前そーっと、そーっと足音を忍ばせていつもの指定席で眠る師へと近付いていく。規則正しい寝息に全神経を向けながら、足元に目を配ってまた一歩近付いた。 ドキドキと忙しなく鼓動を刻む心臓が我ながら情けないが、それも道理というものだ。 何せ相手はあのリボーンである。 紆余曲折の末に元の姿へと戻った先生は、オレをマフィアのボスに座らせた後にまたフリーのヒットマンに戻ってしまった。 リボーンがボンゴレの執務室に顔を見せる機会も随分減って、こうして会えたのはかれこれ半年振りだ。 だというのに、何故リボーンの寝息を確かめてからまるで泥棒のように忍び足で近寄るのかといえば、それには理由がある。 大変くだらないが、非常に気になる事柄が。 執務室に顔を出したリボーンは、しばらくソファーを借りるぞと言うと日当たりのいいソファーのひじ掛けに頭を乗せて、帽子を顔に被せると嫌味なほど長い足をさも煩そうに組んでいつものように寝息を立てはじめた。 リボーン曰く、ボンゴレというよりオレの傍が一番気楽だと。 それほどまでに信頼されているのかと面映ゆく思っていればあっさり得意の読心術でオレの心中を読まれた上に否定されたことを思い出した。 「ハンッ!そんな訳ねぇだろ。お前にオレを怒らせる勇気も度胸もねぇからだ。オレの眠りを妨げるとどうなるか知ってるよな?」 否定出来ないほど、リボーンという存在をよく知っている自分がいっそ哀れだ。 しかしそこで引く気は今回は、ない。ないのである。 寝不足のヤケクソともいう。 ことの始まりは昨晩の獄寺くんとの会話からだった。 そろそろキリにしましょうと声を掛けられて手元の時計を見れば日付が変わる寸前という時間帯で、それでもまだ山のようにそびえるオレの決済を待つ書類を視界にいれてはぁ…とため息が零れた。 「今晩中にすべてはムリです。明日、リボーンさんが来られる前に頑張られてはいかがですか?」 そう言いながらもオレを宥める獄寺くんの眼差しには憐れみと自責の念が入り混じったもので、それを目にしてしまえば手を振ってヘラリと笑うしかない。 「平気だよ!仕方ないもんな、今回ばかりは。獄寺くんが帰ってきてくれたお陰でこれでも随分早く処理できたし!」 理由はともあれそれは本当だ。だけど獄寺くんはオレの言葉に納得せずに床に手をついて土下座を始めた。 「くっ…!すみません、10代目!オレが3日もお休みを頂いたばかりにリボーンさんの抜き打ちに間に合いませんで…!不肖、獄寺隼人。10代目の右腕でありながら、どうしても自分の目でダイナマイトを確かめたくなったせいで…」 「イヤイヤイヤ!!本当に獄寺くんのせいじゃないからっ!オレが悪いんだって!君がいないと書類を溜める癖がついちゃって、自業自得なんだよ!」 どうして焦っているのかといえばリボーンが明日、訪れると連絡が入ったからだ。そんな連絡があった日にオレが仕事を終えていなければ、どんなメに遭うのかなんて…押して知るべしだろう。 今までは死ぬ気で終わらせていたのだが、如何せん今回の書類の量は半端無い代物だったのだ。 嫌がらせなのかと問いたいほどヴァリアーからの始末書と被害届が獄寺くんが休みの初日に届き、翌日には骸からの報告書兼始末書が。そして昨日はといえば、今度は了平さんと雲雀さんからの書類が届いた。どんな書類だったのか言わずもがなだ。 そんな訳でヴァリアーの始末書を片付けるだけで一昨日が終わり、そのまま休暇を終えた獄寺くんと一緒に昨日を跨いで今日となった。しかももう少しで明日である。 お互いの目の下のクマが痛々しい。 食事をする間も惜しんでここまで頑張ったが、どう計算しても終わらせることが出来ないと踏んだ獄寺くんの言葉が先ほどのそれだったという訳だ。 「もう腹を括るよ…そうだ、獄寺くんも一緒に風呂入ろうよ!檜の風呂を入れたんだ。温まって疲れが吹き飛ぶって!」 ね?と顔を覗き込めば、何故かふぐぅ!と鼻を押さえて蹲る。過労で倒れてしまったかと焦って席を立つと綺麗に敷き詰められている絨毯の上に赤い液体がボタボタと零れていた。 「…大丈夫?」 「す、すみません!何でもないです!寝不足でのぼせたようなのでご遠慮します」 「いやいいけど…寝不足でのぼせるのかな」 普通の人ならあり得ないが獄寺くんならありなのかと、それでも首を傾げながらポケットにしまいっぱなしだったハンカチを差し出しした。 「ありがとうございます!一生大事にしますっ!」 「え…洗って返してくれればいいんだけど」 「嫌です!じゃねぇ…とんでもないっス!新しいハンカチをお返しします。あ、そういえばダイナマイトの調達の際にいい下着を手に入れたので是非そちらも受け取って下さい!」 何でダイナマイトを見てきて下着までとは思えど、別に受け取らない理由もなかったオレはありがとうと素直に頭を下げた。 「シルクのトランクスなんです。このランクのシルクはとても貴重で、ほんの一握りの方しかお目にかかれない物なんです」 「そんなのを下着にするなんて贅沢、誰が考えたんだろうね?」 「リボーンさんですよ。何でもリボーンさんはそのシルクで下着をオーダーメイドしているんだとか」 「へぇ…リボーンがねぇ」 あのリボーンなら何を言い出しても有りかなと思わず頷いていれば、獄寺くんがこっそりと耳に顔を近づけてきた。 「でもリボーンさんの下着、今は何なんでしょうね」 などと聞かれてピタリと息が止まる。 そういえばそうだ。 オレが中学生の頃はまだ赤ん坊だったリボーンは、自分でトイレに行く癖に何故かオムツ姿だった。 そこから呪いが解けたリボーンとは風呂を一緒に入ることもなくなって、そして今に至る。 シルクの下着を身に着けているというリボーンは有りだと思うが、その種類はといえば想像もつかない。 寝不足と過度の緊張感とに支配されていたオレと獄寺くんは顔を見合わせて頷き合った。 それを人は錯乱と呼ぶのかもしれない。 そうしていつの間にかリボーンの下着を調べるという使命を帯びたオレは、こうしてリボーンを起こさないようにと近付いているのである。 規則正しい寝息を確認してから帽子の隙間から隠れている顔を覗き込んだ。大丈夫、まだ寝ている。 長い睫毛に縁取られた瞼がしっかりと閉じられていることを確認してからジャケットに手を掛けようとしてその手を止めた。 リボーンが起きてしまった場合に備え、全力で逃げ出せるようにと嵌めてきたVGはまだグローブ状態にはなっていない。つまりは指輪と指輪を繋ぐ鎖が邪魔で下手に触るとジャラリと音を立ててしまいそうなのだ。 しばしの逡巡の後、本当にしぶしぶVGを指から外してスラックスのポケットに入れた。そういえばポケットにまつわるリボーンのこだわりがあったなと思い出しながら、もう一度寝顔を覗いてジャケットに手を伸ばした。 ぷちっ、と思いの外大きな音が出たボタンに全身から汗が噴き出る。それでもリボーンの寝息は止まらなかったことにホッとして、ジャケットの下から現れたベルトへと指をかけた。 今度は音を立てないようにと細心の注意を払ってバックルからベルトを外していく。どうにか寛げたベルトからその下のスラックスへと手を伸ばしたオレは、ハタと我に返ると自分のしていることの滑稽さに気付いてしまった。 よくよく考えれば相手はあのリボーンである。お前下着は何付けてるんだよと訊ねればノリノリで見せてくれたに違いない。何もこんな寝込みを襲うような危険な真似をしなくともよかったのではないかと。 だがそれも今更だった。 手元のベルトは外されていて、スラックスもあとはジッパーを下げるだけとなっている。こんな状態でお前の下着に興味があって…なんて言ったら変態以外の何者でもない。 選択肢を誤り、退路を絶たれたオレに残された道はひとつ。 「さっさと見て戻そう!」 これに尽きる。 そもそもオレには男色の気はない。誤解されたら堪らないというより、わざと曲解して広められたらオレの人生は終わりだ。 リボーンとは往々にしてそういう人物だった。 嫌というほど叩き込まれていた癖に、すぐに忘れてしまう記憶力の悪い頭を叱責しながら焦る気持ちのまま少し乱暴にジッパーを下ろした。 Yシャツから透ける色は黒かと思いきや以外や白で思わず手が止まる。まさか白ブリーフなんてことはないよなと思いながらも、これでビキニだったらどうしようかと考えるとそれ以上手が動かない。 だがモタモタしていれば目を覚ますかもしれない。 いくら確かめるためとはいえ男の下着を見るのは嫌だなとしぶる手を無理矢理動かすとシャツの裾を捲り上げて無言になった。 「…?」 シルクというには艶もなく、そして厚手のもっさりした生地に見える。記憶のどこかに引っ掛かるそれにもっとよく見て確かめようと顔を近づけると、突然後頭部を後ろから掴まれてぐいとリボーンの股間に押し付けられそうになった。 「ひぃぃい…!」 「そんなに見たいんならよく見て確かめてみろ」 眼前に迫った布地越しの股間の向こうから聞こえる声に情け無い声が漏れた。 「どうした?触ってもいいんだぞ?」 「冗談じゃない!そんなモン触りたくもな…嘘です、ごめんなさいっ!こんな大層なモノ触るなんて出来ません!」 オレの拒絶に気分を害したリボーンは後頭部を自分の股間に押し付ける勢いで力を入れてきた。 すぐさま降参してへりくだれば、手は頭を掴んだままで少しだけ力を緩めてくれた。と、いうか起きていたのか。 「当たり前だぞ。このオレが他人に遅れをとると本気で思ってんのか?しかもダメツナ相手にだぞ?」 「悪かったな!もうダメツナなんて言うのはお前ぐらいしかいないんだよ!」 ボスになってしばらく経つが中学時代と比べれば随分と心身ともに成長したのだ。雲雀さんの小動物呼ばわり以外は、オレを舐めてかかる相手なんていなくなったというのにリボーンにかかればこれである。 複雑な心境で口をへの字に曲げていれば、オイとまた声がかかった。 「ここまで脱がしたんだ、確認しなくていいのか?」 そう訊ねられてハタとこの状況を思い出す。どうしてこんなことになったのかといえば、ひとえに真夜中のテンションというヤツに他ならないが元に戻ったリボーンが何を身につけているのか気にならないといえば嘘だ。 ゴクンと唾を飲み込んでから嫌がる手を伸ばしてチラリとリボーンを窺う。オレのすることを楽しんでいるように口許を緩めるリボーンの意図が分からない。 まあ碌なことではないだろう。それだけは分かる。 ままよ!と伸ばした手がリボーンのシャツの裾を掴んで、それを引っ張り上げれば見覚えのあるそれを久方ぶりに視界に入れた。 「…すっごい見覚えあるけど違うよな?」 当たり前だという返事を期待してそう言えば、さも心外だといわんばかりにリボーンが片方の眉を跳ね上げた。 「てめぇの目は節穴か?決まってるだろう、オムツに」 「オムツなのかよ!?」 やっぱりかと顔を引き攣らせながらそこから飛び退くと、クツクツと低い声が執務室に響く。その笑い声に自分の心を読まれていたことを悟る。 「どこまで知ってた?」 「知ってたのは獄寺が下着を誂えていったところまでだぞ。そこからは読んだ訳じゃなく、てめぇの怪しい言動で予測したんだぞ」 隠し事の出来ない自分に泣きたくなる。溜め込んでいた書類が見つかったバツの悪さでリボーンを観察できなかったことが悔やまれた。 しかしだとすれば、これはオレを驚かせるためのものだということになる。ならば普段履いている下着の種類はなんだろう。 気付いた途端にまたチラリとリボーンに視線をやると、オレの頭から手を外してそのまま両手を組んでソファの肘掛と頭の間に滑り込ませた。 「気になるか?」 「って、ことはこれの中に履いてるってことかよ」 無言で笑う顔に肯定されてまたソコに視線が戻った。よくもまぁリボーンサイズのオムツがあったものだ。 ひょっとしてわざわざ作らせたのかと思ったが、それは突いてはいけない薮だと振り切ってからまたリボーンの顔を見る。 「ツナがどうしても見たいっつーなら見せてやっても構わねぇぞ」 「…」 譲歩しているようにも見える会話だが、あのリボーンが無条件でとは到底思えない。どんなことを言われるのかと固唾を呑んで耳をそばだてていれば、帽子をひょいと投げ飛ばした手がオレの手を握った。 「一度でもツナがこのオムツから手を離したらそこで立場が逆になる。分かるか?」 「はぁ?」 意味が分からない。立場というならば、オレはリボーンの下着に手をかけようとしている訳でそれの逆というのはなんだ。 分かったのはこのオムツの中身は相当すごいらしいということだ。見たら驚いて手を離してしまうぐらいには。 俄然やる気が出てきて、よく確かめもせずにいいよと頷いた。 そんなオレを見て、リボーンが笑みを深くしたことに気付いてもいなかった。 . |