18.明日AM3:30にバイト先駐車場西口で待て という一文と添付ファイルのみのメールに息が止まる。 添付ファイルを開けば先日の自慰を隠し撮りされていたのか、植込みからとおぼしきアングルからの自分の痴態が写されていた。 少しピンボケながらも被写体がオレで何をしているのかは一目瞭然だ。リボーン君が現れる少し前なのか、一人で前を弄っている様子を克明に撮られている。 オレが逃げてばかりいるせいで焦れたリボーン君の仕業なのだろうか。それとも。 指先から力が抜けて携帯がベッドの上に転がり落ち、寒くもないのに身体が震えた。 あんな場所で自慰なんてしていればバレる危険性は高いだろうということは考えなかった訳じゃない。だけどリボーン君に見つかったその前に誰かに見られていたかもしれないなんて思ってもみなかった。 店員が店の外であんなことをしているなんて見付かれば店の信用がガタ落ちだろう。 もしもリボーン君でないのなら、どうして今まで何のアプローチもなかったのか疑問は残る。 「リボーン君なのか…?」 そうであって欲しいという理性と、何度も繰り返す訳がないという期待とが胸の裡で混じり合う。 リボーン君であれば目当てはオレ本人であって店ではない。だけど違うとすればオレの愚行のせいでバイト先に迷惑を掛けることになる。 「だけど、」 違って欲しいと心の奥底では願っていた。 酷いこともいっぱいされた。だけどオレの本当に嫌がることはしていない。 身体の奥を弄られた時ですら行為そのものは無理やりだったのに、そこにリボーン君自身を突き立てることはしなかった。 思い出したくもないと蓋をしていた記憶にあったリボーン君の瞳は切ない色をしていて、振り返ってみればオレに何かを伝えたかったのかもしれない。 こんなの惚れた弱みだと思えど、オレを好きだと言ったあの言葉が嘘であって欲しくないと縋っていたことに気付く。 「…オレ、バカだっ!」 そんな場合じゃないのに。 オレの社会的地位も、家族も、バイト先さえもオレのしでかした行為のせいで危機に曝されているにも関わらず、思うのはリボーン君のことだけだなんて。 ぎゅっと堅く閉じた口元に拳を押し付けて布団の中で背中を丸めた。 結局、寝ることも出来ずにバイトの時間が近付いてベッドから起き上がる。 リボーン君にことの真相を問い質してみようかとも迷ったが、もし彼じゃなかった場合もう一つ弱みを握られることになると思いとどまった。 まるでバイトの休憩時間を知っているような指定時間だと思いながら、今度こそ逃げ出す訳にはいかないと重い腰を上げる。 ノロノロということをきかない腕で洋服に着替え、着替えをバッグに押し込めて玄関に向かった。そんなオレの背中に声が掛った。 「帰ってきた時より顔色が悪いわよ?お休み出来ないの?」 心配そうな母親の声に首を振って玄関を押し開けた。 「大丈夫だって。それよりもう遅いから寝てていいって!…じゃあ、いってきます」 安心させようとそう言えば、母親はオレの顔を見て益々眉を寄せる。それに構うことなく玄関をくぐるとドアを閉めて外からカギを掛けて歩き出した。 さすがに深夜はまだ肌寒い。はおってきたパーカーの襟元を合わせて駅前のファーストフードに向かう。 人気のない住宅街から広い通りに出て大き目のコンビニの前を通り過ぎていくと、そこに大学生なのか高校生なのか微妙な年齢の男が数人たむろしていた。 慌ててからまれないように視線を逸らす。 コンビニの前を素通りして辺りを見渡してもこんな時間に出歩く人はそれほど多くない。道路を走る車の波もまばらだ。 それでも重い足取りでバイト先まで歩を進めていくと、深夜に煌々と照らされている看板が目に入ってくる。 今日のバイトの相方はパシ…いや、スカル君だとメールにあったことを思い出す。あれから店長と話してまたバイトに来ることになったのだろう。 一時でもあのメールを忘れたて必死で別のことを考えていれば、意識することなく足はバイト先へと辿り着く。 腕時計を確認して少し早く着いたことにため息が出た。まぁいいかとそのまま従業員用の裏の出入り口をくぐると思いがけない顔に出くわした。 「あれ?……店長まだ居たんですか?」 何をしているのか物陰に隠れるように屈んでいた店長とばっちり視線があってそう声を掛けると、店長はあからさまに肩を震わせて驚いた。 「なっ、なんで分かった?!」 「へ?いや、だってそこの上に常夜灯があるじゃないですか。っていうか、店長こんな時間まで仕事だったんですか?」 「いや、その…」 妙に歯切れの悪い返事をする店長を少し不審に思いながらも、挨拶を済ませてから手にしていた着替えを抱え直して更衣室へと向かう。 すると店長はオレの後ろに張り付くように一緒に中へと入ってきた。 オレより10年上だという店長はひょろりと細身の背の高い30代の男だ。リボーン君のように誰が見ても格好いいとは言えないが、気持ち悪いとか不快になるような人でもなく普通の人だといえる。 しかし昼時や朝など一緒に組むパートさんやアルバイトの女性などからは独身ゆえにか『ゲイ』ではないのかと囁かれていた。 女性の影がないとそんな噂が立つのだと自分に置き替えて寒くなりながら、表面上は頷いて聞き流したことがある。そんなことをぼんやり思い出した自分を馬鹿馬鹿しいと一蹴して自分のロッカーの扉を開けた。 「沢田くんは付き合ってる人とかいないのかい?」 「えぇぇえ?!いや、全然!!」 突拍子もない質問に脱ぎかけていた手を止めて後ろを振り返る。こちらを覗き込んでいた纏わりつくような店長の視線に驚いて、そんなことを思うのはパートさんたちに聞いた話のせいだと自分を恥じながらまた着替えの手を早めた。 オレの返事にふうんと頷いた店長は、やっと視線を外すとズボンのポケットから携帯を取り出して画面を確認する。 「そろそろ帰るから。スカル君とよろしくね」 「あ、はい。お疲れさまでした!」 ユニホームに着替えたオレは慌てて頭を下げて店長がドアの向こうに消えるまで頭を下げていた。 「…なんだろ、あれ」 パタンと扉が閉まる音に顔を上げて遠ざかる足音に耳を立てる。 パートさんたちの噂を聞いてしまい、店長と同じくいい年のオレに彼女がいるのかを確かめたかったというところだろうか。 首を傾げながらも着替え終えたオレは、チラリと掛け時計を見上げて迫りくる時刻を前に眉をぎゅっと寄せた。 深夜のファーストフードはやはり人の出入りが少ない。それでも3時までは一人、二人とポツポツとお客さまが現れては食事をしていく。 中にはレポートを仕上げようと躍起になる学生もいて、食事よりドリンクのみの場合も多い。 それも3時までのこと。そこを過ぎれば5時までは不思議なぐらいぴたりと客足が途絶える。あっても1組か2組、ドライブスルーがある程度だ。 だから見計らって交代で休憩を取ることが出来る。 あの一件ぶりにスカル君と再会したが、特に掘り返されることなく時間は過ぎていった。 店内にある時計はそろそろ3時半を指し示そうとしている。 先に休憩を貰うと伝えておいたから、スカル君に視線をやると頭を下げて休憩を取るためにレジを交代した。 「あんた、大丈夫か?」 見透かされたようなタイミングの問い掛けに大きく目を見開く。 今からのことなんて知らない筈なのにどうしてそんなことを聞くのかと狼狽えていれば、オレの顔を見ていたスカル君が手を伸ばしてきた。 「顔真っ青だぜ。先輩呼ぶか?」 「っっ!」 スカル君の言葉に声が詰まる。そう出来たらどれだけよかっただろう。だけど今更そんなことをいえた義理でもないし、言ったからといってどうなる訳でもない。 逃げるように首を振って俯くと、スカル君の手がオレの腕を掴んだ。 「震えてんじゃねーか。熱でもあるんだろ?」 「ちがう…本当に平気だから」 オレとリボーン君のことは知らないながらも心配してくれているようだ。彼に掴まれた腕をゆっくり外すと顔を上げてオレより少しだけ高い位置にある顔に精一杯の笑顔らしきものを見せる。 「ありがとな…ちょっと遅れたらごめん。すぐに戻るから」 ぼんやりとした表情でこちらを見詰め続けているスカルに背中を向けてカウンターから離れていく。 着ていたユニホームを脱ぎ、連絡を寄越すであろう携帯を手に裏口へ向かう。 今度は誰も居ないことをよく確認してから駐車場の西口の影になる場所に飛び込んでそれらしい人物を先に見付けようと目を凝らしていた。 そこへ一台のワンボックスが現れる。通り過ぎていくのかと息を潜めて物陰に隠れていると、西口の手前で減速をして辺りを伺っているようだ。 すぐにピンときた。あれがオレにメールを寄越したヤツに違いない。 どんなヤツだと確認しようとして物陰から少しだけ顔を覗かせると、思ってもみなかった人物を見付けて動きが止まる。 まさか、と目を瞠った。 リボーン君じゃなかった。だけどあの人がそんなことをするのだろうか。 確かにオレのメアドは知っているが。 相手もオレを見付けたのだろう、車をオレの居る物陰に寄せて真横までくるとエンジンをかけたまま運転席から出てきた。 ああ、間違いない。そっくりさんじゃなく、本人だ。 急に喉がヒリヒリしていることに気付いて唾を飲み込む。だけど落ち着くどころか嫌な汗が背中を流れて余計に喉の渇きを覚える。 どうしよう。 ドクンドクンと在り処を知らせるように鼓動を刻む心臓と、現状を理解できずにパニックになる頭がうまく噛み合わない。 「店長…」 どうにか絞り出した声は呻き声にも似ていた。 2012.05.09 |