2.「殺風景で悪いな。」 「い、いえ…」 どこがと問いたくなるほど広々した空間に仰々しくない程度に配された彫刻や絵画、生花などがゆったりと並んでいた。 美術館に紛れ込んだのかと思うほどの廊下を抜けると何やらハイテクな認証システムが出迎えてくれた。 「ここに顔を向けてくれ…そうだ、これでツナはいつでもここに入ることができるぞ。」 「はぁ…ありがとうございます?」 突然連れてこられたのに説明すらなくこれである。 けれどジョットという人はそういう性質だった。説明は後でしてくれることは分かっているので、その気になるまで待つしかない。 認証が済み、その先にある重厚な扉がひとりでに開かれた。それを確認したジョットさんはうむうむと頷くとオレの手を引いて中へと導いてくれた。 その先には先ほどの廊下より随分と豪奢な調度品が並んでいる室内へと通される。 「ここは…?」 どこの美術館だと思うような品々を眺めながらつい前を歩くジョットさんの背中に零した言葉にやはり返事はなく、そのまま奥へと連れてこられた。 「ふむ、ここまでくれば一安心だろう。荷物はそこに置くといい。」 「あ、はい。」 言われた通りに荷物を置くとこっちに座れと手招きされたソファへと向かった。先ほど歩いてきた廊下も広かったがこの室内は更に広い。 明らかに人の手が入っている室内は全体的に落ち着いたブルーに統一されていて、飾りつけられている花や調度品は白で纏められていた。 ジョットさんに呼ばれるままに腰掛けたソファも金糸の刺繍にブルーのビロードを使った手の込んだ物のように思う。 手触りを確かめたり座り心地に驚いていたりすると、突然肩をジョットさんに掴まれて顔を覗き込まれた。 アイスブルーの瞳は静かな湖面のように感情を見せないと思っていたのに、今は爛々と輝いている。けれど何を思っているのかはオレには分からず、その瞳にたじろいで視線を逸らした。 「ツナ、こっちを見て答えるんだ。……オレのことをどう思ってる?」 そう訊ねられてドキッとした。リボーンさんの想い人だというだけで妬ましく思っていたことを悟られてしまったのかと肩が揺れる。 視線も合わせられずに下を向くと、強引に顎をつままれて顔を合わせられた。 「ツナ、」 分かっている。ジョットさんが悪い訳ではないし、嫌いなんかじゃない。むしろすごくいい人なのはこの1か月で充分身に沁みている。 一般人であるオレの警護を嫌な顔ひとつせずにずっと付き合ってくれるなんて警官の鑑だとさえ思う。 男のオレを何故か女の子のようにエスコートしてくれるのはいささかやり過ぎだと思えど、嫌う理由なんてどこにもない。 どこにもないのにどうしても辛いし向き合えないのは自分の心が卑しいからだと知っていた。 どこまで知って問うているのか。 恐る恐る視線を上げるとサラリと金髪が視界を塞いできて、それにびっくりしているとぬるりとしたものに口を塞がれた。 パチパチと瞬きを繰り返しても目の前にあるのはジョットさんの顔で、よく考えなくともこの唇に重なってきたのは同じ唇で…それは分かるのに、どうしてこんなことをされるのか意味が分からなかった。 「んんーっ!」 逃げ出そうとジョットさんの肩に手をついて向こうに押し返そうとするも、力が足らずに逆にゴロンとソファの上に押し付けられた。 「ちょ、なにするんですか!」 やっと離して貰えた唇は情けないほど震えていて、明らかに虚勢を張っているのだと分かるほど声が掠れていた。 ジョットさんを怖いと思ったのも初めてなら、この人の気持ちを考えたことも初めてだった。 それほどオレがリボーンを想っていたことを快く思っていなかったのかと今更怖くなる。諦めなければと分かっていたのに諦めきれなかったことを指摘されるのではと身を硬くしていると、いきなりジョットさんの手がシャツをたくし上げるとその中へと滑り込んできた。 「ひっ…!や、やだ!」 何を思ってこんなことをされるのかが分からない。どうにか逃げ出そうと肘をついたところをまた上から口を塞がれて喉の奥でうめき声を上げた。 脇腹を滑る指は少し冷たくて、するりと撫でられる度にビクンと身体が震える。 首を振って逃げ出そうとする口に強引に舌を割り入れられて滲んでいた視界からポロリと一粒頬を伝い落ちた。 「ツナ…?」 「ごめんなさい…ごめ、なさ…」 呪文のようにただ繰り返す詫び言に、ジョットが顔を離して目を瞠る。その視界から逃れるように顔を腕で隠しながら何度も何度も吐き出した。 「何を謝る必要がある?嫌だと言って殴られるならともかく、何に謝っているのだ?」 分かっていなかったのだろうか。それとも分かっていて言わせたいのだろうか。 どちらにしろこれで終わりだという最後通告を貰った気分で顔から腕をどけると、涙で滲んだ視界の先にある顔をしっかり見詰めた。 「オレはリボーンさんのことが、好きなんです…」 それを聞いたジョットがガッと目を見開いたところでドカン!という爆音が響いてきた。 何の音だと驚いていると、目の前のジョットさんは分かっているのか目を眇めて音の方角を確かめている。 その横顔を見てこれで終わったのだと恋の終わりを自覚した。 次第に近付いてくる3つの足音に何事かと眺めていると、現れたのはリボーンさんと金髪ミリタリー男、バンドマンもどきの3人組だった。 どこから手に入れたのか日本の警察は持てない筈のライフル片手に最初に転がり込んできたのは金髪ミリタリー男で、次いでリボーンとパソコンを手にしたバンドマンもどきの男がリボーンさんに首根っこを掴まれながら現れた。 「早かったな。」 「…フン、銃で壊していこうとも思ったが警備会社が来るのは面倒だからな。」 「オレはいい迷惑だっ!……って、あんたなんでこんなところに。」 引き摺られてきたことがよく分かるバンドマンもどきの男がリボーンさんに喰って掛かっていたが、オレの顔を見るなりぎょっとしてリボーンさんとジョットさんの顔をマジマジ見詰めるとガクリと肩を落とした。 「分かったか?」 「了解です、先輩。」 謎の会話を聞いていた金髪ミリタリー男は会話には加わらずジョットさんにフンを鼻を鳴らして笑っていた。 「ついでにGへの連絡手段も封じてきてやったぜ、コラ!」 「ほお…オレたちと本気で一戦を構える気なのだな。」 「そういうこった。」 最後に言葉を継いだのはリボーンさんで、その言葉の意味も理由もさっぱり分からない。分からないながらも不穏な気配は感じられた。 オレがジョットさんのプライベートに連れていかれたことが原因だということは分かる。ならばどうすればいいのかはジョットさんに委ねるべきだと思った。 オレの横で足を組みながらふんぞり返っているジョットさんと切れそうに鋭い視線で睨みつけているリボーンさんにオズオズと小さく声を掛けた。 「…ご迷惑をお掛けしてすみません。オレこれで帰らせて貰います。」 「待て、送っていこう。」 ソファから立ち上がるとジョットさんが慌ててオレの腕を掴もうとした。それをリボーンさんが阻むのを見てズキンと胸が痛んだがこれ以上は許されないことも分かっている。 ペコリとジョットさんとリボーンさんに頭を下げるときちんと言った。 「これからのオレの処遇はジョットさんに一任します。リボーンさんとはこれ以上お会いしないようにして下さい。」 それだけ言うと頭を下げたまま元来た廊下に駆け出した。 余程焦っていたのか、それとも業を煮やしていたのか。 認証システムどころか管理システムすらダウンさせてある廊下は非常灯のみの薄暗が広がっていた。 所々破壊された後が残る廊下の瓦礫に足を取られて転びそうになったところで後ろから腕を掴まれて声を上げた。 「ひぃぃい…!」 「失礼なヤツだな、コラ!」 この独特な言い回しは金髪ミリタリー男だろう。 それにホッとすると、掴まれたままの腕を引き寄せられて男の腕に囲われた。 「お前この程度の暗闇も見えねーのか?」 「すみません…」 普通は見えないと思う。だがそれを言ってもムダなような気がして大人しく謝るとこのくらいの役得がなきゃやってらんねーぜ、とかなんとか呟く声が聞こえた。 「役得?」 「ななな何でもねーぞっ!オレの手を握ったままで付いてこいよ。」 「はぁ。」 この暗がりを案内して貰えるならそんなに心強いことはない。言われなくても握った手は離すつもりもないが、慌ててぎゅっとその大きな手を握り返した。 しばらくは無言のままで進んでいくと、地下の駐車場まで連れてこられた。 ここまで非常灯のみの状態になっている。その先には自動で動くシャッターが降りていた筈なのだがと思っていると、ジャガーの前に停めてあったハマーに乗るよう指示されて大人しく乗り込んだ。 オレが乗り込んだのを確認してから男はシャッターの閉まっている方向へと歩き出していった。 ほどなくして爆音が響き渡ると男がこちらに返ってくる。それに何事もなかったように乗り込んできた男がハマーを発進させた。 先ほどの爆音はなんだったのだろうと思えど聞ける雰囲気でもない。聞いたところでどうなる訳でもないと開き直る。 お世辞にも乗り心地がいいとは言えない車がシャッターのあった場所まで進んでいくも、シャッターは見当たらなかった。あるのはシャッターがあったとおぼしき残骸のみで、それを何とも思っていないらしい男はそのまま通り抜けていった。 送ってくれるということで、自宅までの道のりを教えたところで会話が切れた。 口下手らしい男と喋りたくはないオレとでは続く筈もない。 けれど男はオレに問いたそうにちらちらをこちらに視線を投掛けていた。 視線に耐えかねて振り返ると男は何故か顔を赤くして慌てて顔を背ける。意味が分からない。 「どうかしましたか?」 「いや…沢田先生は、その…」 なにが言い難いのか分からずにツナでいいですよと答えた。 「オレもコロネロでいいぜ。そうじゃなくて、」 「そうじゃなくて?」 顔を赤くしてハンドルを握るコロネロさんを覗き込むと、見られたくないのか顔を片手で覆っている。 「その、ジョットとはヤったのか?」 「やる?なにを?」 意味が分からない。何のことだろうかと訊ねるとしてなきゃいいんだぜ!と大声で叫んだ。無口だと思っていたのに騒がしい人だったらしい。 警察の隠語は分からないんだけどなぁと思いながらもコロネロさんの横顔を見続けていると肩で息を整えながらまた訊ねられた。 「だったらリボーンの野郎のことをなんで嫌いになったんだ?いや、オレたちはあの気障野郎なんかどうでもいいんだが、ジョットに負けるのも業腹だからな。」 まさかそう聞かれるとは思わずにぎょっとしていると、見透かしたようにチラリと横目でオレを覗いてきた。 「ジョットと2人きりの間に何があったんだ?」 重ねて聞かれた台詞に俯くしかなかい。 どうやらリボーンさんの仲間らしいこの人にまでバレてしまったらきっと友だちですらいられなくなる。 ジョットさんにははっきり伝えた。 だから恋人として、もしくはリボーンさんのことを憎からず想っているのならばオレをこれ以上リボーンさんに近付けることはしない筈だ。 だからこれでよかったんだと黙っていると、横からポツリととんでもないことを言われた。 「ジョットに襲われたんじゃねーのか?だから操でも立ててるのか、コラ。」 「なっ…違いますよ!」 「だったらその乱れた格好はなんだ?リボーンの野郎があんだけ慌ててオレたちを呼び出すなんざ尋常じゃねーぜ!」 「ちが…!本当になんにもありません!」 コロネロさんに言われて気付いたオレもオレだがジョットさんは手が早かったらしい。シャツだけだと思っていたのにネクタイまで解けかけの上にスラックスの前が開けられていた。 慌てて手で隠しながらも元に戻していると、前を見たままのコロネロさんは呟いた。 「あいつは本気なんだぜ、コラ。」 「…知ってます。」 オレと2人きりにさせたくなくて、コロネロさんやバンドマンもどきの男まで連れてくるほど必死なのだ。そんなの言われなくても分かってる。 想うことすら許されないのならどこにこの気持ちを持っていけばいいのかと、通り過ぎる街灯の明かりだけを視線で追って沈黙を守った。 . |