなくなって授業は散々だった。 「13日前に死ぬかもしれない…」 ぐったりと机に突っ伏しながら周りには聞こえない声でボソリと呟く。 あんなこと知られたらと思うと気が気じゃないし、だけど行きたくないのかといえばそうでもない。 学校以外でリボーンと一緒に過ごす機会なんて今までなかったから本当は少しウキウキしている。でもそれをリボーンに知られるのは恥ずかしいから必死で何でもないフリで顔を作ってみたけれど、どうにも上手くいったとはいえないらしい。何せこちらを見るリボーンは含みのある顔をしていたのだ。 しかも今日はまた別の難関が待ち受けていた。 「本気かよ、バカだろ…っ」 昼休みに届いたメールを思い出してそう声を上げれば、前の席に座る女子が気味悪そうな視線をオレに投掛けてくる。 慌てて自分の口を塞ぎ制服のズボンに押し込んだままのケータイを取り出すと、廊下へと飛び出した。 もうすぐ6時間目が始まる廊下は人の行き来がある割に、こちらを気にする人もなく簡単に人気のない図書室へと紛れ込むことが出来た。 丁度お昼にでも出掛けているのか司書の姿すら見えないことにホッとしつつ、一番奥のカウンターからも外からも見えない隅っこの椅子に腰掛ける。 誰にも顔を見られないという安堵感にやっと息を吐き出すと、背凭れに背中を預けて顔を天井に向けた。 「リボーンてバカなのかな」 そう呟いてしまうのも無理からぬことだ。何故ならメールの内容が内容だから。 椅子に凭れかかったまま手にしていたケータイを顔の前まで持ってくると、昼休み直前に届いたメールを開く。 【今日旅行の件でツナのご両親に挨拶に伺う。19時頃の予定だが少し遅れるかもしれない】 何度見てもそう書かれてある。 普通バカ正直に旅行に行くことなんて言わないだろう。男友だちとの場合だってそうだ。そもそも自分とリボーンは友だちというには年齢が離れ過ぎているし、『友だち』ではないのだから上手く言い包められるのだろうか。 そういえば父さんは昨日から出張で今日は何時頃に帰ってくるのか分からないと言っていた。母さん一人なら大丈夫だろうかと考えて慌てて首を横に振った。 イヤイヤ、心配することは何もない。ただ一緒に旅行に行くという説明をするだけなのだから疚しいところもない。 学校のある日だからいい顔はされないだろうが、ダメだとは言わないだろう。男同士だから疑われることもないし、リボーンはオレのことを『恋人』などと言ってはいても実際は何もないのだから『友だち』と何ら変わりない。 大丈夫だと自分に言い聞かせていると、後ろからオイと声が掛かった。 「ひぃぃい…!」 「バカ野郎、声がでかいぞ」 突然横から伸びてきた手に口を塞がれる。状況が飲み込めなくて目を見開いていれば、頭の上からよく知った顔が覗き込んできた。 「ふぐぐっ!」 「てめぇは落第が洒落にならねーのに、何サボってんだ」 人の気も知らない顔で元凶が現れる。誰のせいでそれどころじゃなくなったんだと言いたいが、口を塞がれたままではなす術もない。 息も出来ないほどぴったりと押し付けられた手に爪を立ててもがけば、意外やあっさりとリボーンの手が離れていく。やっと吸うことのできた空気を肺いっぱいに満たしていると握ったままだったケータイを取り上げられた。 「何だ、今更読んでたのか?」 「違うって!」 「なら授業をサボってまで何してやがる」 一瞥しただけで戻ってきたケータイをリボーンの手から引っ手繰ると、慌ててズボンのポケットに押し込めた。 リボーンからのメールはすべて保存しているなんて知られたら死ねる。 バツの悪さに視線を逸らしながらこの場を逃げ出す算段をつけていれば、それに気付いた手がオレの肩を掴んだ。 「ひと…っ、人が来る!」 「ちっと前に司書に留守を任されたところだ。体調を崩して早退だとよ」 校内でもインフルエンザが蔓延していたことを思い出す。 「でも!借りる人とか…」 「授業中だぞ。来るわけねーな」 逃げ出したいオレの退路を絶ちながら腕の囲いが狭まっていくことに気付いて焦った。椅子に座ったままだから余計に逃げ場がなくて、近付いてくる身体から少しでも離れようとリボーンの胸を手で押し返すと、その手を薙ぎ払われた。 「そんなに嫌なら旅行はやめるか?」 「は…?」 もう一度押し返そうとした手が止まる。 今まで飛び跳ねていた心臓がリボーンの言葉の続きに縮み上がった。 「嫌ならやめる」 「イヤってわけじゃ…」 そんなことを言われるとは思っていなかったオレは素直になれなくて声が詰った。 自分の態度のせいで誤解されたのかと思うと上手い台詞も出てこない。かといって縋れるほど自分の気持ちがはっきりしている訳でもないから尚更だ。 伸ばしかけた手を下ろすと、リボーンから視線を外して目を閉じる。そんなオレをリボーンの腕は強く抱えこんできた。 目の前にある肩口に顔を埋めて、だらしなく宙に浮かんだままの手を背中に回したらどうなるのかなとふと思いつく。 だけどやっぱり手を伸ばすことは出来なかった。 2012.02.15 |