3.瞼の裏に日の光を感じて身体が覚醒へと向かっていった。 妙に重い瞼は朝日を嫌い開けることを拒否していたが、それでもそろそろメイドが起こしに来る時間だと体内時計はそう告げている。 薄く開けた視界の先にある手にぎょっとして慌てて飛び起きた。 細くて小さい手。 いくらオレが男の中でも小柄だとてここまで小さい訳がない。けれど握ったり開いたりを繰り返すそれは自分の思い通りに動く。 これではまるで女になってしまったようだと思い至ってハッとした。 包まっていた上掛けを跳ね飛ばし、洗面所に駆け込む。すると想像通りの姿になっていた自分と鏡の前で対面した。 「本当かよ…」 鏡の向こうで戦慄く唇に細い指を押し付けているのは間違いなく自分だった。 目ばかり大きくて鼻は変わらず高くはない。唯一、唇だけはわずかにぽってりとしたような気はするが顔の造作そのものにそれほど違いはなかった。 驚いたのはそこじゃない。 ただでさえ大柄な守護者や構成員、暗殺部隊に囲まれているせいで、小柄に見えがちなオレの身体は男のときより一回り小さくなってしまっていた。 肉付きの薄い身体なのに男と違って丸みはある。 恐る恐るの体で着替えずに寝てしまったせいで、昨日の格好のままだったワイシャツの胸元を覗きこんだ。 「…っ!」 シャツの上からでも膨らんでいたそこは女性らしくきちんとなだらかなカーブを描いていた。 自分の身体なのに見てはいけないものを見てしまったような心地で慌てて胸を押さえていると、コンコンと扉の向こうからノックが聞こえてきた。 「10代目、起きていらっしゃいますか?朝早くからすみません!どうしてもお聞きしたいことがありまして…」 仕事熱心な隼人の声だった。 けれど隼人は滅多なことがなければ朝、こちらまで顔を出すことはない。 「何、どうした?」 そう声を出して驚いた。声まで高くなっているのだ。 女性特有の甲高さにぎょっとしていたオレを余所に、その声を聞いた隼人もわずかに不審げな声を扉の向こうから掛けてきた。 「…お風邪でも?」 「いやっ…!あ、そうなんだ。」 「医者を!いえ、まず拝見させて頂きます…!」 一旦は扉の前から去りかけた隼人がとって返して扉に手を掛けてガチャンとドアノブが回る音を響かせた。 少し小さくなってしまったが騙せるだろうと思っていた。けれどこれではダメだ。 こうなった原因の一端は隼人にあるが、飲むと決めたのはオレでその気持ちを誰にも知られたくはなかった。 「10代目!」 「ごめん!今日はちょっとサボらせてっ!!」 隼人に捕まる前にと私室のバルコニーから飛び降りたオレは、その一言だけ残してボンゴレ邸から逃げ出すように走り去った。 どうにか逃げ切ったオレはボンゴレ邸から少し離れた場所にある街へと足を伸ばした。 この街のどこかに『彼』の隠れ家があるらしい。 逃げる時にこれだけはと手にしていた財布と小さい箱を胸に抱え、オレは途方に暮れていた。 「ホント、どうしよう…」 とりあえずこの格好は頂けないことだけは確かだ。 いくらここがイタリアだからとて、ブラジャーも付けていない女が白いシャツ一枚にぶかぶかのスラックスをベルトで括りつけているだけというのはよろしくない。 それは分かってはいても、すぐそこにあるブティックに入ることを身体が拒否していた。 肉付きのいいこちらの女性と違って、どう見ても小柄なオレはひょっとしたらキッズサイズかもしれない。その上、何をどう頼めばまともな姿になるのかさえ分からなかった。 お金がない訳では決してない。しかもこの寒空にシャツ一枚は凍えるほど寒い。だけど踏み出すことができなかった。 心底困って、けれどどうすることもできずに身を縮めて震えていると、後からガラの悪い声が掛る。 「お譲ちゃん、どうしたんだい?パパのベッドで待っていたところを怖くなって逃げ出したとか?」 んな訳あるか!と後を振り返ると想像通り人相の悪い男どもがニヤニヤとしながら近付いてきた。 「お、お譲ちゃんジャッポーネか?それともチャイニーズか?どっちにしろきれーな肌してるじゃないか。」 ああ、小金を稼いでその日暮らしをしているような薬の売人か。 黒くボロボロの歯を覗かせて下卑た笑いを浮かべる恰幅のいい男はお世辞にも綺麗には見えない手でオレの腕を掴んで顔を覗き込む。 それを振り払おうと腕を振ったが思うようには動かなかった。 それでも男を薙ぎ倒すことは出来たが、それは逆に男を逆上させる効果しか与えなかったようだ。 顔を怒りで赤く染めて口汚く罵る男を前に、あまりに動かなくなった自身の身体を信じられない思いで眺めた。 いつもならば一薙ぎで道路のあちら側まで吹き飛ぶくらいの力を出した。なのにこの頼りない身体では男に尻餅をつかせる程度だった。 小さくなってしまった自分の細く頼りない手を呆然と眺めていると突然胸倉を掴み上げられ宙吊りにされた。 「てめぇ女だと思ってりゃあいい気になりやがって…!」 振り翳された手に慌てて手で払おうとするもこの手では動かない。 当たると覚悟を決めた時、男の後ろから突然黒い影が被さってきて、覚えのある殺気を感じた。 「女に手を上げるのは男の風上にもおけねぇな。」 押えた殺気に低い声、そしてわざと音を立てて威嚇するやり口。 どれも覚えがありすぎて、だけどまさか本当に会えるとは思えなくて男に締め上げられていることも忘れてその後ろを凝視した。 「死んどくか?」 朝食でも食べるかと訊ねるような軽い口調で死を宣告する黒い死に神は帽子で隠した鋭い視線を光らせながらうっすらと笑っていた。 . |