リボツナ3 | ナノ



8.




机の上の原稿用紙にはメモ書きのようにいくつも走り書きがあった。書きたいと思ったもののまだ話として纏まる気配をみせないそれらを視線の端に入れてため息を吐く。
少しずつでも進んでいる手元の原稿にざっと目を通してから歯切れの悪い文体に首を振ってぐしゃぐしゃと丸めた。

「あーあ…」

世間さまは盆休みだ、夏休みだと騒いでいるのに、ここはそういった時間の流れを感じさせるものが少なすぎた。
それでも唯一夏を感じさせるセミの鳴き声が、今日はなんだか遠くにあるような気がする。
ブーン、ブーンと回る扇風機からは纏わりつくような湿気を帯びた風が流れて、ハタハタと扇風機の風にはためく甚平の合わせを見詰め、またも重いため息が零れ出た。



あれからどうなったのかといえば、どうもなってなどいない。
リボーンさんは相変わらずうちに顔を出しては原稿の出来を覗いて、それから麦茶を飲んで帰っていく。
まるであの出来事がなかったかのような態度にホッとして、それからひょっとしたら本当にあれは夢だったのではないかとさえ思うようになっていた。
それでいい筈だった。
リボーンさんとは編集者と作家してではなく、友人として繋がっていけたらいいなと思っている。
口は悪いし、態度はでかいけどそれに見合う仕事をしているリボーンさんを年下ながらも尊敬していた。だからこそ頼まれた原稿に取り組んでいるのだ。

だというのに、気が付けばため息ばかりが口をついて出る。
それは一向に進まない原稿のせいじゃない。
原稿から逃げるように畳の上に寝転がると、顔を向けたその先に畳のいたみを見つける。何かに擦られたようなその部分を不審に思って指を伸ばすとそっと指で触った。

「あ…っ、」

伸ばした指がちょうど引っ掛かるような畳の捲れにドキリとする。
どちらのものとも分からないほど畳の上を汚していた白濁は濡れた雑巾で拭き取ってから乾拭きをしたために今ではもうあの時を思い起こさせるものなど残ってないと思っていたのに。
痛みと、それから我も忘れる快楽とに身を委ねたあの日。
自分はあの時、何を思って流されたのだろう。

消えてしまったパズルのピースを捜しても、見つからないとを知っている。
いつでも諦めのいいオレは、なくしてしまったものを捜すことすらしないでこれまで生きてきた。
今回も同じだと畳に顔を押し付けていると、メールの着信音が聞こえてきた。

あさり出版以外の仕事も請け負って生計を立てているオレだが、先週中にコラムの仕事は送ってあった。そのコラムに訂正でも入るのかとテーブルの上に放り投げてあった携帯電話を引き寄せて、寝転がりながらメールを開く。

するとそこには思いもかけない名前と内容が記されていた。









以前待ち合わせた場所の目と鼻の先にある、温かい感じのする喫茶店に足を踏み入れた。
甘い物は好きだがこういったいかにも可愛い雰囲気の喫茶店に堂々と出入りできるほど厚顔でもない。
だから気恥ずかしさと、それからウキウキと弾むような気持ちとで顔をだらしなくさせながらも、ひっそりと隠れるように奥に座る京子ちゃんの待つテーブルへと近付いた。

「お待たせしちゃたかな?」

「ううん!平気!それより突然ごめんね?」

「全然!平気だよ!暇すぎて畳の目を数えてただけだし!」

あははっ!ツナくんて面白いね!と笑われてしまった。冗談だと思われたのだろう。あながち冗談でもないのだが、ここは黙っておくべきだ。自分のために。
黒縁眼鏡に帽子を被ったままの京子ちゃんは、オレを待っていてくれたのかまだメニューを開いているところだった。

「ここはね、いつも一人で来てるところなの。どうしても役になりきれない時や、悔しかった時、辛かった時に来て好きなだけケーキを食べていくんだ。」

「そ、そう…」

上手く言葉を繋いで上げることも出来ず、ただ頷いていると翳りのない笑顔でニコリと笑い掛けてくる。

「今日は違うね。だってツナくんと一緒だもん!」

突然のメールは京子ちゃんからだった。
撮影が共演者の都合でなくなってしまい、丁度この近くにいるからお茶をしたいなと言われ嫌だという男はいないと思う。
かくいうオレもノーと言わない男の一人だ。

注文をとりにきたウエイトレスに3つもケーキを頼んだ京子ちゃんは、ここは紅茶もお勧めなんだと教えてくれる。その表情に一点の曇りもないことを確認して、少しホッとした。
京子ちゃんと恋人になりたい訳ではなかったが、それでも憧れの女性であることに違いはない。こんな風に誘われることは嬉しかったが、相手がオレだからよかったものの他の男なら勘違いをするだろう。何かあったのではと勘繰るのも道理だと思う。

それでも上手く聞きだすなんて芸当ができる訳もなく、ほどなく現れた店員がティーポットとティーカップを持ってくるまでの間しばし沈黙が流れる。
こういう時、リボーンさんならいくらでも相手の緊張を解してあげる話が出来るんだろうと、つい思考が横道に逸れたところでクスリと笑われた。

「え、なに?」

「ううん!ツナくんて思ってること全部顔に出ちゃうんだね。」

誉められてないことだけは分かる。
だけどやっと和やかになった雰囲気に水を差すことは憚られてぐっと言葉を飲み込んだ。

「ひょっとしてリボーンくんと喧嘩してる?」

「ええぇぇえ!?」

まだ一言もリボーンさんとのことなんて話してはいない。なのにどうしてと京子ちゃんの顔を見詰めていると、クスクスと漏れる笑い声を手で押さえながら教えてくれた。

「あのね、あの後リボーンくんの出版社から雑誌のインタビューの依頼があったの。その時にインタビュアーとしてリボーンくんが来てくれてね…そこで、ふふ!あれだけ会う度にツナくんの話をしてたのにまったくしなかったからどうしたのって訊ねたの。」

「…それで?」

「なんでもないって。ない訳ないよね?」

目を細めて笑う京子ちゃんには悪いが、それだけでは意味が分からない。たまたまオレの話をしなかっただけということもある。
そうではないことを知ってはいても、あの件を知らない京子ちゃんには分かる筈もないのだ。
だから表情に現れないように気をつけながら、恐る恐る京子ちゃんの顔を確認して訊ねる。

「どうしてそう思ったの?」

「だってね。私がツナくんの話をするとわざと逸らすの。私がいいよねって誉めた時の顔、見せたかったな。」

京子ちゃんにそんな風に思われていたと本人に言われたにも関わらず、オレが引っ掛かったのはその前のフレーズだった。
話を振っても逸らすなんてオレのことを触れられたくないみたいだ。京子ちゃんとの食事会が原因といえば原因なのだから、その本人にオレのことを聞いて不快になったということか。

そこまで嫌われていたとは思ってもいなかったオレは、そろそろだねと言われて紅茶を淹れてくれる京子ちゃんに愛想笑いしか返せずに、震える手をテーブルの下に隠してせり上がる何かを必死に耐えた。

「本当はね、今日ツナくんに会いたかったのは聞いて欲しいことがあったからなの。でも、なんだか毒気を抜かれちゃった。私もツナくんたちに負けないように頑張る!」

何を、と聞ければよかったのかもしれない。
だけどその時のオレには聞いてあげるだけの余裕もなくて、そしてそんなオレたちを物陰からひっそりと隠し撮りしていた男がいたことに気付くこともないまま京子ちゃんとの密会はお開きとなった。









その日は、あまりの暑さにエアコンなしの我が家が蒸し風呂と化して真剣にエアコンの購入を考えて近所の電気屋さんに涼みがてらパンフレットを貰いに行っていた。
京子ちゃんと過ごした時間はあまり覚えていなくて、そしてオレは忘れることの天才だった。
次の日にうちに来たリボーンさんには伝える勇気もなく、また伝えたからといってどう変わる訳でもなしと、わずかに痛んだ心に蓋をして何事もなく5日が過ぎていた。

7時を過ぎてやっと日が沈んできた空を見上げながら、パンフレットがたんまり入った袋を抱えて家路に着く。
充分涼んだオレは、今年はこの方法で夏を乗り切ればエアコンは要らないんじゃないのかということに気付いてまた考え込んでいた。
潤っているというほど収入がある訳でもなし、出来るだけ贅沢品は差し控えたい。
とりあえず、今日はこのまま寝てしまおうと冷蔵庫の中の余り物を確かめながら垣根に囲われた我が家へと辿り着くと、見覚えのあるバンが道端に停まっていた。

「あれ、わざわざ待ってたんですか?」

そう声を掛けるとエンジンを切って車内からぬっと現れたリボーンさんの表情が険しい。
何かよくないことでもあったのかと玄関に向きかけた足を後ろに返してじっと覗き込んだ。

「センセイ、これはどういうことだ?」

眼前に突きつけられた週刊誌を前に、パチリと瞬きをしてからリボーンさんの顔をもう一度覗き込んだ。

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