3.目が覚めたら、そこは暗闇だった。 ………ということはない。 ズキズキと痛む頭は、クロロホルムでも嗅がされたのか頭の働きを鈍らせていて痛いと感じるそれもどこか霞みがかっている。 ぼんやりとしている視界を目を凝らすことで焦点を合わせて辺りを見渡せば、明るいが少し狭い部屋の中だと気付いた。 やはりというか当然だが後ろ手に縛り上げられていて、声を出せないように口に布を巻き付けられてはいるが、それでもオレを拘束する以上のことをする気はないらしい。 横向きに床の上に転がされているせいで少し埃っぽくはあっても、オレに危害を加えようという縛り方ではない。 正直言えば、炎を出せない今の状態でも縄は外すことは出来る。 いかにも素人といった縛り方は結び目もそうだが巻き方も緩くて、腕を外すまでもなく抜け出せるだろう。 つまりは『こちら』ではなく『あちら』の世界の一般人がオレを誘拐したということだ。 一体誰と勘違いされたんだろうと呑気に構えていれば、扉の向こうから複数人の声が聞こえてくる。 「やべぇよ!誰だよ、あいつがいいとこのボンボンだって言ったヤツ!」 「知らねぇよ」 「なあ…」 声を抑えることもできない声は、思春期特有の掠れた低音を響かせていた。 やっぱり子どもかと生ぬるいため息を吐いていると、その台詞に別の声が被さる。 「お前だろ!いつも身なりのいいガキがパティスリーに入ってくって言ってたじゃないか!」 見られていたことに驚きつつその続きに耳をそば立てていれば、突然携帯電話と思われる着信音が聞こえてきた。 いつまでも鳴り続けるそれに、子どもたちが怯えていることを察する。 恐る恐るといった調子で着信音が止むと、小さく返事する声がひとつだけ聞こえた。 「はい……はい、分かりました」 震える声を耳にして、子どもたちより電話の相手の方が立場が上なのだと知る。 オレをどこかの金持ちの息子だと勘違いした子どもたちは、どうしてそんなことをしたのか、これで分かるかもしれない。 塞がれているから喋れない口をそのままにして、もっとしっかり聞き取れる位置へと顔を扉に近付けるためにずりずりと床の上を這った。 ズリズリと音がしているというのに、誰もこちらを気にかける者もいない。やはりただの素人だ。 電話口に立っている子どもとは別の子どもが啜り泣いている。 奇妙に静まり返った隣の部屋の様子を聞き取ろうと、顔を上げて耳をすませば電話の向こうに応える声がした。 震える声で絶対に明日までには用意しますという声を聞き、なるほどと頷くと大体のあたりをつける。 オレを誘拐したのは上納金のためじゃないのかと。 あんな子どもを従える馬鹿はどこのマフィアだと瞬時に頭の中のファイルを開く。ここはボンゴレの、いやオレのシマだ。 ふざけた真似をする同業者には相応の報いは必要だろう。 オレが誰なのかすら知らない子どもをどうこうするつもりはない。だけど、モノの善悪より恐怖で従わせている『こちら』側の相手に憤りを感じた。 自分が連れ攫われてからどれぐらいの時間が経過しているのかを確かめるために、首を回して辺りを伺う。 窓の外から入る光が影を長く落としていた。色も昼間のそれより若干濃い。つまりは夕方もしくはそれに近い時間だ。 この状況を知らせようにも、こちらからの連絡手段といえば携帯電話しかなく、しかしさすがにそれらは取り上げられているようだった。 もぞもぞと床に身体を擦りつけても、携帯らしき硬さのものが当たる音が聞こえない。 余程の間抜けでもない限り携帯の電源は落としているだろうなと諦めて、それからこの状態で自分の右腕ならどうするかと考えて、ふと思い浮かんだ顔がある。 山本やクロームなら分かる。 彼らのためにアジトを抜け出したことになっているのだから、もしオレが誘拐されていることを知ればかえって悪いことをしたとさえ思う。 だけど脳裏に浮かぶのは、赤ん坊の頃が思い出せないほど不遜な態度と面構えのお抱えスナイパーだ。 今はいいと頭を振っても、何度でも湧いてくる。 困った時、苦しい時、いつでも傍にいてくれたから今でも頼る癖が抜けない自分にムッとしていると、扉の向こうからまた着信音が聞こえてきた。 「はい……なんだ、お前かよ」 硬かった声色を覆し安堵の呟きを漏らした子どもは、耳を傾けるように電話へと頷きかける。 「ああ、ああ。そうか!やっぱりいいとこの中学生だったんだな!」 もしやと思いつつも納得できないオレは、この電話の内容は自分のことじゃなかったのかと顔を背けた。 認めるには矜持が許さない。 「姉貴らしい女と……それで、手紙は……渡したか」 疾しいのか子どもたちはボソボソと小声で会話を続けている。 オレには姉も弟も居ないのだからやっぱり違うと思っていれば、電話を手にした子どもが突然大声を上げた。 「そうか!こいつの親父も居たのか!金はありそうだったか?」 自分以外にも捕えられている子どもでもいるのかと聞き耳を立てていたオレの目の前の扉が開く。 中学生か、高校生かと思っていた通りの顔が4つ、合計8つの瞳がオレを見下ろしていた。 電話先の子どもを含めると5人か。 顔を上げていたままの格好をばっちりと見られてしまったオレは、刺激しないように視線を逸らすと電話を持っている子どもが近付いてきた。 この子がリーダーか。 「よお、お目覚めかぼっちゃん」 ギャハハ!とオレを取り囲む子どもたちの笑い声を聞いて、思い出したくもないが奇妙に懐かしい日々が浮かんで消えた。 そういえばリボーンが家庭教師になるまで、オレには友だちさえ居なくて、こうして不良と呼ばれる悪ガキに殴られせびられてばかりいた。 当時は自分ばかり狙われる理不尽さに不貞腐れていたけれど、今となっては可愛らしい出来事だったとさえ思える。 いくら不良とはいえ、死ぬ気にもなれない相手におめおめと殺されることもない。そもそも子どもたちは武器の扱い方さえ知らないのだ。 自分より少しばかり大きい身体を威嚇するように仰け反らせて取り囲む。雲雀さんじゃないけど、群れなければ何も出来ないのだろう。 それが自分の弱さを露呈しているとさえ知らずに子どもたちは笑う。 ここでため息を吐けば逆上するんだろうなとお定まりのコースに突入しかけて、それも大人げないかとどうにか表情を消した。 怖がっているように見えれば儲けものだ。 わずかでも情報が欲しいのだから、ここは大人であるオレが上手くやらなければならない。 そんなオレを見ていたリーダー格の子どもは、オレの髪を掴み上げると顔を覗き込んできた。 手にはレコーダーが握られている。 「パパがお金を持ってきてくれるように、お願いしてみろよ」 口を塞がれたままで出来るか!という突っ込みをしていれば、慌てたようにオレの背後から手が伸びて口から布が解かれた。 そういえば先ほど姉だの親父だのと言っていたことを思い出して少し考える。 オレに姉は居ない。親父は一人だけダメ中年がいるが、わざわざオレの不始末に手を出すほど暇じゃない。 と、すれば誰がその役を買って出たのかと思いを巡らせていれば、苛々したようにリーダー格の子どもがオレに手を上げた。 パン!という音ほど痛くもないビンタに項垂れて身体の力を抜くと、慌てたようにオレの胸倉を掴み上げて揺さぶる。 「てめ、早くしろって言ってるだろ!」 脅すというより恐怖に唆されての暴力だと分かっているから怖くもない。伊達に危ない橋を何度も渡ってはいない。 ザンザスの顔の方がよっぽど怖いなと失礼なことを思いながら、俯いた視界の先で子どもたちの様子を伺う。 さてと頭の中で結論を出したオレが、いかにも怯えているような顔を上げて声を出した。 「父さん、姉さん…助けて下さい。怖い人たちに脅されています」 主語の抜けた台詞に子どもたちは気付かない。誰が脅されているのかを伝えるためにそう言えば、子どもたちはホッとしたように息を吐いてオレを床に放り投げると立ち上がった。 2012.10.24 |