9.送り届けられたのは1日ぶりの自宅だった。 熱があるのかどうにもうまく身体が動かないオレを、リボーン君は無言のままバイクから下ろすと腕を掴まれて我が家の玄関先へと辿り着く。 すると、そこには心配そうに玄関の隙間から顔を覗かせている母親の姿があった。 「かあさん…?」 夜中の2時をとっくに回っているのだ。普段なら夜更かしをしない母親が、何故こんな時間に起きているのか分からない。 思わず声を上げると、オレとよく似た母親は慌てた様子で玄関から飛び出してきた。 「ツッ君!あなた大丈夫なの?少し前にリボーン君からツッ君が体調を崩して熱があるって電話を頂いて…本当ね、夜目にも分かるわ。顔が真っ赤でふらふらしてるもの。もう、いくらリボーン君がしっかりしてるからってあなたがハメを外して迷惑を掛けたらダメじゃない」 母親にまで電話をしていたことに驚いてリボーン君の顔を振り返れば、神妙な顔で頭を下げる姿が見えた。 「すみませんでした。オレがついていながらツナにムリをさせて」 どこまで母親に話したのかとぎょっとしていると、オレのすぐ横で母親は慌てた様子でリボーン君に手を伸ばした。 「いいえ!そんなことないのよ。こちらこそ、リボーン君が気付いてこうして連れてきてくれて助かったわ。本当にありがとう」 まったく、ツナの方が年上なのに!と軽口を叩かれて、何も知られていないことに安堵する。 ほっと息を吐きながら、けれどこれはどういうつもりなのかとリボーン君の顔を覗き込んでいれば、オレの視線に気付いたリボーン君がオレの腕を引き寄せるとまたも身体を抱き上げた。 ふわりと足が宙に浮き、視界がぐらついて支えを求めて手を伸ばす。 「部屋まで連れていってやる」 どうにかしがみ付いたリボーン君の肩の上からそう声を掛けられて慌てて顔を上げる。すると母親は何の疑問も持たずに玄関の扉を全開にしてオレを抱えたリボーン君を招き入れた。 「ごめんなさいね、助かるわ。ツナったらもう立っていられないみたいで、リボーン君の顔を見るだけで精一杯だったのかしら。いやねぇ、小さい子どもみたい」 「だっ」 母親の口ぶりに頬が発熱以外の熱を発した。それではまるでオレがリボーン君にだっこをねだっていたみたいじゃないか。 誰が!と反論するつもりで口を開けば、それを鼻先でリボーン君に笑われて口を閉ざす。 事実、こうしてリボーン君に抱えられたまま部屋まで運ばれているだけに返す言葉も見当たらない。 赤くなった顔を見られまいと背けるように前に視線をやれば、少し前を歩く母親に聞こえないほどの顔を耳元に近付けて囁かれた。 「悪かった」 「…え?」 幻聴かと思うほど小さく響いた声に顔を上げれば、丁度そのタイミングで母親が2階のオレの部屋の扉を開けて振り返る。 「ありがとう。助かったわ」 「いいえ、オレのせいですから」 母親の前では殊更愁傷な態度のリボーン君がそう返事をして、オレをそっとベッドの上に下ろした。 奇しくも昨晩と同じシチュエーションだということに気付いて身体が強張り、今は違うと分かっているのに震えが止まらない。 それに気付いた母親がオレに近付こうとすると、それを遮るようにリボーン君がベッドの上から立ち上がった。 「熱が高いせいかもしれないので、着替えさせます。パジャマはありますか?」 「あ…そう、ね。下に替えのパジャマが洗ってあるから持ってくるわ。ついでに身体も拭いた方がいいかしら?」 「熱があるなら今は控えた方がいいんじゃ?」 「そうよね、当たり前だわ。いやだ、ツナが熱を出すなんて久しぶりだから動揺しちゃって…今、持ってくるからお願いね」 「はい」 まるで当たり前のように頷いたリボーン君に、母親はやっと安堵の表情を浮かべて小走りで部屋を出ていく。 それを見送りながら、ベッドの脇に立っているリボーン君に手を伸ばすと驚いたように肩を揺らした。それが自分のしでかしたことを悔いているようにも見えて、そんな訳ないと分かっているのにドキリと胸が高鳴る。 あれから、バイクに乗っていた間中考えた。どうして突然リボーン君があんな無体を働いたのかそれが知りたくて、だけど考えれば考えるほど自分の都合がいいことしか浮かばなかったから考えることを放棄したのだ。 訊ねる勇気もなくて、別のことを口に出す。 「ありがとう…助かったよ。母さんがいたんじゃ着替えできなかったし」 こんな鬱血だらけの身体を見られたら、さすがにリボーン君との仲を怪しむだろうことは分かっていたからそう告げれば、リボーン君は俯いたままでオレの着替えの入ったバッグを手に取ると中からパジャマ変わりになるスウェットを手渡してくれた。 深夜の染み渡るような静寂の中、電気も点けずに洋服を脱ぐ音だけが2人の間に横たわる。 ゴソゴソという衣擦れの音を立てながら、どうにか着替えを終えると、いつの間に座っていたのかリボーン君がベッドの横でこちらをジッと睨むように見詰めていた。 その視線に動けなくなる。 出ていった時のまま、グチャグチャのベッドの上にしゃがみ込んで見詰め返すとリボーン君は身を乗り出してきた。ベッドの上に片手をついて間合いを詰められる。 「ツナが、好きだ」 「え…っ」 聞き間違いだと思い、それにしてもなんてご都合主義の幻聴だと自分の厚かましさに恥じながら目を瞠る。そんなオレにリボーン君は苦笑いを浮かべてベッドから離れると背中を向けてベッドの端に腰掛けた。 そんなに小さいとも思わなかった自分のベッドが、リボーン君が座っただけで小さく感じた。 広い背中の向こうに見える足は、窮屈そうに組まれていて片付けていない部屋の汚さに気付く。 自分の部屋なのにリボーン君がいるだけで物語りの一節に紛れ込んでしまった気分でぼんやりとしていれば、その背中が肩を落としてポツポツと呟いた。 「そんな一言で済まないぐらい酷ぇことをした自覚はある。今更何言ってやがると思われても仕方ねぇ。だけど、いやだから、ツナに信用されてねぇと言われて頭に血がのぼった」 「ど…して?」 分からない。別にリボーン君に彼女がいるとかいないとか、オレがリボーン君の言った話を信用していなかったとしても不都合はない筈だ。 モテるのは本当だし、オレに誤解されて困ることなんてどこにあるというのか。 また熱が上がってきたのか、ガンガンと酷い頭痛がしてきた。身体のあちこちも痛くて座っていることすら苦痛になる。 だけど、今リボーン君の言葉を聞き取らなければ後悔するような気がして続きを待った。 大きな身体を少し縮めるように背中を丸めてため息を吐いている。それを見続けていると、背中が揺れてリボーン君の横顔がチラリと見えた。 「好きなヤツに信用されてねぇってのはキツいもんだぞ」 今度ははっきりと聞こえた。 聞こえたけれど、それが本当に現実なのか分からなくなる。 自分の吐き出した息が熱くて、しかも視界が歪んで暗くなっていく。 焦ったようなリボーン君の声が聞こえて、その年相応の狼狽えぶりにくすりと笑いのさざ波が起こったが、すぐに意識が混濁し答える間もなく深い底へと落ちていった。 「37.8℃!まだ少し熱があるわね。でも食欲は戻ったみたい。起き上がれるんなら身体拭いてあげる?」 体温計を覗き込んでいた母親に慌てて首を振った。 深夜にリボーン君に連れ帰られたその日の夕方。やっと深い眠りの底から目覚めてみれば、間近に人の気配を感じて瞼を開けた。 「っ!?」 母親だと思い何気なく顔を視線の方向へ向けると、想像もしなかった顔がそこにあって声も出せなくなった。 オレの意識が戻ったことを悟ると、切れ長の瞳がわすかに見開き、それからホッと息を吐いて手を伸ばしてくる。 「意識はあるか?突然倒れた時には心臓が止まるかと思ったぞ」 白く長い指がオレの汗で湿った髪を梳く。ただでさえあちこちに飛び跳ねている髪が、熱のせいで余計にぐしゃぐしゃになっているから簡単には梳くことができなくて少し痛い。 けれど本気で心配してくれたことが分かる表情を見付けてしまえば何も言えなくなる。 何とも言えない微妙な雰囲気の中、飛び飛びの記憶を辿っていくと思いがけない言葉を思い出して視線を彷徨わせた。 「…なんだ、思い出したのか?」 何で今日に限って優しいんだと心の中でなじるも、そんなことは言えないから首を振った。 「いっいや、なんか思い違いしてるみたいだから!」 寝惚けるにしてもはなはだ厚かましい妄想だ。 確かにオレが倒れた責任はリボーン君に襲われたせいだけど、だからといって付き添ってくれなくてもよかったのに。 一体何時間意識がなかったのかと慌てて掛け時計に視線をやれば、短い針が5時を指したところだった。 窓から入ってくる日の光は少しだけ傾いていて、一瞬朝なのかと思い掛けた。だが朝日にしては光が差し込んでくる方向が異なることに気付いて夕方の5時なのだと知る。 「学校は?」 そんなに寝ていたなんて思いもしなかった。驚いて起き上がろうと肘をついたが、それをリボーン君に阻まれてまたベッドの上に押し戻される。それに流されてしまうものかと顔だけは厳しくして下から睨みつけた。 「リボーン君!」 「休んだ。どうしてもツナの傍にいたかった」 悪びれなく答えた顔に次の言葉を失くす。 嬉しいと思った正直な自分に唇を噛んで視線を逸らすと、髪を梳いていた手が解けてシーツの上に落ちた。 2012.04.16 |