4.足早に向かう先は、いつもの喫茶店。 淡い笑みを浮かべる彼に誰もが癒される。 最初に出会ったのも、その小さな喫茶店だった。 イタリアで知り合った日本の起業家に、是非にと乞われて来日した。 山岳を主体とした風景を撮るリボーンは、まだ23という若さながら、イタリア本国でも高い評価を受けていて、日本にもそのファンは多かったのだ。 個展を開くことになり、イタリア語しか話せないリボーンは、通訳を必要としていた。 それが間違いで、リボーンに逆上せた通訳の女性が職権乱用をして寝床に転がり込んで来たときには、日本には大和撫子などという人種は絶滅したのだと気付かされた。 少し手荒に追い返し、しかし通訳なしでは会話が成り立たないということに苛立っていたのだ。 近くにあった喫茶店とやらに連れて行かれたのは、たまたまだ。 日本のバールかと、やっとまともなエスプレッソが飲める嬉しさに少し気持ちが落ち着いていた。 レンガ作りの木の看板が年代物で、さてどんなエスプレッソを飲ましてくれるのかと、半ば興味津々で入店したことを覚えている。 カランというベルの音と、日本語での挨拶らしき言葉にふと、視線をやると10代半ばから20まではいっていないだろう青年が、ふんわりと笑っていた。 それが出会い。 朝日を浴びて、きらきらと輝く髪にも負けないその眩しい笑顔に目を奪われた。 綺麗だ…と、男相手に思ったのは初めてだった。 その青年がイタリア語を話し始めたのは、驚きだった。 流暢な言葉使いに、優しい笑みを乗せて言葉の壁を取り払ってくれた。 通訳を強引に押し付けられていた際に、握り込まれた手。その手を見てムカムカした。 思わず奪い返し、握り締めると小さい柔らかい手に動悸が激しくなった。 それが恋だと気付いたのは、その喫茶店を出てから。 翌日には、その青年の虜になっていた。 もう9時を周っていた。 慌ててサロンから飛び出して来たが、ツナは居るだろうか。 昼間のあの青年、名を雲雀とか言ったか。 あいつと居るツナは苦しそうで、悲しそうだ。けれども、愛おしそうでもあった。 それが余計に腹の奥にあるマグマのようなものをグツグツと煮え滾らせる。 一歩一歩近付いてきた距離を、一足飛びに追い抜かれたようで悔しかった。 リボーンを見るツナは、愛おしそうだが一歩引いている。その引いている一歩の訳が雲雀ではないのか。 角を曲がれば、ツナのいる喫茶店が見えた。 灯りが付いていない。 連れて帰られたのかと焦っていると、店内から物音がした。 鍵が掛けられているかと思ったが、躊躇なく手をかけた。 乱暴にドアを開けると、カランカランと忙しなくベルが鳴る。 暗闇を見回せば、カウンターを背に伸し掛かられているツナと、覆いかぶさっている雲雀が見えた。 雲雀の肩を掴むと、ツナの上から退かせる。 カウンターから離れたツナは、リボーンの背中に顔を埋めるとしっかりとシャツの裾を掴む。 ギャルソン姿から私服に着替えているところを見ると、閉店して間もないのだろう。どうにか間に合ったようだ。 「ツナ、帰るぞ。」 「うん。」 震える手を握りしめて、その薄い肩を抱くとびくりと震えた。 暗くて見え難いが、泣いているのか。 「綱吉。」 「…ごめんなさい。オレ…」 「僕は帰ってきた。彼は帰るんじゃないの?」 「雲雀さん…」 「待ってる。」 雲雀は言うだけ言うと、踵を返して出て行った。 残されたツナは嗚咽も漏らさず泣いていた。はらはらと。はらはらと。 そのまま帰すことが出来ず、リボーンは借りているマンションまでツナを連れてきた。 夜道を歩くツナは、その間中ぼんやりとしていて儚い様が日本の御伽噺のかぐや姫を思い起こさせた。 月に帰ってしまいそうで、握った手をもっと強く握り締める。 マンションに着くと、ソファに座らせ暖めたミルクを持たせた。 それを特に飲むわけではなく、手に抱えたままその手元をじっと見ている。 「ツナ…。」 声を掛けると、くすり…とツナが笑った。場違いな笑みに鼓動が跳ねる。 嫌な感じだ。 「雲雀さんの言う通りなんだよね。」 「何がだ。」 「うん。いくら好きでもリボーンは帰っちゃう人なんだってこと。」 手にしたマグカップをぎゅっと握る。強く握る指が白い。 けれども、そんな手とは反対にいつもの穏やかな声で言葉を紡いでいく。 「オレは置いていく気はないぞ。」 「…付いていく気はないんだ。」 ふっ、と。あの寂しげな笑顔を浮かべる。 「店もあるし、付いていって迷惑も掛けたくない。…でも、雲雀さんの時と同じなんだ。待っていたくない…ごめんな。」 待っていられる程、強くないんだ。と、笑うツナは、けれども泣いてはいなかった。 「雲雀のことが今でも好きなのか?」 「うんん。それは4年前に終わってる。付いて行かなかったんだ。待ってないよって、終わりだよって言ってある。」 ツナはそう言うが、雲雀は終わったとは思っていないのだろう。 態度にありありと出ている。 けれど、この腹に溜る嫉妬より、泣かないツナの気持ちが痛かった。 そっと顔を近付けると、逃げずに瞼を閉じる。 「好きだ…。」 「オレもだよ。」 笑っているのに泣いているように見えるツナに、そっと口付けた。 はじめてのキスはほろ苦い味がした。 . |