8.「沢田さん?」 後ろから獄寺くんに呼ばれて自分がぼんやりしていたことに気付いた。 寝不足のままバイトに入ったからだといい訳して、客足の途絶えた店内を見渡してから声のした方向に首を向けた。 「ごめん!ちょっとボーッとしちゃって…」 ゲームのやりすぎかなぁ、なんて頭を掻きながら言えば、獄寺くんは気遣わしげにオレの顔を覗きこみながら眉を顰めた。 「そうなんスか?なんか目が赤く腫れてるように見えますが」 「あー…これ?いや、それが今回のは泣きゲーでさ!」 オレの些細な違和感にも気付いた獄寺くんにギクリとしながら、顔色を変えないように注意してそう嘘を吐いた。 あれから、リボーン君の腕を抜け出せなかったオレは言葉と指に嬲られ後ろだけで幾度もイかされ続けた。 そんな場所がイイなんて自分が気持ち悪くて堪らない。自分はゲイになってしまったのだろうかと思いもしたがそれを確かめる術もなくて、また確かめたくもないから獄寺くんや男性客の顔をまともに見れないでいる。 もし本当にオレがゲイになってしまったのだとしたら、リボーン君の言う通り男なら誰でもよくなってしまうのだろうか。 そんな筈はないと否定するも、違うと言い切ってしまえばまた別の問題が頭をもたげてくる。 リボーン君だけに反応するのだとしたら、それはまた違う意味を持つ。 ひとつの仮定が脳裏を過ぎり、それを打ち消したくて頭を振った。 脅されて関係を強要されているというのに、それじゃあまるでオレがバカみたいだ。身体中に刻印のように散らばる赤い痕は、リボーン君のものであるという証のようなもので、それは脅されている事実を如実に表している印だというのに。 これといった個性のないファーストフードの半袖の制服からギリギリ隠れる位置にあるそれを視界に入れただけで、下肢に熱が溜まりそうになって慌てた。 「どうして、オレ…」 自分で自分が分からない。 リボーン君の唇が辿った柔らかい感触を思い出して身震いする。手で自分の身体を抱きしめていると、後ろから獄寺くんがオレの肩に手を伸ばして引き寄せられた。 「大丈夫っスか?寒いならオレ、こうしていますよ」 「え…、いや、違っ」 突然の抱擁に驚きしかない。客のいない店内はガランとしていて、聞こえる音はフライヤーや冷蔵庫を動かすモーターの音だけだ。 獄寺くんの腕の中にすっぽりと収まってしまったオレは、今どきの高校生ってデカイなぁとか、スキンシップが激し過ぎないかと意外と他人事のように冷静でいられる自分に気付いた。 それでも他人にここまでくっ付かれることは得意ではないから、獄寺くんの胸に手を押し当てて距離を取ろうとすれば、意地になったように腕の力を強められ逃げだせなくなる。 「ごっ獄寺くん?」 「…オレじゃダメですか?やっぱりリボーンさんがいいっスか?」 「なに言って、」 何でここでリボーン君の名前が出るのかと焦るオレに、獄寺くんは泣きそうにくしゃりと歪めた顔をオレの髪に埋めた。 声が間近で聞こえる。 「知ってます。沢田さんがリボーンさんと付き合っていることぐらい。毎週、毎週休みのたびにリボーンさんの家に泊まりにいっていることも、知ってます」 「なっ、」 リボーン君とのことは理由が理由なだけに秘密にしておきたかったから誰にも打ち明けていない。それらしい素振りもみせていなかった筈だと顔を強張らせていれば、肩を抱く腕が囲いを狭めていく。 「すみません…っ、オレ、あなたが気になって……先週の火曜につけさせて貰いました」 「…え?」 火曜と言われて思い出したのは駅前で待ち合わせをしてから一緒に買い物にいったことだ。 先週は昼から夕方にかけての勤務時間だったから、リボーン君の学校が終わる時間に合わせて人通りの少ない南口で待ち合わせをした。それから付き合えと言われて買い物に付き合った記憶がある。 結局オレのコップやら茶碗やらを揃えたリボーン君は、満足顔でオレの手を握ったまま家路についたことも思い出した。 あれを見られていたのかと思えば顔から火が出る。 「違っ、ひぇぇえ!」 あれはリボーン君の気まぐれだからと言い募ったオレの顔を見詰めていた獄寺くんの、背後から客らしき影がドアの向こうに見えて声を上げる。 こんな姿を見られたら店の迷惑にもなるし獄寺くんも誤解されかねない。慌てて手で肩を突っ撥ねると、獄寺くんの腕からどうにか抜け出してカウンターにしがみ付いて顔を上げた。 「いらっしゃいま…」 掛け声が、止まる。 背後に獄寺くんの恨めし気な視線を張り付けながらも、どうにかいつもの営業スマイルを浮かべたオレの視界に入り込んできたのは今まで話題にのぼっていたリボーン君で。 自分でも分かるぐらい凍りついた表情を動かすことも出来ずにいれば、それを気にした様子もなくこちらに近付いてきた。 普段よりも随分早い時間の来店に掛ける声もうまく出せない。バイトだと言って無理やりリボーン君の腕から抜け出してきてから2時間と経ってはいなかった。 なのにあの時間がまるで嘘だったみたいに、今は身体の芯が冷えてリボーン君の体温も思い出せない。 凌辱された訳じゃない。だけど合意でもなかった。 思い出した行為に唇を噛んで俯くと、そんなオレに視線をくれたまま、カウンターの向こうに立ったリボーン君はいつもの調子で口を開いた。 「沢田綱吉をひとつ、テイクアウトで」 「は…?」 何を言われたのか分からなくて顔を上げる。ぼんやりと視線を合わせれば、リボーン君の後ろから慌てた様子の紫色の髪の男の子が店内に飛び込んできた。 「今何時だと思ってるんだ!いつもいつも気軽に呼び付けやがって…先輩はオレをなんだと」 「パシリ」 年の頃はリボーン君と同じか少し下かといった男の子を振り向くこともせずに一言で黙らせる。 「てめぇはここでバイトしたことがあったんだってな」 「…そうだが」 嫌そうに顔を歪めている男の子は、何を言われるのか知った様子で逃げ出そうとして退路を探すべく視線を彷徨わせた。 「なら話は早い。こいつの調子が悪いから連れて帰る。代わりにてめぇがバイトに入れ」 「んなぁ!何ムチャクチャ言ってんだ!」 思いもかけない言葉に驚いたのはオレも一緒だ。 どうしてオレの仕事を勝手に休ませようとしてるんだと割って入ろうとすれば、それを遮るように後ろから声が掛った。 「分かりました。そいつと組んで朝までいかせて貰います。ですが、沢田さんを…これ以上泣かせるのはやめて下さい」 獄寺くんの真剣な声に言葉を失っていると、リボーン君は目を眇めて獄寺くんを睨みつけた。 「てめぇに言われる筋合いはねぇな」 「それでも、オレが沢田さんを好きでいるのはオレの勝手です」 その言葉に驚いて目を瞠ると、リボーン君は鋭い舌打ちをしてオレに手を伸ばしてきた。 腕を掴まれて、解けばいいのに痺れたように身体は動かない。 寝かせて貰えずに達きっぱなしだったからだと言い訳をしていれば、その腕を引かれてカウンターの外へと連れだされた。 「ちょ、なに勝手に…」 「ゴタゴタ言わずに黙ってついてこい」 オレの話も聞かずに出入り口へと向かう背中は、憤りを滲ませていて怖くなった。これ以上抵抗したら嫌われてしまうかもしれないと思うと腕も振り切れない。 どうしてこんなに臆病になったのか。 「…ひどいよ」 「ああ、知ってるぞ」 ポツリと漏らした言葉に返された台詞は噛み合っていない。 強引に腕を引かれ、そのまま店の外へと連れ出されたオレは、見覚えのあるリボーン君のバイクに乗せられて深夜の街を駆け抜けていく。 しがみ付いた先にある背中の頼り甲斐のある広さに、ヘルメット越しに額を押し付けた。 どっちが先だったのかな、と考えてみた。 だけどどっちが先でも今の気持ちは変わらない。 目を瞑り、腕をリボーン君の腰に巻き付けてため息を吐いた。 自覚しなければよかった。 いつの間にか身体の関係以上を望んでいたなんて。 2012.04.11 |