リボツナ3 | ナノ



17.




どうしてこんな時間に、こんな場所にいるのだろうか。
先ほどまで彼の顔が見られなくなることを寂しいと思っていた癖に対面する心構えもなかったオレは逃げ出さないことだけを心に決めて腹に力を入れて歯を食いしばった。
嘲りの言葉を覚悟して合わせた視線の先には、眉間に皺を寄せ言葉を選ぶように視線を彷徨わせる黒い瞳を見付けて身体が強張る。
逃げたい。
背後でこちらの様子を伺うバイトの視線がなければ、先ほどまでの意地も何もかも投げ捨てて駆け出していたかもしれない。
咄嗟に伏せた瞼の奥を見透かすように突き刺さる視線に唇を引き結んだオレは、手元にあるメニューを差し出すとその視線から逃れるように身体をレジに向けた。

「…いつもの、ひとつ」

「はい、ホットサンドセットですね。460円になります」

震えそうになる語尾を紛らわせるために声を張り上げる。
上げられずにいる視線の端に現れた白い手が、500円を置いたタイミングを見計らって手を伸ばした。
引いたと思っていた手に自分の手首を掴まれて喉の奥で悲鳴になり切れなかった声が零れた。

「っ、ひ…ぁ!」

「話がしたい。バイトが終わるまで待つ」

突然の行動に慌てたオレは掴まれた手を振り払おうと力を込めて手を引いた。けれどオレの腕を掴んだ手は至極あっさり解けて力いっぱい引いた反動で足元がよろける。
後ろに転びそうになりながらもどうにか体勢を立て直すとリボーン君はそんなオレをからかうでもなくじっと見詰めていた。
自分だけ意識しているのだと言われているようで羞恥で頭が爆発しそうになって、それを隠すように声を上げる。

「わ、分かった!」

何とも思われてないことなんて知っていたのに。
逃げ出し掛けた足をどうにか戻してレジに500円を納めるとおつりを取り出してからレシートと一緒にリボーン君の手に押し付けた。

「40円のおつりです。もう少しお待ち下さいっ!」

投げるようにおつりを渡すと、この会話をもう一人のバイトに聞かれていなかったかと慌てて後ろに首を向けた。丁度ホットサンドの用意をしているところで人影すらない。それにほっと安堵の息をついた。
そこへ丁度いいタイミングでオレとリボーン君のピリピリした雰囲気に気付くことなく、ホットサンドを作っていたバイトがコーヒーと一緒にトレイごとカウンターに置いていく。
手元のそれをぐいとリボーン君に押し付けてごゆっくりと頭を下げると、長いため息を残してリボーン君の気配は遠ざかっていった。
やっと視線の呪縛から逃れたオレは、カウンターに額を押し付けて顔を突っ伏せた。

「どうしたの?っていうか、やっぱり突然だと疲れるよねぇ?」

「あー…はい、」

どうやら誤解されているらしいが、リボーン君とのことを知られるよりずっとマシだから適当に相槌を打つ。
すると少し考えるように時計に目をやったバイトの女性は、顔をオレに戻すとドライブスルーにもお客さまが居ないことを確認してから口を開いた。

「もう少しで交代の時間だから、沢田さん先にあがっていいわよ」

「え、いや…でも!」

「いいって!ランチ前には交代が来るし、私明日休みなの」

顔色悪いわよ、と指摘されて驚いた。

「沢田さん今晩も夜勤でしょ?寝ないとまた倒れちゃうわよ」

くすくすと笑う声に被るように交代のバイトの女の子の挨拶が聞こえてきて焦る。
先日の途中でバイトを代わってもらったことを言われているのだと気付いて顔を歪めていると、バイト仲間の女性は目を輝かせて顔を覗き込んできた。

「知ってる?沢田さんが倒れて一番心配してたのは店長だったのよ」

「それは……オレのせいでバイトに穴が開きかけたし、」

悪いことをしたと肩を窄めていれば、オレより少しだけ年嵩の女性は含みのある表情でオレの顔の前でチッチと人差し指を振った。

「やだ、分かってないの?」

オレの知らない何かに気付いている様子に首を傾げて曖昧な表情を浮かべる。そんなオレを見ていた彼女は何かを押し隠すように手で自らの顔を隠すと、オレの後ろから現れたバイトに気付いて声を張り上げた。

「おはようございます」

「おはようございます!何々、どうかしたの?!」

「聞いて、聞いて!それがねぇ!」

交代のバイトはいつもこの時間を担当している小学生の子どもがいる女性だった。どうやら女性同士ということで話が盛り上がっている彼女らは気が合うらしい。これなら先にオレがあがっても大丈夫だろう。
何やらオレをさかなに話が弾んでいる2人に頭を下げてバイトを上がろうとレジの前から退くと、奥の方から視線を感じて顔を上げた。
ずっとオレを見ていたのか日本人より黒い瞳とかち合って、心臓が飛び出そうになる。
帰るということは彼と話をしなければならないということだ。何を言われるのかなんて想像に難くないから胸の鼓動はいやでも跳ね上がっていく。
ドクンドクンと脈打つ心臓が痛くて、息を吐き出すたびに胸の奥がチクチクした。
頭を押さえ付けられているように項垂れながら着替えを済ませるために逃げるように奥の扉へと足を踏み入れると、誰に見られる訳でもないとユニホームを脱いでTシャツ一枚になる。
今日はバイトのつもりじゃなかったせいで薄いTシャツにシャツをはおってきていた。その薄手のTシャツは柔らかい生地のために汗で肌に張り付いて気持ちが悪い。
襟元に指を引っ掛けてシャツの中に風を送り込んでいたオレは、ふと思いついた。
このまま裏口から逃げてしまおうか。
話があると言われて頷いてはみたものの、今は彼の顔を直視する勇気もない。酷いヤツだと、犯罪じゃないかと詰れればいいのにそれさえもできそうになかった。
これ以上リボーン君に嘲笑われるのは堪えられそうにない。弱虫だと罵られても向き合えない自分を知っていた。
財布はズボンのポケットに入ったままだ。ユニホームは洗い替えもあるし、持って帰っても大丈夫。
そう判断すると一瞬の迷いを振り切るように脇目も振らず裏口へと向かった。
更衣室と裏口を繋ぐ廊下は暗くて狭い。目を凝らしながら扉の前に立つとドアノブに手を掛けた。
裏口から出ればお客さんの居るフロアの近くを通らずにこっそり抜け出ることが出来る小道がある。少し遠回りだがバレることもないだろう。
約束をすっぽかすことに罪悪感はない訳でもなかったが、もう少しだけ猶予が欲しかった。
思いあがった自分を諫めて、諦めるから。
押し開いた扉の外を伺って誰も居ないことを確かめてから飛び出す。時間が経てばオレが逃げ出したこともバレると早足で小道に駆け出した。
そうして、その日はどうにかリボーン君に捕まることなく自宅へと戻ることに成功した。







シフトを変更して欲しいとメールが来たのは、家に帰って間もなくのことだった。
余程ひどい顔をしていたのか帰ってきたオレの顔を見るなり母親は慌てた様子で食事の支度をすると、すぐに寝なさいとオレを部屋に押し込めた。
例え母親であってもしゃべる気力もなかったから、願ったり叶ったりだとこうして早々に床についた。けれどまだ昼間だからすぐに寝られる筈もない。
オレがバイト先から逃げたことに気付いたリボーン君からのメールも来たがそちらは覗く気も起らなくて、さりとて電源を切ることも出来ずに迷うように携帯に視線を落としていればこれだ。
本来ならば日付が変わる時刻に出社予定だったものを、深夜の2時から8時までの勤務にしてくれとのバイト先からのメールに了解の返信を送る。
今日突発でバイトに入ったからだろうがシフトが変わることはありがたい。
これで明日もリボーン君と会わずに済むとほっとしながらも、一度逃げてしまえばもう二度と向き合う勇気が出ないかもしれないと自覚する。
諦めるなんて思ってはみたものの、元々釣り合う相手じゃないと知っていたから諦めるもなにもないし、そもそもそれは自分の問題だ。
ただどうしてあんなことをしたのか、これからどうするつもりなのかは気になる。
金銭絡みではないと思うものの、それならそれでいっそ軽蔑できるのにとさえ考えて頭を振った。

「ホント、オレってダメな大人だな…」

自分を守るために年下のリボーン君にすべてを押し付ける気でいる。
確かにオレのパソコンからデータを盗んだ行為は褒められたものじゃないし、その後もそれを盾に脅されたりもしたが、嫌だと言わなかったオレもオレだ。
自ら動くことで拓けた視界の中で分かったことは、自分の意思は伝えなければ誰も理解してくれないということ。
当たり前だけど、その当たり前から逃げてきたオレは今更それを再確認するようになった。
怖がってばかりじゃなくて、何をしたいのかどうすればいいのかを相手に訊ねてみなければ何も始まらない。
だけど怖いものは怖い。
初めて知ったこの気持ちを嗤われて拒絶されることに怯えている。
話をしたいと言われたのだからオレの気持ちを無視している訳じゃないと思う。口は悪いし何様な性格だけど、人に知られることなく気をまわしてくれたりすることもあった。
死ぬほど嫌なヤツだなんて思えない。
でも今はダメだ。
とにかく寝てしまおうと布団を頭まで被るも、閉じた瞼の先に浮かぶのはリボーン君の顔だけで寝れたもんじゃない。
きちんとひいた筈の遮光カーテンの隙間から零れる日の光に、瞑っていた目を開けてぼんやりと見詰めた。
そんなオレを見計らったようにまたも携帯がメールの着信を知らせる。バイト先からの返信だろうかと顔を上げて枕元にあるそれに手を伸ばす。
何気なく手にして誰からだろうと確認するも、見たこともないアドレスにまた迷惑メールかとため息を吐く。
削除しようとして目に飛び込んできた件名に指が止まる。

「なん、で…?」

添付ファイルのついたメールに汗が噴き出てきた。
こんな件名を送って寄越すのはリボーン君なのだろうか。あれを知っているのは彼しかいないのだから当たり前だという気持ちと、まさかこの後に及んでここまでするのかという思いに振り回された。
違うと思う端からやっぱりという諦めにも似た痛みが胸を突き刺す。
思うように動かない指がどうにかボタンに伸びる。

『※要確認 添付ファイルに自慰の写真つき』

と書かれたメールの本文が現れた。


2012.05.07







人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -