9.「どうだった?」 聞くまでもないことをわざわざ言葉にして訊ねるリボーンに、答えられる訳もなく顔を背けた。 どういう返事を待っているのか、どれが正解なのかもう分からない。 ふざけるなと怒ることが正しいのか、よかったと正直に答えて愛人にでもして貰えばいいのかそれとも他に答えがあるというのか。 一つでも訊ねたら全てがバレてしまいそうで、口を動かすことも出来ずに黙り込んだ。 そんなオレを眺めていたリボーンは短い舌打ちを漏らすとオレの顎に手をかけて顔を覗き込んできた。 苛々としている表情からはやはりそれ以外の何も窺えない。 視線を下に向けて逃げの姿勢を見せるとまた唇を寄せてきた。これ以上リボーンの気まぐれに付き合えないと手でリボーンの口を塞ぐと眉間の皺が増えていった。 「これがどういう意味だか分かるか?」 どれを差しているのか。男に口淫をされたことなのか、それでみっともなく喘いだことなのか。それとも悪戯に流された気持ちのことだろうか。 はっきりとオレの気持ちを確かめるためにあんなことまでしたとしたら、やっぱりこいつは酷い男だ。 オレと同じ髪の色と瞳の色を持つ愛人のために、それ以外の愛人や想いを寄せる者すらこうして切り捨てているのか。 想うことすら許されないのならばこの気持ちはどこに置けばいいのだろう。 奥歯を食いしばって嗚咽を堪えるとリボーンの顔を抑えていた手を掴み取られてまた唇を塞がれそうになる。 最後のキスなんていらないと必死に抵抗してもやっぱり敵わなくて執拗に唇を重ねられた。 歯と歯がぶつかる音がして口の中に血が混じっても許されずに重ねては口腔の奥まで舌で蹂躙されて逃げ出せなくなった。 独特の錆びた味が混じる唾液を流しこまれてそれを飲み込むもすべてはムリで口端から溢れ出していく。 頬から耳下へと伝うそれが生え際を濡らして以前より少し伸びた襟足まで落ちていく頃には正直な身体はぴったりと寄り添うようにリボーンの胸へと縋り付いていた。 想い人とのキスの味は甘美でありながらもどこか苦味を含んでいて、舌先に残る痺れにも似た痛みに涙を流しているとそれを舐め取られて驚いた。 「リボー…」 「忘れちまえ。」 「なにが?」 なんのことだと涙で濡れたせいで重くなった瞼を開くと苦虫を噛み潰したような顔をしてリボーンに出会った。 かれこれ10年にはなる長い付き合いの中で、こんなリボーンの顔を見るのははじめてだ。 物事を見通す力とはどれだけ経験を積んでいるのかということに他ならない。そういう点では人柱として長い年月を過ごしてきたアルコバレーノたち、中でもリーダー格のリボーンは自己を律してきた時間が長いせいか思ったことを顔に出さない。出せないのかもしれない。 けれど今、目の前にいるリボーンは血の通った男の匂いがする。 ここに居るのはリボーンとオレだけで、だからこの表情はオレに向けられている筈なのに本当にそうなのかと誰かに聞きたくなった。 「あのチョコレートの相手は問わねぇぞ。知ったら殺したくなるかもしれねぇしな。だがいくら鈍いてめぇでもここまでされりゃあもうオレを無視もできねぇだろ?」 相手を殺したくなるって何だ。自分で自分を殺す気なのか。イヤイヤイヤ!違う、そこじゃない。そこじゃなくってもっと後ろの言葉の意味を考えろ。 呆然と見開いた目で逸らすことなくリボーンを見詰めていると、またも唇が迫ってきて慌てて目を瞑った。 すぐに落ちてくるだろうと待ち構えているのにちっとも重なる気配がない。 こっそり片目を開けて覗くと驚きで固まっているリボーンの顔が見えた。 「ごめん!なんでもないからっ!」 勘違いだった!そうだよ、いくらなんでもそんな都合のいい話がある訳がない。 違う意味で熱くなった頬を手で隠すと、動けないらしいリボーンの腕からすり抜けてベッドの上から逃げ出した。 一刻も早くこの場から、リボーンから逃げ出してくてクローゼットのある部屋へと駆け込むと手当たり次第に服を掴んだ。 その拍子に見覚えのあるレースのそれが足元へと落ちて、どうしてこんなものがハンガーにかけられていたのかと驚く。 きっとオレの服を管理しているメイドが、以前のバレンタインの際に押し込めたこれを見つけ出して大事な物だと思ったのだろう。 見付かる前に処分しようと思っていたのに今の今まで忘れていた。 慌てて引っ掴んだところで後ろから声が掛かる。 「お前、それは…」 「ひっ…!」 何も一番知られたくない相手に見付からなくてもいいのに! ブンブンと頭を横に振って握り締めたそれを背中に隠してももう遅い。 張りのあるレース素材でできたそれはリボーンが女のオレのために選んでくれた唯一の贈り物だった。 マヌカン曰く、髪の色と肌の色によく映えるワンピースをリボーンは一目見ただけで選んだのだと、あなたのことをよく見ているのねとも冷やかされた。 オレに合わせて贈られたそれは自分でいうのも何だがとても似合っていたと思う。 思い出だけ大事にするつもりでいたのに。 うまいいい訳も思い浮かばないまま、脂汗が滲むオレを尻目に表情を消したリボーンが一歩ずつ近付いてくる。 広いクローゼットの奥にでも逃げようと思ったが、それではどの道追い詰められることが目に見えていて、ならば横にあるXグローブを嵌めて窓から逃げようかと一歩踏み出そうとしたところで腕を掴まれた。 「あれは…あの女はツナだったのか?」 バレた。 あの女がオレだということも、誰にチョコレートを渡そうとしたのかということも。 居た堪れなさに顔を上げられず、下を向いたままでもがくも握られた腕は外れなくて、でも恥ずかしさと情けなさで死にたいほど辛い。 聞かないで欲しいと拒絶しているのに、容赦ない見透かすような視線に晒されて怖さに膝が笑うと立っていられなくなった。 しゃがみ込んだオレの頭の上から恐る恐るといった調子の声が聞こえてくる。 「ツナ?」 「っ…!ヴェルデに貰った薬で一日だけ女になったんだ!それだけだから!それ以上は聞かないで、」 「ふざけんな。」 低い恫喝に肩を揺らすとチッと苛立ち紛れの鋭い舌打ちが聞こえて余計に怖くて顔も上げられない。 気持ちを暴かれる恐怖に肩を震わせていると、クローゼットの扉に背中を押し付けられて標本にされた蝶々のように身動きが取れなくなった。 拒絶されるのか、それとも気持ちすら否定されるのかとぎゅっと瞑った瞼の先にやわらかい息が掛かると、確かめるように訊ねられた。 「あのチョコレートは誰にやろうとしてた…?」 息を殺して横を向いても、逃がさないというように顔を覗き込まれて見ないで欲しいと首を振った。 それでも返事をしなければ逃げ場などないことも知っていて、首がつるほど思い切り横を向くと小さく答えた。 「……今年は持っていって貰った。」 「今年、は?」 余計な一言を付け加えてしまったせいで重ねて訊ねられ、迂闊な自分の口の軽さを呪った。 これ以上は答えられないと必死に横を向いてリボーンを視界に入れないようにしているのに、視界をまた黒に染められて唇に触れる柔らかさを拒絶したくてもできなくてあっさり陥落していく自分は馬鹿だ。 重ねるだけの児戯にも等しいそれに心乱されて、いつの間にか顔と顔が向き合う格好へとなっていた。 ハァと吐き出した息ごと上唇を舐め取られてひどく甘い声が漏れた。 「似てるとは思っていたが、本人だとは思わなかったぞ。」 「そう…」 それはそうだろう。男が女を装うことはできても、性別を変えるなんて普通は出来ない。しかもヴェルデの言葉を借りるなら骨格や内臓ごと変えているのだ。 「だが、そのお陰でツナへの気持ちに気付いた。」 「きもち、」 って何だ。 ぼんやりと見詰める先でまたも顔が迫ってきて、どうにでもなれと目を瞑るとやっぱり切なくなるくらい優しく口付けられた。 こんなことを繰り返されたら勘違いしてしまうと、逃げたいのに逃げ出せない正直な身体は甘やかされることに蕩けて力が抜けてしまった。 気の済むまでキスを繰り返していた唇は密やかな息遣いを耳朶に伝えながらひっそりと一言呟いた。 「あ、えっ?」 「ツナはどうなんだ。」 「ああああの…!」 はっきりと耳に残る愛の囁きに驚きよりその声音の色っぽさに腰砕けになった。 ツナ、と返事を急かす口調は艶を増して自分の心音で回りの音さえ拾えなくなる。 なのにリボーンの声だけは胸に響いてずっと反響を繰り返す。 「オレと同じ髪の色の愛人は?」 「そんなヤツはいねぇぞ。つーか今は愛人はいねぇ。」 ドクドクと耳元で煩い鼓動がその一言で一層忙しなくなる。 どんな言葉を返せばいいのか分からないまま口を開けたり閉じたりしていると、早くしろと耳朶に噛み付かれた。 「まぁ、返事はなしでも構わねぇがな。てめぇが嫌がろうが逃げだそうが陥落させるまでだぞ。どんな手を使ってでもな。そのつもりで今日は来たんだ。予定通りってヤツだな。」 「おまっ、そんなつもりだったのかよ!?」 思わず突っ込みを入れてしまうと酷薄そうな薄い唇が綺麗な弧を描いた。 「どうする?強制されるか、自発的に言うか。選ぶのはツナだぞ。」 ニヤニヤと性質の悪い笑みを浮かべる顔に近付くと、やっと告げることができる言葉を打ち明けるべく耳元へと口を寄せていった。 終わり |