4.目深に被った帽子から覗く瞳の色は雑魚相手に面白くもないといったどこか投げやりなものだったが、わずかに零れる死に神の殺気に晒された売人はオレの胸倉を掴む手がガタガタと震えてきていた。 今は威嚇であってもいつ撃つか分からないのだから仕方ないだろう。 つまり『彼』は、いやリボーンはそういう性質だった。 オイとリボーンが後ろから声を掛けると情けない悲鳴をあげて売人はオレを放り出してその場から逃げ出した。 軽い身体のせいでよろけたオレの腕を掴んで引き戻してくれたのはリボーンだった。 「お前……いや、大丈夫か?」 何かを言いかけてやめたリボーンはいつもの流暢なイタリア語ではなく懐かしい日本語で話しかけてきた。 イタリアへ渡ってからずっと、慣れるためだと一切の日本語を禁じられて久しいオレはびっくりして普段より高い位置にある顔を見上げた。 「何だ?日本人だろう、その顔は。」 「そうだけど…」 どうやらオレとはバレていない様子にホッと胸を撫で下ろす。すると上から下まで視線を投掛けたリボーンはヤレヤレとため息を吐いてくるりと踵を返した。 「着いて来い、そのみっともねぇ格好をどうにかしてやるぞ。」 「え、あ…はい、」 こちらを振り返りもしない広い背中を眺めながら、慌ててリボーンの後ろについて行った。 放り込まれたのは先ほどのブティックではなく、もっと若い女の子向けのところだった。 顧客しか相手にしないマヌカンが慌てて飛んできたところを見るとそれなりに来ているところなのだろう。 ひょっとするとビアンキと来るのかもしれないなんて想像してどうしようもなく苛ついた。 愛人という立場のあるビアンキとどこに行こうが勝手だし当然だというのに。 焦燥感に苛まれた頭をブンブンと振り払っていると、リボーンがマヌカンに二言三言伝えていた。それに力強く頷いたマヌカンがこちらを振り返る。 それほど広くもない店内だが質のいい洋服がきちんと飾りつけられていて、その中の一枚を手にしたマヌカンがオレの前に現れた。 「イタリア語、通じるかしら?」 「大丈夫です。」 はっきりイタリア語で答えると少し驚いた表情で目を見開き、それからオレの腕を取ると奥へと連れていかれた。 「あの…」 「まずは採寸ね。かなり細いから合うランジェリーが見付かるといいのだけれど、」 と不吉な言葉を紡いだマヌカンは、オレのシャツを脱がそうとする。慌てて後ろに逃げると腰に手を当てたマヌカンが捲し立てた。 「そんな格好だと寒いでしょう?しかもブラジャーまでつけないなんてあちらの男性の方も困ってらしたわよ。」 「あ、そうかな…」 白いシャツから透けて見えたのかもしれない。だけどこれくらいの格好なら愛人で慣れていると思っていたのに違うのだろうか。 それとも子供みたいな見た目のオレだと痛々しく思われたとか? 色々と考えて腕が緩んだ隙にマヌカンにシャツを剥ぎ取られた。 「大丈夫よ、恥ずかしがらなくても。日本人は本当にシャイなのね。」 「ちが、ひぃぃいい!」 お仕事上手なマヌカンにきちんと計ってもらった、とだけ伝えておこう。 窮屈で心許ない下着に身を包んだオレは、その上に淡い色のレースが折り重なったワンピースを着せられ、そして膝丈コートに毛皮を首に巻きつけられた。 先ほどより足元が寒いと訴えるとブーツを履けば平気だといわれてリボーンの前に差し出された。 「…いいんじゃねぇか。」 「そ、そう?」 とりあえず下着を身に着けたことで透けることもなくなったオレは、納得できない足元の寒さに耐えながらも頷いた。 すると勝手に支払おうとするリボーンに慌てた。 「これはオ…じゃない私の服だからリ…っ、あなたに支払って貰うことは出来ない、わ。」 久しぶりの母国語のせいではなくつっかえる言葉を聞いたリボーンが少し驚いた顔でこちらを振り返る。 「ここは高いぞ?」 「平気だ、じゃないです。」 カードでは足がつくからと手渡されている小切手で支払いをすると、後ろから値札を一枚だけ抜かれた。 「こいつはオレが選んだ。だから支払う権利はあるだろう?」 そう言って一番高い値札の分だけ支払うとオレに声を掛けることなく出ていきそうになる。慌てて支払いを済ませるとブティックから出る寸前だったリボーンのスーツの裾を掴んで引いた。 「待って!ここまで連れてきてくれたお礼くらいさせてよ!」 少しでもいい、2人きりになる時間が欲しくて必死にしがみ付いた。 あんな妖しげな薬を飲んだのも、こんな格好でいるのもそんなわずかな時間を手に入れるためだ。 ふうとため息を吐かれて、悪ぃなと断られるのだと思った。 女性に優しいが誰にでもという訳ではない。 現に京子ちゃんにはそこそこだったがハルにはそうでもなかった。リボーンの基準がどこにあるのか分からないが、多分女になった自分はハル側なのだろうと身を縮めてそれでも粘ろうと決めていた。 しかし。 「しょうがねぇな、今からバールに行くつもりだったんだがそこまで付き合うか?」 「絶対離れな…へ?」 握り締めていたスーツから手を取られるとさりげなくエスコートされた。 慣れないヒール靴の高さに足元が覚束ないのを見抜かれていたようだった。 少し段差があったブティックの出入り口を出て、そのまま片手を握られたままで歩き出す。 「オレは本来高いんだぞ、お嬢さん?」 ニヤリと斜め上から笑われて顔が赤くなってきた。 でも今のオレならおかしくはないんだと開き直って顔を隠さずコクコクと頷いた。 それを見たリボーンがイタリア語で小さくホストと間違えられたか?と呟いている。 知ってるよ。 世界一高くて、世界一腕の立つヒットマンだって。 だけどそれを胸の奥にしまったままリボーンに引かれて歩き出した。 広くはないバールの窓より少し離れた席でカップを手に恐る恐る口を付けていた。 普段なら頼まないリボーンと同じエスプレッソを同じように何も入れずに一口含む。 途端に広がる香りと苦味に眉間に皺が寄る。 「だから止めとけって言ったんだ。ミルクを持ってきてやるか?」 「…平気。」 意地でも飲み切ると再び口をつけようとすると、手元からカップを攫われて持っていかれてしまった。 ミルクを注いでいる背中を見詰めながら、この膝の上にある箱をどうやってリボーンに渡そうかと考える。 お礼ですと言って渡せばとも思ったが、リボーンと会う前から手にしていたことなど分かっているに違いない。 そうすると用心深いヒットマンに怪しいものだと思われて捨てられるかもしれない。それは嫌だ。 今回だけはどうしても受け取って、食べてもらいたいのだ。 マフィアの謀には敏くならざるを得なかったが、こういった機微に疎いままのオレはどうにも荷が重かった。 肩を落としていると目の前にミルクがたっぷりと混じったカップが差し出される。 「ムリすんじゃねぇぞ。」 「スミマセン。」 言葉だけでそう謝ると今度は安心して口を付けた。ほのかに甘いミルクにエスプレッソの苦味が丁度いい。 思わず綻んだ顔のまま飲んでいると、前から視線を感じた。 「どうかした、じゃなくてしました?」 「いいや。それより下手な敬語は使わなくてもいいぞ。」 そう言いながらも視線は外されない。視線の先を追ってみるとどうやらオレの髪の毛らしかった。 「珍しいかな?」 「あぁ、黒ほど暗くもなく赤毛ほど赤いわけでもなく、栗色ほど黄色い訳でもないからな。」 色のことを言っていたのだとほっとした。 正直ここまで髪の毛を見られるとは思ってもいなかった。 ヴェルデに渡されたスプレーを試してみようと昨晩掛けておいて正解だったようだ。 内心で冷や汗を掻いていると、スプレーによってさらりと流れるような手触りになった髪の毛を一房掬い取られる。 「…違うな。」 確かめるように触っていた手がすぐに離れていった。 誰との違いを確かめたのだろう。 リボーンはビアンキ以外にもたくさん愛人がいて、それは知っていたけど誰がなんてオレは知らない。 知らないことの多すぎるリボーン。 ビアンキは、他の愛人たちはどこまで知っているのだろうか。 カップに噛み付いていると、飲み終わったリボーンが席を立とうとした。 「待って!あの、これ…」 うまいいい訳も思い浮かばなかったが、諦めきれなかった。 愛人からたくさん貰う一つに紛れても構わない。綱吉として渡せなくてもいい。 一度だけ想いを伝えたかった。 「っ!好きです!受け取って下さい!!」 辺りを気にせず大声で叫んだせいで、バールの中はシーンと静まり返っていた。 . |